原始的感覚の力 ソン・アラム 【前編】/『あなたが輝いていた時』
ソン・アラムはラッパーだった。1998年に高校の同窓生たちとヒップホップグループ「真実が抹消されたページ」を結成し、『大学生は馬鹿だ』『お母さん』『燃え尽きたタバコを消す』などの論理的かつ社会に批判的な曲を発表して、一部に熱狂的なファンをもつミュージシャンだった。
超高速ラップの「ソン伝道師」という名で知られた彼は、10年後に自らのバンド経験をもとにした『真実が抹消されたページ』(2008)を発表して小説家デビュー、龍山事件*¹をモチーフにした『少数意見』(2010)に続き、90年代の学生運動世代の夢と挫折を描いた『Dマイナス』(2014)を刊行した。
ソン・アラムの小説には、冷たくて甘いアイスクリームと熱くて苦いエスプレッソが混ざった、アフォガードのような二つの味がある。若者の溌剌さと叙事的な重みが、縦糸と横糸として交差する。
龍山事件をモチーフにした法廷ドラマや熾烈だった90年代の学生運動の話の中にも、ところどころに「フッ」と笑いがこぼれるような、ユーモアとウィットがある。死と暴力、取り調べや裏切りについて語りながらも、彼の作品には暖かく和やかな温もりが漂う。イ・ムング(李文求、1941~2003)の巧みさやユン・フンギル(尹興吉、1942~)のペーソス(哀愁)、コン・ジヨン(孔枝泳、1963~)の後日談文学*²の寂寥感などもちらりとかすめていく。
ソン・アラムは1980年生まれだ。私たち50代は1980年の5・18光州民主化運動を一里塚として成人式を迎えたが、彼らは1997年の金大中大統領当選を起点に成人になった世代だ。
彼の最新作である『Dマイナス』は、1997年から2007年までの間に学生運動に参加した若者たちの理想と挫折が描かれている。当時の若者たちは就職難に直面した「IMF世代」*³、恋愛・結婚・育児を諦めた「三抛世代」*⁴と呼ばれるが、彼らが人生の目標を決めた20代の青春時代にはどんなことがあり、何を夢見て、どんなことに傷ついたのか、具体的なことはわからない。
溌剌としていながら軽いわけではなく、重厚でありながら退屈なことは嫌いだという30代のソン・アラムを通して、彼らの世代の話を聞いてみたい。ソウル市望遠洞のカフェで彼に会った。
『少数意見』*⁵は映画にもなりましたよね。正直言うと、私も映画を見てから原作を買った読者の一人です。残念なことにユン・ゲサンの写真入り版は手に入りませんでしたが(笑)。
――ははは、そうですか。
あの映画にカメオ出演されたとも聞いたのですが、どの場面に出られたのかわかりませんでした。
――法務部*⁶の若手職員の役です。100ウォン訴訟を起こそうとやってきたユ・ヘジンさんを見て、「弁護士さん、キャリアを無駄にしないほうがいいですよ!」と言い、ユ・ヘジンさんに「自分のキャリアといえばTOEICの点数ぐらいしかないような法務部の若造」と言われる、あの若造です。
演技がとても自然だったからでしょうか? 記憶に残るほど印象的というわけでもなかったですね(笑)。
――1カットだけですからね(笑)。映画の脚本も私が書いたのですが、もとの台本にはなかったシーンです。監督からのプレゼントです。
原作者が映画の脚色をするというのは、あまりないですよね。
――本当のことを言えば、私もあまり関わりたくなかったのです。脚本作業には短くても何ヶ月かかかりますし、長ければ1年近くも一つの作品に縛られてしまいます。(他の新しい作品に取りかからなきゃいけないのに)逃げられなくなったら困るなと思って、やりたくなかったんです。それに映画というのはたくさんの人が関わる作業ですから、お涙頂戴的になったり、私が望まないトーンになる怖さもあると思いました。
でも監督は、この作品は専門分野(法曹界)の話が多いので、他の作家に脚色を頼むと間違えることもあるだろう、それは効率が悪いからぜひとも私にやってほしいと言うのです。ひと月以上も説得されて、やることになったのですが、幸い監督も映画会社も原作に忠実であることが重要だと考えてくれたので、私としてはありがたいことでした。
『少数意見』は龍山事件をモチーフに、再開発エリアの撤去民*⁷と警察の衝突によって発生した死をめぐっての法廷闘争を描いたものだ。小説に登場するエピソードの大部分は、実際の判例と実話をベースに書かれている。
国を相手にした100ウォン訴訟は、ジユル僧侶が朝鮮日報の報道内容の訂正を求めて提起した10ウォン訴訟*⁸からインスピレーションを得たものであり、また、国民参与裁判*⁹を回避するために証人を60名も申請する検察の手口は龍山事件の裁判で実際にあったことだ。
取材には1年近くを要したが、頭の中の物語を文章にしていくのには、それほど長い時間はかからなかった。ソン・アラムは400ページほどの長編小説をたった40日で書き上げた。何かに流されるように、引っ張られるように描き下ろしていった作品だった。
40日で書き終えたということは、つまり一日何枚書いたことになるんですか?
――事前の準備には1年近くかかりましたが、実際に書き始めてからは人生最高の集中力で書き進めました。食事をする時間を除き、一日に15、6時間ぐらい、ほとんど休まずに書いていたわけで……。寝ていても、ふいに起きてすぐに机の前に座って書いたり、公判の部分を書いていた時には1日に原稿用紙200枚分を書いた日もありました。
誰が見ても龍山事件をモチーフにしているのは明らかなのですが、物語の冒頭に「事件は実話ではない。人物は実在していない」と強調してあります。怖くなったのですか?
