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Creation as DIALOGUE キックオフ・イベント・レポート

2021年7月23日(金)17:00~19:30に、「名古屋に受け継がれる伝統的な技術・文化・精神性を磨き、世界との対話を通して誇れる文化を創る」と題し、名古屋市主催 伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト 「Creation as DIALOGUE 」のキックオフ・イベントを開催しました。イベントは基調講演とトークセッションで構成され、リアル会場21名、オンライン会場計175名の方に参加いただきました

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1.基調講演

基調講演は株式会社スズサン 及び suzusan GmbH & Co.KG(以下、suzusan)CEO/Creative Directorの村瀬 弘行 氏より、「伝統工芸/伝統産業の独自性を活かしたイノベーション」の題名で、伝統工芸/伝統産業がその技術とアイデンティティを活かしながら、世界に求められるブランドへ転換・創出に至った背景を解説していただきました。 

400年の歴史と伝統を誇る有松・鳴海絞の染色技法に、村瀬氏が手がける現代的なデザインが加わることで生み出されるsuzusanのプロダクトは、パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークなど23カ国以上の世界中の都市にて製品を展開しています。 (参考: https://www.suzusan.com/ja/ )

また、村瀬氏は Creation as DIALOGUE の統括コーディネーターを担い、連続講座の講師も務めます。

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村瀬氏は Creation as DIALOGUE のひとつのゴールは「価値の転換」であると言います。現実的に、将来の見通しが立たないと言われることも多い伝統工芸/伝統産業ですが、その「価値を転換」することによってイノベーションが生みだされる可能性があると示し、また、「価値の転換」は、

1.見慣れたものを違う場所に置くこと(場所を変える)
2.ヨーロッパにはない技術、価値、美意識を持ち込むこと
3.手仕事によるコア技術を保持しながら、
  例えば素材や用途を変更するなど「時代と共に変化する応用力」を
   用いてローカライズすること

などからも生じると解説されました。

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「初めまして」

講演は、村瀬氏が17,8年間居住するデュッセルドルフ(ドイツ)、名古屋・有松の紹介から始まりました。現在は名古屋市緑区の一部である有松町では、「有松・鳴海絞」という伝統工芸/伝統産業が400年もの間、続いています。「私自身、絞りというものの中に生まれ育った」と村瀬氏は言います。しかし、日本にいたころの村瀬氏は「当たり前にただあった」「近すぎた」などの理由で家業にも産地にも面白みを感じなかったそうです。

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世界において、アフリカ、アジア、南アメリカ、インドなど、洋服を着る文化の地域には、染め・織りの技法や技術が多くみられます。しかし、それらの地域は、多くて2~3つの異なる技法・技術があるに留まります。一方で、幕府による専売制のため250年の間、「有松でしか絞りを作ってはいけない」という中で、考えられ、分業制としてできあがっているという特殊な背景から、有松には200以上の異なる技法・技術があります。

これは学術的な立場から見ても稀なことです。

有松には最盛期には1万人以上の職人がいました。「〇〇さん家は〇〇絞り、ここのひとは染屋さん」と分業の中で、一枚の布は、各家ごとの工程を経て、ひとつの反物にできあがるという流れの中で産業が支えられていました。村瀬家は、分業の内の一つの、今でいうデザイナーの役割を担っていたそうです。

しかし、最盛期には1万人以上いた職人は、村瀬氏が高校生になるころには「200名を切るくらい」の人数まで減少しました。2008年、村瀬氏がsuzusanを立ちあげた年には、鈴三商店4代目である父から「後15年したらなくなるよ、職人は誰もいなくなるよ」と言われたことを、村瀬氏はいまだに覚えているそうです。

「『本当に未来のない伝統産業』という風に思っていた、そういった状況だった」と村瀬氏は言います。

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「なんでドイツへ?」

ドイツに渡った理由は「すごくシンプルな理由で、日本の大学が入れてくれなかったから」と村瀬氏は言います。今思えば生意気な考えと言いつつも、「自分がいけないという風に思わず、思えずに」「この大学は僕を評価できないんだな」「じゃあ、外国に行こう」と思い至ったそうです。

「それは今でも根底にある発想じゃないかと思う」と村瀬氏は言います。

だめだったときの、その価値の転換。諦めなかったらそれが次の改善につながる、というのは様々なシーンで思われているそうです。それは要するに「そこで評価されなかったら、別のところで評価されればいい」ということでもあります。

講演では、価値の転換のエピソードが続きます。

村瀬氏がドイツに来て2,3年後に、父親からイギリスで展示会をするので手伝って欲しいと依頼があったそうです。村瀬氏は、その時に初めて有松以外の場所で家業の絞りを見たことで、初めて「素直に美しいな」という風に思えたと言います。

