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私はもっと勇敢であるべきだった ノ・テガン【後編】/『あなたが輝いていた時』

|酒、ゴルフ、スキー、同窓会を避けること

私が見ても不当な人事なのに、どうやって怒りを鎮めたんですか?
――自分の怒りなど気にしている場合じゃなかったですよ。ユ・ジンリョン長官はなんとしてでも私を守ろうとしてくれたのですが、私が必死になって止めたんです。だって長官が大統領と真っ向から対立することになったら、文体部全体に影響が及ぶことになってしまう。

一人で酒でも飲むしかないですね。
――酒は飲まないんです。もともと体質的に受け付けないのですが、公務員は自制心を失ったらおしまいですから。酒を飲んだから問題を起こしそうで(笑)

何か信仰をお持ちですか?
――いいえ、宗教とは無縁です(笑)。体育部の公務員として仕事をしていたのに、ゴルフやスキーもしません。1980~90年台はゴルフもスキーも富裕層のスポーツだったので……。「あっちの世界には足を踏み入れない」と決めていたんです。

スポーツ行政をされている方が、ゴルフ場も避けていたんですか?
――自分のお金で行けば問題はないのですが、公務員の給料では到底無理だし……。酒も飲まず、ゴルフやスキーもしないというのは、公務員生活をするうえではとても良かったと思っています。

曲がりなりにもTK*¹ 出身なのに、学校の同窓会にも出ないという噂でしたが?
――公務員になってからは、同窓会の行事に出席したことは一度もありません。会費も払ったことはないし。母校の発展のためだから寄付金ぐらい払えよと文句も言われました(笑)。でも、志がいくら素晴らしくても、それが学閥主義だし、結局は仲間同士で徒党を組むことになりがちです。 

*¹ 大邱・慶北地域を表す略語。代々の大統領を輩出した地域であり、政界でパワーをもってきた。

まっすぐな性格は誤解されることも多々ありそうですね。奥様に何か言われませんか?
――妻の価値観は私とよく似たようなものですよ。お金をたくさん儲けたいとか出世したいとか、そういった欲は全くありません。性格は私よりもはるかに大らかで柔軟ですが(笑)。私たちは京畿道キョンギド坡州市にある戸建住宅の多い町に住んでいます。妻は町の図書館の仕事を手伝ったり、町内会の仕事を引き受けて掃除を一生懸命したり、人々にモムサルリム運動*² を教えたりと、私よりもむしろ忙しく過ごしています。娘たちも塾だの家庭教師だのといったプレッシャーから解放されて、学校に通っています。

*² 韓国の伝統仁術に基づいた健康法。

妻と2人の娘の話をしながら、彼は笑顔になった。彼が37歳で休職をしてドイツに自費留学できたのも、会社勤めをしながら学費を払ってくれた妻のおかげだった。2001年、彼はドイツで「ヨーロッパ連合の超国家性と個別国家の関連性」というテーマで博士号を取得した。

体育行政とは全く違う分野ですよね。上級公務員ともなれば普通は国内の大学院で、自分の業務と関連したテーマで博士号を取得すると思うのですが、なぜドイツまで行ってそんな難しいテーマで学位論文を書かれたんですか?
――私はその時、40歳目前だったのですが、大学と大学院で学んだことは使い果たした感じがしたんです。何か新しいものをチャージしなければいけないのに、国内では勉強に没頭するのは難しそうで、ただ学位をとるための勉強になってしまいそうな気がして……。留学先にドイツを選んだのは経済的な理由が大きかったと思います。ドイツは学費が無料なので生活費だけあればいい。一人で節約して暮らせば、ひと月50万ウォンでやれるだろうと。妻が化粧品会社に勤めながら毎月送ってくれた50万ウォンで暮らしていました。

取得が難しいドイツの博士号までとったのですから、公職ではなくアカデミズムの分野へ、大学教授になろうというお気持ちはなかったんですか?
――大学で働きたいという気持ちは常にありました。学生を教えるのは好きなんです。ただ大学に行くとしても、公務員の経歴を利用するのはちょっとひっかかる。教授になるのなら、時間講師から始めて、学生たちに何かを伝えられるような経験を積んでから志願するべきだと思っていました。