――いいえ、逆にリアルすぎるからです。細かい部分が実際とは少し違っていたりもするのですが、まるでドキュメンタリーのように全てが実際の事件として受け止められてもいけませんから。細かい違いのせいで、龍山事件のファクトが誤解されてはいけないと思って書いたのです。
国民参与裁判のシーンが印象的でした。韓国では陪審員判決がどのように出ようが、判事がそれとは違う判決を下すことができるということを、私は今回はじめて知りました。陪審員が無罪だと評決しても、判事が有罪判決にすることができるんですね。
――韓国では国民陪審員の決定に法的拘束力がありません。ただの勧告事項というだけです。あまりにも「司法制度が閉鎖的だ」という批判が多いので、国民参与裁判を導入したのですが、あくまでも形式的な司法民主化のパフォーマンスと考えられているようです。その国民参与裁判すらも実際の龍山事件の裁判では採択されませんでした。検事が証人を60人も申請したことで、手続き上の困難があると棄却されました。
そうだったんですね。でも小説では検事が60人の証人を申請した時、判事が「必要な人だけに減らして申請しろ」となっていましたよね。
――はい。小説は、龍山事件がそうやって国民参与裁判として行われたらどうなったか、仮定して書いたのです。
映画に登場していたように、実際に国民参与裁判を専門に担当する公判検事がいるのですか?
――私が傍聴した何件かの国民参与裁判は、全て一人の女性検事が担当していました。その検事の話し方をそのまま使ってセリフにした部分もあります。陪審員たちに「皆さん、食事はされましたか?」という挨拶で始まるシーンとか。
なるほど、実際にそうだったのですか?
――その後に続けて、いつもこう言うんです。「私は緊張して食事ができませんでした。毎度のことなのに、どうしてなのでしょう。いつか私も慣れる日がきますよね?」と(笑)。
ニコニコしながら刃物を振り回すタイプですよね。その女性検事は実在の人をモデルにしているんですか? 見た目はスマートでセンスが良く、物言いはハキハキとしていてしなやかで……。ぱっと見て法曹界出身のある女性政治家を思い浮かべたのですが、映画の中でも学校法人の理事長の次女とあったし。
――監督がそんなイメージで俳優を選んだのかもしれません。私が書いた時は、特定の人を思い浮かべたわけではありませんが、そういうイメージはありました。学生時代とかに、いるじゃないですか。家柄が良くて、美人で、勉強もできて、好感が持てる人。ものの見方がものすごく純粋で、だからこそ将来が心配になるような。そんなタイプの人が検察官という重責を引き受けたらどうなるか、想像しながら書きました。
『少数意見』を通して、作家として言いたかったことは何でしょう?
――一番大きいのは「法の絶対性に対する疑問」でしょう。法は絶対的な基準ではない!
法廷を舞台にした小説や映画は、映画『弁護人』(2013)もそうだったように「法の精神に戻ろう。最低限法律ぐらいは守ろう!」という、法の神聖性を擁護する立場のものが多いのですが、それとは少し別の考え方ですよね。
――法というのは、たかだか50~60年分の見識ですよ。大韓民国政府が樹立した1948年を基準にしても、法は60~70年しか立っていない。私たちの感情や常識は少なとも数百年から数千年分の規範なのですが、例えばその二つがぶつかりあった時に、たった60年の規範のほうが絶対的な基準みたいに語られることが多いのです。法は人間が作ったものだし、いつだって改正が可能なはずなのに、まるで神が投じてくれたものみたいに理解されていますよね。私たちがそう信じているから、法が不法を正当化するような事態が頻繁に起こるのです。
法が不法を正当化するとは?
――たとえば統合進歩党の解散決定*10 も、そんな事例だと思います。法には「反国家団体を解散できる」という条項と「国家は政党を保護すべきだ」という条項の両方がある。ところが憲法裁判所がこの法律の片方だけで解釈した瞬間に、異議申し立てをする余地がなくなるのです。
ソン・アラムが法の限界と訴訟過程について特に関心を持つようになったのは、ヒップホップのバンドをやっていた頃に本人自身が経験したことと無関係ではない。
安養高校の同級生たちと「真実が抹消されたページ」というグループを結成し、アンダーグラウンドではかなり知られたミュージシャンとして脚光を浴びていたのだが、大手芸能事務所との契約問題で長々と法廷闘争をするはめになった。アルバムを出してやるという約束を先送りしながら、一銭も払わずに拘束する大手芸能事務所の奴隷契約のせいだった。
5年にも及ぶ長い訴訟では結局勝利したものの、その間にグループはバラバラになり、音楽活動は中断されてしまった。幸運といえば、その時の訴訟経験が彼の小説の素材となったことだろう。
後編に続く
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著者:イ・ジンスン
1982年ソウル大学社会学科入学。1985年に初の総女学生会長に選ばれる。20代は学生運動と労働運動の日々を過ごし、30代になってから放送作家として<MBCドラマスペシャル><やっと語ることができる>等の番組を担当した。40歳で米国のラトガーズ大学に留学。「インターネットをベースにした市民運動研究」で博士号を取得後、オールド・ドミニオン大学助教授。市民ジャーナリズムについて講義をする。2013年に帰国して希望製作所副所長。2015年8月からは市民参与政治と青年活動家養成を目的とした活動を開始し、財団法人ワグルを創立。2013年から6年間、ハンギョレ新聞土曜版にコラムを連載し、122人にインタビューした。どうすれは人々の水平的なネットワークで垂直な権力を制御できるか、どうすれば平凡な人々の温もりで凍りついた世の中を生き返らせることができるのか、その答えを探している。
訳者:伊東順子
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスJPアートプラン運営中。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』(皓星社)を創刊。近著には『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)、訳書に『搾取都市、ソウル 韓国最底辺住宅街の人びと』(筑摩書房)等がある。
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