それと同時に、日本では絞りというと「あ、おばあちゃんのね」「あの伝統的な」等のステレオタイプのイメージが付いて回りますが、海外で「絞りの背景」を知らない人たちが絞りを見たときに「何これ」「美しいね」「どうやって作ったの?」「本当にこれは人の手で作っているの?」等のダイレクトな反応が発生するのを見ることができたそうです。

「場所を変えることで、これまでにない価値を生みだせるんじゃないか」というふうに思い立ったことが、絞りが面白いと思えたきっかけのひとつの側面になっていると、説明がありました。

その後、様々な出会いを経て、村瀬氏はsuzusanというブランドを立ち上げます。

ブランドを立ち上げる以前は、分業制の中のひとつの工程を担う職人であり、主に頼まれたものを作る、という仕事をしていました。しかし、「OEMの仕事が今期は沢山あっても来期はあるかわからない」という中で右往左往し、疲れ切って衰退していく産地の姿を目前にしていた村瀬氏は「需要を継続的に生み出さなければいけない」という思いからブランドの立ち上げに至ったそうです。

ブランド自体の成り立ちというのも「社会課題解決のために作ったといっても良いくらい」と村瀬氏は言います。

最初はストール数本でブランドを立ち上げました。現在は、ファッションとインテリアという二つの軸でsuzusanは展開されています。

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「後15年したらなくなるよ、職人は誰もいなくなるよ」と言われるような、絞りは「今、なくなりそうな文化」でした。

有松の絞りは元々、分業の中で発展した技術でした。分業制はうまく回っているときには、産地がひとつの工場としての機能を持つことができ、メリットが大きい方法です。しかし、「〇〇さん家が亡くなった」とか「辞めた」など、欠落する工程が出てくるとデメリットが生じます。その工程の技術がそこで途絶えてしまう、というものです。

ひとりの職人が辞めてしまうと、その技法/技術自体が失われていました。村瀬氏は、ブランドを立ち上げることで「分業とともに、いっそ一貫生産できる状況を作りたいな」と思われたそうです。そして12年かけて会社を作り上げ、現在は、若いスタッフと一緒にものづくりをされています。

2014年には、suzusanの絞りが Christian Dior のオートクチュールで使用されています。その後、女優のナタリー・ポートマンがニューヨークで着用するなど、話題を呼びました。その絞りの生地も、有松の職人と一緒に作られたそうです。

村瀬氏は、「職人さんが、この価値を作った」と言います。世界のトップブランドが作れなかった価値を、「我々が持っていた」というところがポイントであり、それは、職人さんによる「手仕事の強み」でもあるそうです。

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8歳から三浦絞りをやっている84歳の職人さんや、元々、有松にいるsuzusanのスタッフたち。彼らの「手仕事の強み」に惹かれ、愛知県内をはじめ、沖縄県や新潟県、他の地域から愛知県に引っ越してきてまで「この仕事をやりたい」というスタッフも生まれてきています。

「そういった意味で本当に、未来って言うのが少しずつ生まれて来ているんじゃないかなって感じています」と村瀬氏は言います。

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「価値の転換」

手仕事を通じてイノベーションを生み出す Creation as DIALOGUE のひとつのゴールは、「価値の転換」と村瀬氏は言います。

「価値の転換」というのは、「ひとつの物をある地点から別の地点に動かす、渡す。もしくはその用途を変える」でもあります。例えば、絞りであれば、素材である原料と使い道が伝統的に決まっていることが多くあります。伝統的な方法で言えば、

木綿を使って絞りを施し、それが浴衣に、手ぬぐいになっていた。

それを、

カシミアを使って絞りを施し、プルオーバーにする。
ポリエステルの素材を施し、ランプシェードにする。

等、コアの技術さえあれば色々な応用ができます。手仕事は、「時代と共に変化する応用力」があります。「手仕事っていうのは、そういった意味では、まだすごく可能性を秘めているものだなというふうに思っています」と村瀬氏は言います。

また、ヨーロッパにはない技術・価値・美意識を持ち込むことで「価値を転換する」ということは、茶の湯文化の「見立て」に親和性が高い日本人ならではの強みでもあるだろうと話されました。

見慣れたものを違う場所に置くこと、見慣れたものに違う名前を付けること、「価値の転換」というのは、そういう風にも考えられます。


「名古屋と,手仕事」 

名古屋の伝統工芸/産業は「本当に引き出しが多い」と、各国を回る中で、村瀬氏はよく思うそうです。また、ただ引き出しが多いのではなく、「文化と技術が一緒にある」というのが名古屋の魅力でもある、と言います。それは、「文化と技術が一緒にある」というのは、作られたものがその土地で使われている、もしくは、引き継がれているということです。これは、世界規模で見ても「わりと珍しいケース」だそうです。

