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【イベントレポ】韓国の詩人と考える文学の世界<前編>
ー辻野裕紀(以下 辻野):お二人とも詩人ですが、世代も性別も作風も違います。お互いどんな存在ですか。
オ・ウン(以下 オ):韓国の詩の世界でとても頼もしい方で散文もとてもお上手です。詩人は自分の作品だけに注力して書いていると思われがちですが、他の人の作品を読み、見えない刺激を受けるんです。その刺激を一番くれる方だと言えます。
キム・ソヨン(以下 キム):オ・ウンさんは韓国の詩の領域を広げた方で
10月5日刊行・K-BOOK PASS 06『空間の未来』(ユ・ヒョンジュン著)ためし読み
日本語版序文よりこの本は、新型コロナウイルスの勢いがピークに達した時期に書かれた。現在は日常生活でマスクを外せるほどコロナの影響から解放されつつあるが、ここに書かれた内容はポストコロナ時代にも読まれる価値があると思う。ある人の本性を知るためには、危機に晒された時の様子を見るべきだといわれる。緊迫した危機の状況で本来の姿が現れるからだ。建築と空間、そしてその中の人間と社会も同じだ。コロナ禍のような
【書評】都市で暮らし、行き交う人びとに言葉遊びで想像を膨らませる|オ・ウン『僕には名前があった』|評・友田とん(代わりに読む人)
折り目正しく働く日々の通勤でふと「橋の上に上がろう」と「決心した人」、大勢が集められた講堂で自分は人なのだろうかと自問したり、罵り合いながらも、やはり人でありたいと願う人(「望ましい人」)、そうかと思えば、挫折を知らず「この世で最も背の高い家を建てよう」と決断した途端に、目の前を高い壁に阻まれる「凍りつく人」。オ・ウンの詩集『僕には名前があった』には、都市で暮らすいろいろな人が集まっていた。その
もっとみる原始的感覚の力 ソン・アラム 【後編】/『あなたが輝いていた時』
音楽だろうが映画だろうが小説だろうが、結局は全て同じこと
高校生の頃からミュージシャンとして活動をしながら、ソウル大学の美学科に入学しましたよね。そして小説家になった。そんな話を聞いた人たちはどんな反応をしますか? 尊敬というよりも、ちょっと悔しがるんじゃないですか(笑)。IQテストも満点だったとか? IQ満点の方には初めてお目にかかります。
――(きまり悪そうな表情で)出版社にそういうことを宣
原始的感覚の力 ソン・アラム 【前編】/『あなたが輝いていた時』
ソン・アラムはラッパーだった。1998年に高校の同窓生たちとヒップホップグループ「真実が抹消されたページ」を結成し、『大学生は馬鹿だ』『お母さん』『燃え尽きたタバコを消す』などの論理的かつ社会に批判的な曲を発表して、一部に熱狂的なファンをもつミュージシャンだった。
超高速ラップの「ソン伝道師」という名で知られた彼は、10年後に自らのバンド経験をもとにした『真実が抹消されたページ』(2008)を発表
苦しみの話を、苦しみながら聞いてくれる人 ク・スジョン 【後編】/『あなたが輝いていた時』
あまりにも残酷すぎて、信じられませんでした
いつから韓国軍の民間人虐殺についての研究を始められたんですか?
――よもや民間人虐殺の論文を書くことになるとは、自分でも思っていませんでした。当初からベトナム戦争における韓国軍の研究をしてみたいという気持ちはあったのですが、実際に勉強を始めたところ、どのベトナム人教授も韓国軍については知らないんです。本当にどの教授も。だからベトナムの公式な記憶の中には
苦しみの話を、苦しみながら聞いてくれる人 ク・スジョン 【前編】/『あなたが輝いていた時』
ク・スジョンが伝えるベトナム人の証言は想像を絶するほど残酷だ。1999年5月、『ハンギョレ21』*¹を通して初めて、韓国軍によるベトナムの民間人虐殺のレポートした時、ク・スジョンはホーチミン大学の歴史学科に在籍する修士課程の学生だった。韓国軍の公式記録からまるごと抜け落ちた歴史、事件から30年以上も封印されてきた野蛮と狂気の実態が、30代の若き女性研究者によって初めて暴きだされた瞬間だった。ベトナ
もっとみる韓国文学の読書トーク#16『アオイガーデン』
田中:今回紹介する小説は、いつもとちょっと雰囲気が違います。
竹田:SFっぽい雰囲気を感じる、短編集でしたね。
田中:そして、特徴的なのは人によっては過激だと感じる、グロテスクな表現が含まれているところでしょうか。
竹田:人によっては、手に取るときに注意が必要かもしれません。僕は、日本での2000年代作家たちの作品をちょっと思い出しました。
田中:あの時も人間の身体性とグロテスクな描写を追究した作
釜山映画祭常連の是枝監督 日韓関係に左右されない(「どこにいても、私は私らしく」#48)
是枝裕和監督の映画「ベイビー・ブローカー」は釜山から出発するロードムービーだ。助監督の藤本信介さんによれば、ソウルまでのルートはロケハンをしながら決めたが、出発地が釜山というのは最初から決まっていたという。是枝監督は釜山国際映画祭に15回ほど訪れており、釜山に対する愛着が
あるようだ。
2019年は、「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した翌年だったのもあり、是枝監督の来韓は注目を