話題を元に戻しますね。左遷された先がよりにもよって国立中央博物館教育文化交流団長というのは、どういうことなんでしょう? そこでフランスの装飾美術展が問題となって、またしても大統領の意に反することになりましたよね。
――もとを辿ればその展示は、2016年の韓仏修好130周年記念行事のために、フランス側からこちらの博物館に提案があったものでした。協力関係も順調に進んでいたのですが、2015年末に展示品リストを一つひとつ確認してみたところ、何か変なのです。270点の中52点が市中で販売されている製品だった。この行事は国立のパリ装飾美術館と「コルベール委員会」と呼ばれるところが共同で準備していました。コルベール委員会というのはフランスの高級ブランド会社などが加盟する団体です。何とかとか、かんとかという、有名なブランド品の会社! 市販の高価な商品を展示するだけでも問題なのに、展示会の期間中に博物館で販促イベントまでやるという。キム・ヨンナ館長は「学者の良心にかけて、認めることはできない」と断固とした態度でしたし、学芸員たちも「これは非礼なこと」だと言って、強く反対をしました。

更迭後、文化体育部次官に返り咲きインタビューを受けるノ・テガン氏(2017年6月10日、JTBCニュースより)

本当ですよ! 韓国の国立中央博物館を何だと思っているんでしょう!
――ところが、文体部と青瓦台は何があってもこの展示をやれと、ずっと圧力をかけてくるのです。大統領の関心事項だと。

単に大統領の趣味と関心のためなんですか? 利権がらみの事案だったんですか?
――どうなんでしょう。ミル財団*³ がフランス側の関係者と深い関係にあるところを見れば、何かの利権がからんでいた可能性はありますよね。推測にすぎませんが。それよりも大統領が関心を見せれば、文体部の長官や次官だろうが、教育文化首席室だろうが、誰もダメだと言えないのがもっと問題でしょう。キム・ヨンナ館長が「誰も言える人がいないなら、私が大統領に直接会って言う」とおっしゃったほどです。

*³ チェ・スンシルが牛耳っていた文化支援財団。

でも大統領との対面は叶わず、キム・ヨンナ館長は更迭されましたよね。
――私はキム・ヨンナ館長を本当に尊敬しています。館長はただの一度も揺れることがありませんでした。まさに朝鮮時代のソンビ*⁴ 精神そのものだと言えるでしょう。恥ずかしながら私は、「適当なところで妥協できるのでは」と申し上げたのですが、館長は「妥協はできない。これは我々の精神に関わる問題だ」と一蹴されました。学者として公務を任せられたからにはこうあるべきだという姿勢を示してくれる、お手本のような存在だと感じました。

*⁴ 儒学の精神を体現した知識人。

最後の最後まで粘った人たちのおかげで、なんとか国際社会の笑いものにならずにすんだものの、この展示の件でノ・テガンはまたしても恨みを買うことになった。博物館に来た時は左遷だったが、今回は辞職の圧力をかけられた。彼は法的に定年までの身分が保障された公務員だったが、辞職しない限り、一緒に仕事をしている課長や学芸員までが懲戒処分になるという噂が広まっていた。もはや為すすべはなかった。「一緒に仕事をしていた職員たちに被害を及ぼさない」という条件付きで、2016年5月、辞職願を出した。

|私はもっと勇敢であるべきだった

辞表を出したことを、後悔していませんか?
――(長いため息)そりゃ後悔していますよ! 公務員としてやりたかったこともできずに辞めたのですから……。ろうそくデモを見ながら、「私はもう少し勇敢であるべきだった」と思いました。私が考えていたのは、私のことで被害が及びかねない文体部の同僚や後輩のことだけで、こんなふうに一緒に考えてくれる国民がそばにいることに気づいていなかったのです。

朴槿恵大統領(当時)の退陣を要求するろうそくデモが全国各地で行われた(2016年11月19日、YTNニュースより)