また、名古屋には「地の利」があるとも村瀬氏は言います。名古屋は日本で3番目に大きな街です。例えば、「ドイツで3番目に大きな街はどこでしょう」という質問をされたとき、多くの日本人はそれほどイメージができないのではないでしょうか。これは、イギリスでもフランス、イタリアでも同様でしょう。

また、「各国の3番目に大きい街で、そこにある伝統や産業は何がありますか」という質問も答えられないのではないかと思います。これは、名古屋もしかりです。まだイメージが付いていないということは、余白がある、ということです。これからどうにでも変えられるというのは、大きなメリットです。

そのため、「文化と技術が一緒にある」珍しい産地であり、加えて、余白もある、名古屋の手仕事について、村瀬氏は「まだまだ可能性を秘めて」おり「魅力だなあ」と思うそうです。


「継続性と,循環」

村瀬氏は、この3年間の Creation as DIALOGUE において「継続性と,循環」を生み出したいと語りました。

まず、伝統と言うのは「物を作り出していく人」「それを伝える人」の両軸が必要です。

有松では、1608年直後から絞りの産業が始まり400年続いています。400年続いてきたというのは、作り続けてきた人(職人)がいるわけですが、同時に、買い続けてきた人がいるから職人が作り続けることができたという背景があります。また、「買って頂くための努力が、時代の流れの変化の中で行われてきたというのもありますし、それを伝えようとする人は必ずいたと思うんですね」と説明がありました。

その400年の、「作り続けられてきた」→「伝え続けられてきた」→「変わり続けられてきた」→「作り続けられてきた」……、という「継続性と循環」が、重要なポイントであり、「そういったことを、名古屋市さんとみなさまと一緒にさせていただく事業( Creation as DIALOGUE )の中で産みだせたらなあと思っております」という村瀬氏の言葉で、講演は終了しました。

2.パネルトーク

パネルトークは、「世界の第一線からみる名古屋の技術、伝統、文化の可能性」と題して実施しました。

基調講演に引き続き、村瀬 弘行 氏と、齋藤 統 氏、名和 光道 氏、古川 紗和子 氏が登壇され、ミテモ株式会社 代表取締役 澤田 哲也のモデレートのもと開催しています。

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齋藤氏、名和氏、古川氏におかれても、村瀬氏同様、 Creation as DIALOGUE 連続講座のゲスト講師を担当、また、名和氏、古川氏は専門人材とのブランド共創活動におけるデザイン・アドバイザーとして参加されます。

モデレーターの澤田からは、パネルトークにあたり、

『ヨーロッパでまだ日本初のファッションブランドがないところから、当時の流行のデザインテイストとは違うカルチャーを広げて、伝えてこられた』という立場から齋藤氏

『職人の手仕事があっての世界的に評価されているブランドの第一線で活躍。高く評価されるものを、職人のみなさんと一緒に作ってこられ』現場で磨かれたデザインスキルを持つ名和氏と古川氏

『まさに名古屋の伝統工芸を活かし、ブランドを育てて広げていっていらっしゃる実践者として』の村瀬氏

3つの立場からのお話を聞くことで、そのコントラストも味わっていただきたいと参加者に向けて解説がありました。

登壇者挨拶

パネルトークは登壇者の挨拶から始まりました。名古屋市や伝統工芸/産業との関わりについて、これまでの略歴などのご紹介があり、古川氏からは「今回、名古屋の伝統産業の方と、沢山の技術と職人技と一緒に仕事ができるということで本当に興奮しております」という思いも話されました。

また、齋藤氏からは本論の中核にもなる話題が提供されています。

「外国に根ざしてビジネスを行おうということは、その国の人とどのようにつながっていけるか」であり、「外国に出るということは日本的な商習慣の考え方を思い切って捨てていかなければならないところがある。何故ならビジネスに対する考え方の根本が違うところもあるからである」ことと、「私は良いものを作っている、俺の作っているものは世界最高だと言っても、外国では通用していかない」こと、「自分が持っているクリエイティビティを本当に出していけて、海外、ヨーロッパならヨーロッパ、アメリカも含めてそうしないと認めて貰えないかもしれません。そのバランスを合わせ持っていくこと。そういうことが重要だと私は思っています。只の思いだけではなくそれなりのしっかりした覚悟が必要です」等です。


テーマ01 世界から認められるブランドとは?

