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春を感じるとき

週が明けて来週になったら、日本ではマスクの着用が個人の判断に委ねられるようになる。

ここしばらくマスク生活を続けてきたことで、僕が残念に思ってきたことは主に2つ。

一つは、人の顔という、情報に溢れていてる部分の多くが隠されていること。

あと一つは、マスクをつけることで季節の匂いを感じられなくなったことだった。

春を感じるのはどんな時?

ドイツに住んでいた時、春の訪れを実感として感じるのはどんな時だったか。色々あるけれども、例えば・・、

日の出ている時間が長くなる
の鳴き声が増える
■ 色とりどりのが咲く
■ 近所でウサギをよく見るようになる

といったことが思いつく。

で、何度か春を迎えるうちに、気が付いた。これらは「目や耳で感じる」事象が多い。

一方で、日本にいると僕は春を「匂い」で感じることが多かった。

日本で毎年僕が最初にを感じるのは、湿度が上がってきたと感じる時と、沈丁花(ちんちょうげ)の香りが漂ってきた時。

また、を感じるのは、湿度が下がってきたと感じる時と、金木犀(きんもくせい)の香りが漂ってきた時。

ちなみに、沈丁花も金木犀もいずれも風に乗って漂ってきた香りが素晴らしいと思う。鼻を直接近づけて嗅いだ香りは、匂いの角が尖っている。

乾燥しているドイツ

なぜ僕は、ドイツでは匂いで季節を感じなかったのか。

それは、自然の植生が異なっていて、たまたま匂いを出す植物が少ないからかも知れない。でも、たぶんそれだけが理由ではなく、日本より空気が乾燥しているからという理由もあると思う。特に、湿度の高い冬から春に移ると、湿度が下がっていく。つまりドイツでは、春と言えば空気がカラッとしていく季節。

空気が乾燥していると、匂いがあまり伝わらない。むかしよく言われていたのが、日本に住んでいる欧米の人の中には、香水の匂いが強すぎる人がいる。何故なら、欧米の気候は日本よりも乾燥している地域が多く、彼ら/彼女らの地域で適した匂いの強さになる量の香水をつけると、湿度が高い日本では匂いが強くなりすぎる、と。

ところで、僕が湿度や匂いを大事なものとして着目している理由は、むかしサハラ砂漠を旅行した時の体験に基づいている。

現実味を感じない砂漠

ちょうど前回の投稿でも写真を載せたように、若い頃に一人旅でサハラ砂漠へ行った。

チュニジアのEl Faouarという砂漠の入り口にある村まで路線バスを乗り継いで行き、その村を起点として、ちっちゃな馬車に乗って夕方からサハラ砂漠へ入っていった。そうやって砂漠の真ん中へ一泊しに行った時のこと。

道中は、砂が少し硬く踏み固められたような道で、馬車でも走ることができる。馬車の荷台で揺られながら、猛烈に明るい満月の下を、ツーッと走り続ける。

ちなみに月があまりに明るすぎて、月の周りの空は白くなっていた。その白くなっている部分、だいたい空の半分くらいは、明るすぎて星が全く見えない。でも、それ以外の月から離れた半分くらいの暗い部分は、満天の星空。いや、空の半分しか星が見えないから、半天の星空という表現が正しいのだろうか。

でも、満月に照らされた夜の砂漠を音もなく移動する体験は、信じられないほどに現実味を感じなかった。感覚的には、テレビのスクリーン越しに流れる風景を見ているみたい。自分がいまそこで体験しているようには、全く感じられない。

なんだろう、この不思議な感覚は。なんでこんなに現実感がないんだろう?と考えた末に、その時に至った結論が「匂いが全くしない」から

脳の中で、匂いを感じる部位と、記憶する部位や感情の沸き起こる部位が近いため、匂いと記憶や感情は密接な関係があるとされている。砂漠という場所は砂ばかりで、しかも乾燥しているから、匂いを全く感じない。そのような匂いの全くない状況では、人は不思議なほど現実感を感じないのではないだろうか。

ここで一泊

日本の春

翻って、日本の春。上で書いたように、湿度の高い日本では、僕にとって季節の訪れは匂いと空気感(湿度の変化)で感じるもの。

そして匂いと空気感は、情緒に訴えかける

つまり日本人が春の到来を情緒的に捉える傾向がある理由は、湿度の高さが影響しているから、ではないだろうか。

これはオランダの春

日本には四季がある

ところで、よく「日本には四季がある」と表現される。

でも現実には、日本に限らず世界の多くの地域にも四季はあるし、そもそも四季が日本以上にドラマチックに変化する地域は、いくらでもある。

ただ、日本には独特の特徴があると思う。

国民が四季に対して特別に敏感な心を持っている

その理由は何か。それはアジア特有の湿度の高い気候が、人を匂いに対して敏感にさせ、季節の匂いが人々に深い情緒を感じさせるからではないかと思っている。

そういう気候・風土を持つ国だから、「ドライ」という言葉は必ずしも好意的なニュアンスを持っているわけではない。それよりも「ウェット」な心持ちに価値が置かれる風土に繋がってきたのではないだろうか。

春の匂い

さて、冒頭の話に立ち戻ると、週明けからは、マスクが個人の判断に委ねられる。

個人の判断だから、着用を継続する人もいるだろうし、着用しない人もいるだろう。または、当面は着用する場所と外す場所を分ける人も多いのかもしれない。

ただ、外でマスクを外した時には久しぶりに春の匂いと空気感を満喫して、春の到来を楽しみたいと思う。

by 世界の人に聞いてみた

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