あと数ヶ月だけでも、こらえればよかったのに。
――こらえるというよりも、果敢に戦うべきだったんです。私がユ・ジンリョン長官を尊敬する理由は、彼は臆することなく真っ向からぶつかっていくからです。大学の時にハン・ワンサン教授が書いた『民衆社会学』という本を読んだのですが、ハン教授は辞表を求められた時、「辞表は出さない。むしろ私を罷免しろ」と言ったという、その言葉が深く胸に残っています。私はそれができなかった。マスコミにお願いしたいのは、「私の事例をシンボル化しないでほしい」ということです。正直な話、私は不義に抗うとか、信念をもって抵抗した人間ではないんです。ただ公務員として当然のことをしたら、名前が出てしまっただけで。私という人間が実際よりも美化されてしまうことを恐れています。

心にとめておきます(笑)。公務員を「魂のない動物」と呼ぶ人たちもいます。上から命令されれば、どんなことでも従うのだと。
――「魂のない」公務員は、上からの指示が正しいかどうかは、意図的に判断しませんよ。様々な不利益を考えて、判断能力を自ら遮断してしまう。国民はそんな公務員を恨むでしょうね。でも公務員を恨んでも、彼らがもつ「公共性」まで否定してはダメなんです。保身だけで仕事をしない公務員がいたら国民はきっちりと抗議すべきです。それだけではなく、不合理な指示に対して公務員自身が判断して意見を言えるように、社会全体で支えていかなければなりません。

具体的にはどうすればいいんでしょう?
――公務員は不当に身分を剥奪されても、訴える場所がありません。公務員の身分保障については象徴的な宣言規定があるだけで、法的・制度的に頼れるものは一つもありません。彼らを支援し、保護するシステムが必要だし、公務員に対する評価と監視に市民がオープンに参加できればと思います。今もそういう制度があることはあるのですが、誰が参加するのかを公務員たちが決めるのです。評価者を選ぶところから民間に任せる必要があるのでは、と思っています。

不当な業務指示に対して良心の呵責に苦しむ公務員がいたら、どんな言葉をかけてあげたいですか?
――人の決めることは、どんな決定であっても「間違った」決定でしかない、私はそう思っているんです。どんな形にしろ、決定をすれば必ず後悔をします。こうするんじゃなくて、ああすればよかった……とかね。だからそんなふうに悩んだ時は、それを公開して公式の場で議論する必要があります。職級は関係ないんです。私は公務員生活をしていた時、業務上の悩みがあれば、担当者の階級など関係なく、誰にでも相談をしに行きました。だって階級が高いということは、それだけ細かいことは知らないということですから。個人の良心と不当な指示の間で苦しむ人は、どの政権の時にもたくさんいました。ところが朴槿恵政権の問題は、そんな葛藤を共に議論して解決できるような組織の雰囲気にできなかったことでしょう。意見が異なった時に、相手が上司でも部下でも互いに説得して考えを変えることもできる環境と、全く自分の意見を言えない環境との違いは大きい。コミュニケーションの問題だと思います。

公務員は今の若者たちが、もっとも多く希望する職業です。考試生*⁵ の累積数が44万名、9級は97対1、7級は67対1の競争を突破しなければならないそうです。公務員をめざしている学生に一言お願いします。
――安定した職業だからと公務員を選んだとしたら、間違いなく後悔することになるでしょう。職業としての安定性を求めた結果として、人生の安定性が揺るがされるかもしれません。

*⁵  公務員試験の準備をしている学生。

どういう意味ですか? 「鉄の釜」と言われるほど、公務員が安定的な雇用体系であるのは事実じゃないですか?
――公務員の雇用は保障されているように見えますが、実際の仕事量は外から見るのとは大違いです。政府の予算がありますから、必要最低限の雇用しかできません。業務量は膨大ですが、全ての仕事が注目され、価値あるものとは限りません。誰も知らないところで苦労することも本当に多いのです。公共性に生きがいを感じる人でなければ、この仕事を選んだことを後悔するでしょう。これが安定的な仕事なのかと、そう後悔するのです。チャレンジ精神があり、活動的な人たちは、公務員よりも民間企業のほうが合うと思います。公務員の役割というのは、社会のために十分に議論を尽くすことです。公務員になりたいなら、自分がどんな人生を望んでいるのか、真剣に考えてから決めたほうがいいでしょう。