モデレーターの澤田から、「世界から認められるブランドはどのようなブランドなのでしょうか。それぞれの実践をされた立場から感じていらっしゃること、というのを教えていただきたい」とテーマが提示されました。

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齋藤氏の回答

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齋藤 統氏 元JOSEPH JAPON 社長、 元 ISSEY MIYAKE EUROPE CEO

齋藤氏は「山本耀司という非常に力のあるデザイナーさんと仕事ができたというのが、非常に大きなチャンスでもあったと思う」と言います。当時、フランスにて斎藤氏は山本氏と仕事を開始されると、「すごく叩かれました」と話します。フランスのジャーナリストの方に会うと、頭ごなしに「帰れ、帰れ、くらいのことを言われたことも」あったそうです。

「批判されているということは興味を持たれているということなんだと」「我々にとって逆にチャンスなんじゃないか」という齋藤氏の考えに、山本氏も「そうだよなあ、頑張ろうな」と言って下さったことを、今でも覚えていらっしゃるそうです。

新しいもの/ヨーロッパにないものを作る、持ち込む

「結局、私たちの仕事っていうのは直接の市場じゃないんですね。要するにバイヤーという人が入ってくる 」、そして、バイヤーは「扱っているものに新しいものを入れたい」「新しい空気を入れたい」と常に新しいものを探していると解説がありました。

また、当時の背景として、ヨーロッパ全体のファッション業界は低迷し始めており、「ちょっとこう新しいものはないか」という時期でもあったそうです。「今までないもの、ヨーロッパにないものを日本のデザイナーが持ち込んできた」とヨーロッパのデザイナーたちが認めてくれたことも、ブランドが拡がるきっかけとなっています。

そのときに持ち込まれた、新しいもの/ヨーロッパにないものの中で、大きなもの3点が挙げられました。

1.「デフォルムをしてかつ、アンシンメトリック(非対称)の服を作る」 ヨーロッパはシンメトリーの文化である。

2.素材開発をデザイナーがする。
日本の生地屋はデザイナーの希望を聞いて、加工し、新しい基準を作っていく。日本の場合はオリジナルの生地を開発していく。ヨーロッパでは「綿染めからスタートする」というのは生地屋さんはなかなかやってくれない。ヨーロッパにないやり方を持ち込んでいった。そして、そういったことを齋藤氏はマーケットに説明していた。

3.パターンが素晴らしいと言われていた。
山本耀司氏はパターンを引く「技術」を大切にしていた。パターンに大変こだわっていた。

これらは「成功の秘訣のひとつの大事なところ」とも言えることだそうです。新しいものを持ち込むということも、「ただそのまま持ってきて、こうなんです」ということではなく、「どう戦っていくのか」、既に「ヨーロッパにあるものに対して、どう自分たちが新しいものをぶつけていけるか」考えていくことが重要になります。

伝統工芸についても、「今までの技法を使いながら、新しい血をどうやって入れていくんだろう」と考えることによって進歩していくことがあるはず、と齋藤氏は言います。

商習慣の違い

齋藤氏は「日本のブランドはこちらにきても根付いていかないケースは多い」と言います。ビジネスも日本とはやり方の違いがあるそうです。商法や労働法など法律の違い、会計の違い、著作権の問題、シップメント(発送)の期限、文書で取り交わす習慣等、「日本とは感覚が違う」と話されます。海外に進出するためには、日本とは違うということをある程度勉強していく必要があります。

ヨーロッパはビジネスについては厳しく、日本人は、日本的に「こうしてくれるだろう」と想像して対応し、問題が生じることがあるそうです。シップメントの期間など、1日でも遅れが発生する場合は、状況を相手方に伝えて、新しく条件を文書で取り交わす必要が出てくることがあります。遅れるならば遅れる、既に揃っているものは送れると、「伝える」ことがヨーロッパの文化では非常に重要になります。

ものを作るだけではなく伝えていくことの大事さ

山本耀司氏が意図していることを、バイヤーや一般の方に向けて、よりわかりやすく、噛み砕いた表現で伝えていた、とも齋藤氏は言います。

デザイナーは自分自身の「これはこうなんです」というのをしっかりと持っています。けれど、ビジネスの世界では「そんなことを言っていたら通らないところもある」ため、デザイナーの意図を汲みながら、時に薄めて、わかりやすく説明していく、こういった伝え方も重要だと解説がありました。

締めくくりとして、「名古屋の方もこちらに来る上で、アドバイスさせていただきますけれども。ただただ、『もの』だけを持って来るのではなくて、意志というか、「(この『もの』は)なんなんだ」っていうことをしっかりと伝えていく。そういうことが非常に重要だと私は思っております」と語られました。

