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韓国文学の読書トーク#15『少年が来る』

「新しい韓国の文学」シリーズをテーマ本にした、読書会形式の連載です。語ってくれるのは「100年残る本と本屋」を目指す双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんと読書会仲間でライターの田中佳祐さん。
お二人と一緒に、韓国文学を気軽に楽しんでみませんか?

竹田:僕、映画をみたんです。
田中:急にどうしたんですか?
竹田:タクシー運転手 約束は海を越えて』を観たんですけど、すごい映画でした。
田中:ソン・ガンホが主演している、史実を元にした映画ですか?
竹田:そうです。光州民主化運動(光州事件)について描かれた映画です。主人公キム・マンソプは、ソウルに住んでいる貧乏なタクシーの運転手。定食屋で食事をしていると、近くの席で同業者が羽振りのいい客の話をしているのを盗み聞きします。彼は先回りして、客を横取りします。そこで乗せたのがドイツ人の記者ピーターです。彼は、デモが過激化し封鎖された地域「光州」へ向かうように言います。軍の規制をかわし、なんとか光州へ。ソウルでの報道は学生たちがデモで暴徒化しているというものでした。主人公もそれを信じていたのですが、現地に行って報道と目の前の事実が異なっていることに気がつく。というストーリーでした。
田中:今回の課題本である『少年が来る』を読む前の導入として、良さそうな映画ですね。
竹田:映画の序盤は、ソン・ガンホの調子のいいおじさんキャラクターもあいまってコミカルなんだけど、だんだんシリアスになっていく。後半、主人公がピーターの取材した記録が、社会の人々にとって大切なものだと知って、命懸けでフィルムを運ぶんです。メリハリがあって、ずっと集中して観ていました。
田中:というわけで「新しい韓国の文学」シリーズの15冊目となる今回は『少年が来る』(ハン・ガン著、井手俊作訳)です。

こちらの動画のなかで、光州出身の作家として『少年が来る』はどのような意味を持っているかハン・ガンさん自身が語っています。(2:36頃より)

竹田:まずは、物語のあらすじから紹介しましょう。
田中:物語は1980年5月に韓国で起きた、光州民主化運動をテーマに描かれています。光州民主化運動は、民主化を求める市民が行ったデモに対して、軍隊が武力行使による鎮圧を行い、市民や学生たちに大量の死傷者が出た事件です。当時、韓国軍の保安司令官であった全斗煥が戒厳令を発し、その翌日に戒厳令に対する抗議デモと軍隊の衝突が起きました。市民も武器を使って10日間におよぶ抵抗をします。2万人以上の兵士が投入され、市民への暴力や拷問を行いました。
小説の登場人物たちは、銃弾に打たれて倒れた少年、その家族、軍に捕らえられ拷問を受けたデモ隊、言論弾圧とそれに伴う暴力を受けた人など、光州民主化運動のなか様々な形で軍隊の過剰な暴力に曝された市民たちです。
光州民主化運動で軍事政権に立ち向かった人々の痛みと残された家族や友人たちの消えない傷跡が、歴史の記録としてだけでなく、生きた言葉として描かれた作品になっています。
竹田:この小説は、少年や学生、編集者など様々な人の視点に移っていきながら進んでいきます。様々な人生が重なる点として、一人の少年の不条理な死が中心になっていて、小説ならではの複層的な表現が使われています。
田中:啓蒙的な本としてではなく、小説的な魅力が十分につまっているのがハン・ガンのすごいところでした。
竹田:著者のハン・ガンは光州で生まれて幼少期をこの街で過ごしてたんですね。この事件が起きる数ヶ月前にソウルへ引っ越した。自分も事件に巻き込まれていたかもしれない、という思いがあったのかもしれません。
田中:力のこもった小説でした。

竹田:今回は感想が難しいですけど、話していきましょう。
田中:僕は「7つのビンタ」という章で軍隊が迫る中、道庁に残って抵抗するシーンが、とても印象的でした。見たことも会ったこともない人たちなのに、どんどん彼らに近づいていくような感覚がしました。市民たちの抵抗の様子が、冷静な筆致で書かれているところに心が動かされました。

 最初から生き残ろうとしたのではなかった。
 その日、家に戻って清潔な服に着替えた後、彼女は母親に黙って家を出て尚武館に戻っていった。夕闇が迫るころだった。講堂の入り口が閉まっている上、辺りに誰も居ず、彼女は道庁に向かった。市民課前の廊下にも人けがなかった。市民軍が皆移さずに残しておいたのか、彼女とソンジュ姉さんが収拾したときの姿のまま、幾人かの遺体が悪臭の中で腐敗しつつあった。
 別館に渡っていくとロビーに人が居た。構内食堂の炊事チームで見かけたことのある大学生の姉さんが、彼女の名を呼んだ。
 女性は二階に集まっているわ。
 女子大生に付いて二階の廊下の端の小部屋に入ったとき、女性たちは討論をしているところだった。
 私たちも銃を持たなくてはいけないと思います。一人でも多く、一緒に戦わなくては。
 それを誰が強要できるでしょうか、自ら望む人だけが銃を手にしましょう。覚悟のできている人だけが。