私が今日のインタビューで外してはいけない話があるとすれば?
――国民の目に映った以上に、良心の呵責に悩み、抵抗した公務員たちが多いということを覚えておいてほしいと思います。「こんなことをしてはいけない」と指示を拒否し、傘下団体に左遷させられた職員があまりにも多かったせいで、本庁に勤務する人がいなくなって、後からもう一度呼び寄せる事態まで起きたのです。もちろん個人的な利益のために過ちを犯す人間もいます。でも大部分の公務員は仕方なく仕事をしながらも、良心の呵責に苛まれて苦しんだのです。そんな人々がいたからこそ、ブラックリスト*⁶ やチャ・ウンテク*⁷ のような存在が明らかになりました。証拠を隠滅しろと言われたのにそれをせず、いつかははっきりさせなければと自分なりに準備していたのです。責任は権限に比例するものですから、上級職の人間はきちんと責任をとらなければいけませんが、大多数の公務員は自分のポジションで最善を尽くしていました。彼らを理解して、激励してください。

*⁶ 朴政権に批判的な文化芸能関係者を公的な支援から外す目的で作成されたとされるリスト。有名な映画監督や俳優なども多数含まれていた。
*⁷ 朴槿恵大統領との側近であるチェ・スンシルらと結託。文化体育界における様々な利権を手にしていた。

ノ・テガンは慎重に言葉を選びながら、控えめな話し方をする人だった。感情に任せて無責任なことを言ってしまわないように、熟考し、自制することが、長年の習慣として身についているようだった。彼が文体部第2次官に任命された頃に書いたコラムを読みながら思ったのは、一文一文をどれだけじっくりと考えながら書いたのだろうということだ。きちんきちんと書かれた手書きの文字のように、彼の文章は重みがあり、明瞭だった。

公務員の特性は任せられた仕事と身分の公共性にある。公務員は息を吸うことでさえ、公共性をもってしかるべきだ……公共行政においては、責任を免除される領域は存在しない。「公務員として上司の指示・命令は履行するしかなかった」「当時の状況で不当な指示を拒否しても意味はなかったのではないか」と言われる。しかし、重要なのは拒否行動そのものだった。また「私がやらなくても、どうせ他の誰かがしなければならなかったのだから」という言い方もされる。でも、もし私が拒否していなかったとしたら? 続いて拒否する人が2人になり3人になり、全てになる可能性の芽を最初からつんでしまうことになったらどうするのか。それは間違っている。自分自身を裏切らないことが最も重要だ。公務員が公務員でいられるのは、国民が公務員を公務員として認めるからだ。したがって、公務員が忠誠を誓う対象は国民なのである。

(ノ・テガンの前出の文より)

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著者:イ・ジンスン
1982年ソウル大学社会学科入学。1985年に初の総女学生会長に選ばれる。20代は学生運動と労働運動の日々を過ごし、30代になってから放送作家として<MBCドラマスペシャル><やっと語ることができる>等の番組を担当した。40歳で米国のラトガーズ大学に留学。「インターネットをベースにした市民運動研究」で博士号を取得後、オールド・ドミニオン大学助教授。市民ジャーナリズムについて講義をする。2013年に帰国して希望製作所副所長。2015年8月からは市民参与政治と青年活動家養成を目的とした活動を開始し、財団法人ワグルを創立。2013年から6年間、ハンギョレ新聞土曜版にコラムを連載し、122人にインタビューした。どうすれは人々の水平的なネットワークで垂直な権力を制御できるか、どうすれば平凡な人々の温もりで凍りついた世の中を生き返らせることができるのか、その答えを探している。

訳者:伊東順子
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスJPアートプラン運営中。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』(皓星社)を創刊。近著には『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)、訳書に『搾取都市、ソウル 韓国最底辺住宅街の人びと』(筑摩書房)等がある。


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