モデレーターの澤田から、「商習慣の違い、文化の違いをどう乗り越えるのか」は連続講座の齋藤氏の回でじっくりと聞いていきたいと思っている、と補足がありました。また、ものを作るだけではなく、「どう伝えるか」が重要であり「伝えるにあたって、まずその『もの』がしっかりしたメッセージ性のあるもの」であることも大切なことと解説がありました。

次に、新しい価値を作ることをデザイナーとして実践してこられた名和氏、古川氏に話していただきます。

名和氏の回答(1)

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名和 光道氏 GRAFF シニアデザイナー
元ヴァンクリーフ&アーペル ジュエリーデザイナー

名和氏は「僕が働いてきた会社の中で感じたことは、『ものづくりをしている会社としての強いアイデンティティ』と、職人さんやデザイナー等、『実際にものを作っている現場の人たちに対する尊敬』という二点を日々感じながら仕事をしていた」、と言います。

世界で成功しているブランドというのは、根幹にとなる考え方や技術のコアには一貫性がありますが、「常に壊して、新しいものを作る」「新しいものに挑戦する」「過去に作ってきたものだけにこだわらずに、常に見たことがないものを作る」という情熱が並外れたものであると名和氏は言います。

また名和氏は、自身が海外のブランドで仕事をしていることについて、「外国人の持つアイデンティティとか、新しい風を常に会社に取り入れて新たなものを生み出すという、インターナショナルなブランドとしての目論見もあるのではないか」と言います。

名和氏の勤務するスタジオのメンバーは多国籍だそうです。その中で、日々、同じスタジオにいて、くだらない話からクリエイションの話までする中で、影響を与えあいながら新しいものを作っていきます。ヨーロッパといっても価値観はひとつではなく、多種多様な価値観があり、アメリカ、アジア、アフリカなどの大きい市場も待っているため、その多様な価値観における需要に対応していくという意味でも、「挑戦して、勉強して、感じて」新しいものづくりをしていくという姿勢は非常に重要なものと話されました。

古川氏の回答

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古川 紗和子氏 ミラノ在住のフリーランスデザイナー
元 ボッテガ・ヴェネタ ハンドバッグデザイナー

ヨーロッパには既に多くのブランドがあるため、デザイナーも職人も、ビジネスに関わる人たちも、そもそものプロが多い印象があると古川氏は言います。ハイブランドの中では、別のブランドから来て、また別のブランドに行って、という形でキャリアを積んでいくということもあり、国をまたいで別のブランドで働く人も多いそうです。

そのような背景があり、ヨーロッパにはそもそもプロが多く、特に古川氏が住むイタリアは輸出面でもファッション産業が占める割合が高いため、国全体として力を入れている産業でもあります。

自分たちのコアアイデンティティを考える

リアルな現場での経験上お話すると、と前置きをし、「ボッテガ・ヴェネタも数年前にクリエイティブ・ディレクターの交代がありまして、ブランドをこれからどういう風にするのっていうタイミングがあったんですね。そのときに、『じゃあ、何をしようか』『私たちこれから何をしようか』っていうタイミングで、まず、一番最初にしたことっていうのは、アーカイブ(昔のコレクション)を見ることだったんですよ」と古川氏。

特にクリエイティブチームは、昔のコレクションを見て、探って、「自分たちの一番、核となるスタイルって何?」というのを考えたそうです。

ここ数年はSNSの影響もあって、ロゴを前面に出しているというトレンドがありました。そのため、ビジネスチームには「では、私たちもロゴを」という動きもありましたが、最終的に「自分たちの個性って何?」と考えると、「やはりイントレッチオだよね」「革の紐で織っていくというのが自分たちのアイデンティティだ」と原点回帰したそうです。

今まで細い革の紐で織っていたところを、「もっと太くしてみよう」とか「今までこういうサイズ感でやっていたけれども、もっと大きくしてみよう」「小さくしてみよう」、そういう形で打ちだしたところ、「いま、すごく再注目をされまして、また伸びているという状況」があります。

ロゴを打ち出していくというトレンドは90年代にもあり、ボッテガ・ヴェネタの歴史の中でも、ロゴを打ち出したこともあったそうです。しかし、そのときは「トレンドに乗っかったら、結局、売り上げが落ちたそうです」と古川氏は言います。「そういう過去を見ると、やっぱり自分たちが、『何が一番売りになるのかっていうのをきちんと理解』して、その上でトレンドだとか、世の中から求められていうものを見るのが一番大事になるんじゃないかな」と思われたそうです。

モデレーターの澤田から、「マーケットニーズをとらえることは非常に重要です。しかし、そこに迎合し、ブランドとしてのコアアイデンティティの一貫性を失ってしまうと、ブランドとしてのユニークな価値は損なわれます」と発言があり、ボッテガ・ヴェネタの場合はアーカイブが一貫性を保つ要素になっていますが、ヴァンクリーフ&アーペルはどうであるのか名和氏に話を伺いました。

