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静けさを。

早朝から夜まで付きっきりだったパリでの展示会を終え、久々に穏やかな昼下がり。展示場で、夥しい数の「もの」に囲まれていた日々を振り返る。

まったくもって、世界は華美なものに満ち溢れている。右を見ても、左を見ても、どこを見ても、購買意欲を掻き立てんとする華やかなデザインに、豪華なデコレーション、空間演出として鳴る爆音の音楽。

ものそれ自体のデザインや、そこに込められた想いや意図はもちろんそれぞれ異なるのだろうけれど、全体のトーン(口調、とも言えるかもしれない)がどこを眺めても同じで、1日経たぬうちに、ほとほと疲れてしまった。

まったくもって、今この現代社会に、「もの」はいらないよなと思う。ものを売ってるお前がどの口で言う、なのだが、物質的な充足としての「もの」は、もう十分だ。むしろ、本当にこれ以上要らないのだという事実を、あらためて痛感した。

ものを生み出す我々には、社会に対する責任がある。はち切れそうなお腹をしている地球と消費者に、さらに追加で物質的な「もの」をひとつ足しあげ、表層のデザインを施し、「ブランド」としたところで、もうとっくに誰も幸せにならない時代だ。

その「もの」を通じて、人々の日常や暮らしに、どんな時間を生み出すことができるのか。いかなる感情や記憶の拠り所となれるのか。日常の風景、社会の風景に、どんな美しさをもたらすことができるのか。

ブランドのためのブランドでもなく、デザイン産業のためのデザインでもなく、短期で売り抜けるためのファストなプロダクトでもなく、人々の日常と社会を切実に捉え、考え、少しでも良くしていこうという願いと想い、姿勢をたずさえた「もの」。

世界で本当に評価されて、しっかりと「眼」を持った人々が、「眼」を持った消費者(生活者)に届け、美意識と商いが密接に結びついた循環は、そうした「もの」があってはじめて生まれるのだと思う。

そんな中で、日本のクリエイションは、本当に大きなチャンスを秘めていると感じる。自分が日本人だからそう言っているのではなくて、世界の「もの」の現状を眺めていると、よりその確信が深まる。

西洋の紛いものではない日本のクリエイション。そこには、日本特有の感性が宿っている。丁寧、繊細、緻密、簡潔。パッと見ただけで分かるつくりの良さ。自然環境との微細なる調和。

それらの感性を宿したクリエイションを通じて、「もの」との時間を通じて、ノイズが増していくばかりのこの世界で、本来あったはずの内省的な感性や、「静けさ」が戻ってくる感覚がある。

そして、この「静けさ」こそが、現代社会が必要としている時間のひとつなのではないだろうか。

閑話休題。ここまで綴った文章は、実はまったくもって壮大なブーメランで、自分たちのものづくりが、個人としての営みが、世界から「静けさ」を奪っていないか、ノイズを増やしていないか、胸に手を当て考えたくなった。

まだまだ、まだまだ、良くしていかなければならないことばかりだ。本気で、切実な想いと願いを絶やさず、与えられた土地を耕し、深く深く掘り進めねばならない。掘り進めたその先で、地球の裏側に届くことを信じて。

パリの凍てつく寒さの中、展示場を出たすぐの芝生で、小さな花々が咲いていた。その姿は、この期間で目にした何よりも美しく、たくましかった。自然は、すごい。いつだって、人類の偉大なる先生だ。

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Project Design / STITCH INC. / 音楽家のみなさんや山形県のじゅうたんブランド「山形緞通」などと、プロジェクトに取り組んでいます。東京 → 鎌倉 → 葉山。https://stitch-inc.jp/
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