『少年が来る』P107~108

竹田:抵抗する市民の意思が書かれるシーンと、それに対して行われた軍隊の残虐な暴力シーンが、当時の社会の不条理さを表していましたね。
田中:この小説は、光州民主化運動に関する社会の不条理さを書いている作品なんですけど、それと同時に個人の分裂した気持ちも書かれています。
竹田:そう。単なる被害者の記録じゃなくて、人々の戸惑いも描かれてる。
田中:確固たる意思をもって心が揺るがない人たちもいたんだろうけれど、本当に僕たちと同じような普通の人々が軍事政権に立ち向かって、暴力にさらされたということが実感できたような気がします。

竹田:僕も同じ章が印象に残りました。編集者が本を検閲で黒塗りにされてショックを受ける場面があります。
田中:政府が言論を統制するために、本を出す時には市役所の検閲課に本を持っていって、チェックを受けないといけないんですよね。
竹田:僕も出版に関わる仕事をしているので、すごく印象的だった。
田中:当たり前のようにある自由な表現っていうものが、容易に失われてしまうんだと思って恐ろしくなりましたね。
竹田:映画『タクシー運転手』の中でも、新聞の検閲の話が出てきます。新聞社の有志が光州民主化運動について公開すべきだと命をかけて印刷機を回すんですが、上司たちが会社を潰す気なのか、と止めに入る。検閲が生む自主規制の怖さもありましたね。
田中:自分たちの社会もいつそうなるか、わからない。『少年が来る』のなかで検閲されたのは、戯曲なんですよね。書籍は検閲され黒塗りになったけど、劇作家は公演すると決めます。公演当日、劇場には私服警察官の姿があり、編集者のキムは、黒塗りにされた部分をどう上演するかどきどきしながら見守るシーンは緊張感がありました。
竹田:本番では、俳優が声を出さずに演技をするんだよね。
田中:だけどキムだけは、黒塗りする前の原稿を何度も何度も読んでいるので、劇場には響かない口パクのセリフが分かる、という演出もよかったです。
竹田:もうひとつ印象的だったシーンは、検閲でほとんどのページを黒塗りにされた時に「ページが燃えた」っていう表現をするんですが、重みのある言葉だなと思いましたね。

田中:冒頭で竹田さんが映画の話をしていましたけど、この小説を読んでいて『アクト・オブ・キリング』という2012年制作の映画を思い出しました。
竹田:2人で一緒に見たドキュメンタリー映画ですね。
田中:内容としては、1965年からインドネシアで起きた共産主義者を対象とした大虐殺をテーマにしています。100万人以上が殺された残忍な暴力の歴史を記録しています。映画監督は、当初虐殺の被害者を取材していたのですが当局の規制が入り、虐殺の実行部隊となったプレマンと呼ばれるギャングや民兵たちを取材することに切り替えたそうです。そして、加害者たちに、当時の殺人の様子を映像記録として演じることを提案したところ彼らは承諾。加害者たちが当時を思い出し、演技をしていく様子を記録します。
竹田:加害者たちは、当初映画撮影に協力することを楽しんでいるんだけど、どんどん自分たちの残虐な行為を再現することで、顔色が変わってくというか様子が変わっていくんですよね。
田中:虐殺を行った加害者が、自分は混乱を収めた英雄だと思っているんだけど、自分の行った行為に無自覚ではいられなくなっていく。
竹田:映画の最後に、加害者であるプレマンが突然吐き気を催すシーンがあるのですが、色々なことを考えさせる作品でした。
田中:この映画と『少年が来る』の共通点としては、社会で起きた残忍な暴力の事件を、人の血が通った言葉として、どのように記録するのかという課題に取り組んでいるところだと思います。
竹田:どちらの作品にも、僕たちは心を動かされましたね。この読書会の記事には書ききれないくらい武力紛争について、2人で話しました。

                * * *
田中:僕たちが文章を残すときも、歴史の次の世代の人たちに、その時代の空気を届けたいですね。
竹田:事実はニュースで伝わるけど、その時に人々が思った感情や醸し出す空気は個人の作った作品だからこそ届けられるんじゃないでしょうか。
田中:僕たちが古典作品を好きな理由は、いろんな時代の空気を知りたいからかもしれません。
竹田:我々も、小説を書きましょうかね。
(その後、二人で小説を書くためにアイディアを出し合う二人であった。)

◆BOOK INFORMATION
新しい韓国の文学15『少年が来る』
(ハン・ガン=著/井手 俊作=訳)
1980 年5月18 日、韓国全羅南道の光州を中心として起きた民主化抗争、光州事件。戒厳軍の武力鎮圧によって5月27日に終息するまでに、夥しい数の活動家や学生や市民が犠牲になった。
抗争で命を落とした者がその時何を想い、生存者や家族は事件後どんな生を余儀なくされたのか。その一人一人の生を深く見つめ描き出すことで、「韓国の地方で起きた過去の話」ではなく、時間や地域を越えた鎮魂の物語となっている。
☆ためし読みはこちらから

…………………………………………………………………………………………………………………………◆PROFILE
田中佳祐
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。たくさんの本を読むために2013年から書店等で読書会を企画。単著『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)。共著『読書会の教室』(晶文社)。文芸誌「しししし」(双子のライオン堂)編集員。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。
https://twitter.com/curryyylife

竹田信弥
東京赤坂の書店「双子のライオン堂」店主。東京生まれ。文芸誌「しししし」発行人兼編集長。「街灯りとしての本屋」構成担当。単著『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著『これからの本屋』(書誌汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)など。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J・D・サリンジャー。
・双子のライオン堂・公式サイト https://liondo.jp/
・双子のライオン堂・YouTubeチャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UC27lHUOKITALtPBiQEjR0Dg/videos

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