名和氏の回答(2)

ヴァンクリーフ&アーペルにも、アーカイブチームがあり、過去のコレクションを管理していると名和氏から説明がありました。デザイナーはアーカイブにアクセスができるそうです。また、名和氏も、ヴァンクリーフ&アーペル仕事を始めた当初は、アーカイブなどを見ながら「ヴァンクリーフ&アーペルのスタイルってどういうところが核になるんだろう」と、相当勉強されたと話がありました。

続いて、モデレーターの澤田より、村瀬氏に対して、「ブランドを作っていくという観点で心がけてこられたこと、ここがエッセンスだったと思われることってどんなところかと思っているんですがいかがでしょう」と問いかけがありました。

村瀬氏の回答

例えば、パリコレであれば、5000くらいのブランドがパリに集まります。作り手側としては、お金を出して、半年の時間をかけて、飛行機に乗って、ホテルまで押さえてパリまで来ます。「5000ブランドみんながみんな絶対に良いって思ってきているわけなんですよ。そこまで来ると、良い悪いの話じゃないんです。」「5000ブランド、良いものがそこに既にある状態」と村瀬氏は言います。

そのような土地で、新しく何かをやるとなれば「本当に新しい価値観を作り出さなきゃいけない」「見たことのないものを持って行かなきゃいけない」、「それって他にあるからとか、こっちの方が安いからという言葉っていうのは、とにかく溢れている」そうです。

今回 Creation as DIALOGUE では、この名古屋市の中でものを作って、ヨーロッパに持って行きます。実際問題、そこには様々なハードルがあります。村瀬氏も「問題を楽しむくらいじゃないとやっていけない。いちいち悩んでいられないくらいに問題が出てくるわけです」とも話されました。

その中で新しい価値観をどう生み出し、どう持って行くのか。

「問題をクリアしながら、それでも出したい価値観はなんだろう」と言いながら、村瀬氏は、去年と一昨年に実施したサンフランシスコでのイベントについて話しをされました。現在のサンフランシスコはテック企業が集結する地域のため、お客様は「最先端の技術を作っている人たち」だったそうです。そのお客様たちが、「素晴らしいね」と非常に高い評価をし、実際に購入していったとのことでした。

村瀬氏は、最先端の技術を作る人たちが、suzusanの何を評価したのかと考えました。

その人たちがやっていることは、例えば、AIを作って、自分たちが手をかけなくても勝手にやってくれる、効率的に短時間で考えてくれる、というもの。または、ボタンを押すだけで3Dプリンターが、正確に同じものを、早く、安く、作ることなどです。

逆に考えた場合に、その人たちができないものというのは、「不均一なもの」「非効率なもの」「わざわざ手で作って、必ず同じものができないもの」だと村瀬氏は思い至ります。そういったものを作れる所以は、手仕事であるということです。それは、これからのAIなどが飛躍的に発展していく時代において、手仕事は「ものすごく秘めている価値」があるものでもあります。その価値は世界で評価され得るものです。

日本が既に持っている美意識を見直す

また、今は、「コロナの状況の中で、今まで経済性を追求してきた社会っていうのが、一旦、足を止めて、今までやってきたのって本当に正しかったのか」ということに世界中が気づき始めている時期でもあり、「日本の持っている今までの美意識とか価値観とかっていうのを世界がすごく求めている」という実感があるそうです。「本当に見直される価値はそのあたり」「そこを、このプロジェクトの中で打ち出せたらな」と村瀬氏は話されました。


02 名古屋・日本の技術、伝統、文化の可能性とは?

モデレーターの澤田から、「今日の本題に入ります」と前置きがあり、齋藤氏、名和氏、 古川氏、村瀬氏の順で答えていただきました。

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齋藤氏の回答

第一声は、「技術に関しては、決して日本人の方が技術が低いと思ったことはないんですよ」でした。しかし、日本人の「職人」という言葉に対して、「非常に低いみたいなイメージ」を持つような風潮について、フランスの「M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)」を例に出しながら、「それを日本の中で何とかして欲しいなあと思う」という話がありました。

また、文化について、文化の中でも「世界に広めていける文化」と「地域でローカライズされた文化」とがあると解説がありました。広めていける文化、そのコアは何なのか、というのを見極める必要があるそうです。

精神面で言うと、「やるぞという負けない部分」「問題を抱えていく中で、切り替えていくこと」が重要だそうです。切り替えるというのは「参ったな、と思うことを、どうひっくり返して自分にとってプラスにしていけるか」という、ある意味、価値の転換の部分でもあります。

そして、問題に出会ったときに、これは「自分が人生の中で、通って行かなければいけない道なんだな。自分の人生の中でこれは対決していかないと、自分のためにならないんだって思う」こと。齋藤氏はまとめとして「精神性っていうのは『めげない』ってことでしょうね。精神性が一番大事かもしれませんね。めげたら終わりです」と語られました。

齋藤氏のこれらの言葉に、声を出して頷いていた村瀬氏は、本イベントに「20代の方が参加してくださっているみたいですけれども。あんまり、考えなくても。将来のことは。とにかくやっちゃってから」と発言しました。

名和氏の回答

また、名和氏も「だいたいの答えは齋藤さんと同じ」と言います。「どこを磨けばいいか。技術とか精神面とか文化とか、もちろん全部です」と言い、更に、3つのポイントを説明しました。

1.海外に出るという、挑戦する気持ち
一歩踏み出すメンタリティがないと始まらない。「覚悟」のようなもの。

2.多様な価値観を取り入れる、柔軟性
「海外に出ると価値観が多様なんですね。いいと思っていたものが、こっちでは良くなかったり。生活面もそうですし、美意識、宗教もあって」と名和氏は言います。また、貧しい国から来ている人もいれば、豊かな国から来ている人もいますし、同じ国でも格差がある国もあります。「そういうこと」を相手にして、ものづくりをしていかないといけない環境の中で、海外で働くデザイナーは多様性を学んでいくことになります。

「一気に(多様な価値観を)取り入れることは難しいが、少しずつ興味のあるところから、自分に関係あるところから学んでいって。こういう価値観で生活しているんだなとか、ヨーロッパの人はこういうふうに考えて日々を生きているんだなとか、そういうものがだんだん見えてくるようになると、自分のものづくりにも変化が現われてくると思います」と話されました。

3.情熱
ものづくりに対する情熱や、絶対に負けたくないという情熱。

海外にいることは、経済面の問題を含めて、問題の繰り返しであると名和氏。言葉の面でも特に「しゃべれない時期」は、ビジネスの場面では「対等にしゃべれないとかどうこう」ではなく、「不利な立場に置かれることがあるから、そういった意味でも悔しい思いをする」ことがあると言います。

名和氏は重ねて、「だけど、それも乗り越える力っていうのは、情熱しかないと僕は思っていますし。その情熱っていうのは、ドンドンドンドン乗り越えていくと大きくなっていって。ものづくりをしているときも、『一番いいものを作ってやろう』とか、日本人としてっていう気持ちが芽生えてきて『日本人としてここは絶対に負けたくない』とか、『ここはこだわりたい』とか、そういったものがちょっとずつ『もの』に反映されていく」ことで、例えば、5000以上のブランドを1週間で見て回るバイヤーさんの目にも留まるものが出来ていくのではと示唆されました。

古川氏の回答

古川氏も「すでに名和さんもみなさんも、おっしゃった通りではあるのですけれども」と同意を示されます。やはり「覚悟」と「強さ」というのは大前提である、とのことです。加えて、本当に色々なものを乗り越えていくために「瞬時に冷静に判断する頭」「美しいものを見極める目」「色々な人の意見を聞く耳」「主張できる口」が本当に大事であると話されます。

齋藤氏から「主張するって大事ですよね。自分が縮こまっちゃったら、どんどんいないに等しくなっちゃう」「主張していかないと、こちら(海外)は」と補足があり、それを受けて古川氏は「どんなに良いものを作っても、主張したもの勝ちみたいなところもある」と発言しました。

また、古川氏は、海外の人たちもアジア・日本に対する漠然とした憧れを持っていることが「すごく多くなったな」というのを肌感覚として感じているそうです。そのため、「むしろ夢を見させる」というか、「こっち(海外)の人たちが何に憧れるのかな。そういうものが何かな」というものを追求していくことは面白いだろうと語られました。

村瀬氏の回答

村瀬氏も他の登壇者の方々に同意を示し「追記ぐらい」と言いながら、suzusanの社員(スタッフ)に伝えていることとして「5つのエッセンス」を解説しました。

良いものを作る5つのエッセンス
1.技術(職人側)
2.知識(職人側)
3.経験(デザイナー側)
4.センス(デザイナー側)

元々は、上記4つさえあれば良いと村瀬氏は考えていたそうです。しかし、次第に「もう一つ足りないな」と思うようになりました。

5.愛(情熱)

ものというのは自分では動きません。動かすためには、「愛(情熱)」が必要だと思っているそうです。ビジネスでは「ブランディング」というマーケティング用語で使われることもありますが、「愛(情熱)」は物を動かすために必要な、5つめのエッセンスになります。これらの5つのエッセンスを磨き、常に切磋琢磨していくことで、より良いものが作られていきます。また、それは、新しい価値を作っていくことにもつながります。


質疑応答(フロア、オンラインチャットより)

質問:東海圏の工業は小さい個人企業が多く、海外に出られない課題や理由ばかりが先に出てしまいますが何か良い手がないでしょうか。(リソースが少ない企業が海外進出していくにあたっての手立て)

齋藤氏の回答

有松が「絞り」というくくりで海外進出を試みたことを例に出し、「小さいもの同士がまとまってひとつのコミュニティにしていく(コミュニティマーケット)」という手立てが示されました。誰かが手を挙げてまとめることはしないといけませんが、本当に海外に行きたいという小さい工房・企業同士がまとまって海外に出ていく、コラボレーションしていく、そういったことを考えていくことが非常に重要だそうです。

また、個人企業がバラバラで海外進出を目指せばお金もかかりますし、「非常に大変なこと」であると話がありました。

質問:日本企業で、「国際的なブランドを確立する」「新しい価値を作る」という課題に取り組もうと思ったときに、デザイナー・マーケティング・経営者の関係について日本と海外の違いはありますか。また、海外で重要とされていることについて教えてください。(チーム作りについての質問)

名和氏の回答

名和氏は「あくまで僕個人の考え方」と前置きし、三者のコミュニケーションの重要性、コミュニケーションを取る土台としての信頼関係の重要性について話されました。

名和氏が働いてきた会社は、マーケティングと経営者、デザイナーはそれぞれプロであるため、信頼関係を「かなり築けていた」と言います。マーケティングからも経営者からも、デザイナーに「ああしろとか、こうしろとか」はなかったそうです。

良いものを作ろうと思っても、結局は「会社から出す」ものなのでトップの決定が一番重要になります。そのときに、コミュニケーションができていないと、デザイナーの本当に意図するところを汲み取ってもらえません。

信頼関係が土台にあるコミュニケーションは「自由なものづくり」には不可欠になります。


Creation as DIALOGUE をどのような形で進めていきたいか

モデレーターの澤田から、本イベントの最後にメッセージを一言ずついただきたいと話しがありました。

齋藤氏のメッセージ

Creation as DIALOGUE は3年間のプロジェクトです。類似のプロジェクトでは、1年などあまりに短いタームで行うため結果が見えないうちに終了してしまう、ということがよくあるそうです。「3年ぐらいやっていくと、結果が出てくるようにやることも、ある程度まではできると思う」とコメントされました。

「私ども4人は、それぞれ違う場所にいて、それぞれ違うリレーションを持っている」ので、「私たちがそれぞれ持っているバックグラウンドをうまく使って欲しい」と齋藤氏は言います。「恥ずかしがらないで」ということをフランス人はよく言うそうです。恥ずかしがらないで、来てほしい、と齋藤氏からメッセージが送られました。

名和氏のメッセージ

「今のところ、ポジティブな未来しか見えない」と名和氏は言います。「みんなで一丸になってプロジェクトをよい方向に、良い着地点に、落とせるように精一杯頑張ってきたいと思っています」と鼓舞されました。

古川氏のメッセージ

それぞれの土地に住む人たち、が自信を持って「自分たちはね」、例えば「食べ物がおいしいんだよ」などと、自分たちの文化とかを紹介するっていうのは、イタリアで生活していると、とても強いもの(強み)であると感じられるそうです。

Creation as DIALOGUE においても、日本全部においても、「外と戦うときに、何が一番の強みになるのかな、何が武器になるのかな」と考えたとき、やはり「土地の歴史と文化」が世界へ挑む、一番の武器になるんじゃないかなと感じている、と古川氏。

「ぜひ一緒に、世界へ、貪欲に挑んで行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします」

村瀬氏のメッセージ

まず、「本当に今回、すばらしい方々が、メンバーとしてご一緒いただくということで、あの、声を勝手にかけさせていただきながら、本当にこうやってご参加いただけることにも改めて」と、登壇者のみなさまたちへの感謝が述べられました。

今回の Creation as DIALOGUE について、

「主役っていうところのうちの1人というのは、今、おそらくこれを見ていらっしゃるであろう、ものづくりをされている方々」であり、そして、 Creation as DIALOGUE に興味を持ってくださっている、「次の担い手である若い方々(次世代を作る方々)だと思っているんですね」と村瀬氏。

「僕らはあくまでもそれを引き立てる役で、名古屋市が舞台。というか現場。そこをこのヨーロッパとつなげるという、架け橋って言うのを我々はやる役割なんですけれども、その架け橋を歩く人々っていうのは、皆様になるわけなので、そういった面ではいい橋を僕らは作りますので、ぜひ、渡りに来てください」


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