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みたいな話ではありません。
その引き出し持ってません。
悪しからず。


いきなりですが

以前、耳にして
人間の欲深さの果てって
底無しなんだなぁと肩を落とした話。

豚さんとか畜産物を食肉にする
その過程の話で。

わたしが聞いたのは豚さんの話なんですが
豚さんが、殺されて「食肉」という
存在に切り替わる時のこと。

その「瞬間」に
思い切り痛みを感じさせる。

つまり、いたぶる。
殴りつけたりとか。

そうすることによって
ドーパミンやらアドレナリンやら
興奮したときに生じる
脳内物質が物凄く分泌されるそうなんです。

そうすると
そのような脳内物質が
たっぷりと分泌されている状態で
殺された豚さん、食肉、は
とても、とても美味しいのだそうで。

1パック398円で切り売りされる
豚肉になる為に、そんな事が…?

いや、わたしがその話を聞いたのは
外国で畜産業を営む
男性のドキュメントみたいなのを
見た話なので、それがデフォルトって
訳では無いとは思うんですけどね。

でも、人間の愚かさゆえ
そこに行き着いてしまうのには
うーん、妙に納得してしまった。

脳内物質のあれこれ

多分なんですけどね
自分の憶測です。

そうなんじゃないかなー、って
ちょっと思ってみた程度で
ちゃんと資料を調べたとかじゃないので
フワッフワなお話なのですが

人間は必ず、いや生き物全般なのかな

痛い!と思ったらドーパミンが出る
感動……と感じたらオキシトシン
癒やされる〜と感じたらセロトニン
なにくそーー!と思ったらドーパミン

あとなんだっけ
まだまだ色々ありますよね。

まぁ、感じたり思考したものに対して
脳内物質が分泌されるそうですね。

前述した豚さんの屠殺も然り。

あと、死を迎えるときにも
なんだっけ…あの
えーと………

モルヒネ。そう。モルヒネです。

脳内モルヒネが分泌されることで
ラクになれる、とか。

痛みをカバーしてくれるというか
和らげてくれるというか
それをも上回る快楽物質の分泌によって
感覚優位になり、思考から離れられる。


で、ここから持論。

生を感じきっていると
言い換えれば
生ききっていれば、です。

生ききっていれば
脳内物質が正常に分泌されるけれど
生きていなければ、そうでない。

つまり、生きているというより
死んでいないという状態の
消極的な生き方。

消極的な生き方をしていると
脳内物質は正常に
分泌されていないんじゃないだろうかと。

刺激にまみれてはいる現代だけど
一つ一つを味わったり感じたりしていない。

食ってんだか食わされてんだか。
歩いてんだか歩かされてんだか。

あれやりながらこれやって
それやりながらあれ考えて。

空っぽの行為。
味もへったくれもない。

やりたくもないのにやる
やりたいのにやらない、とかね。

命を生きて、死ぬ

だから、崇高な生き方しましょうよ
って話ではないんですけど

多分、自分の行為に
ひとつひとつ気づいて
感じて味わっていたら

脳内物質も心地良く
流れているはず。

そして、死を迎えるときも
恐れへの報酬としての
アドレナリンとかドーパミンとか
興奮系の脳内物質ではなく

安寧とか穏やかさを感じる
オキシトシン、セロトニンとか
そういう類のものに
満たされているんじゃないかって。

だけど、そうでないとしたら。

人間の与えられた尊厳

入院して薬漬けになって
死期を迎えるという人の話で

脳内物質がでない、モルヒネが出ない

だから打つ。

それも効かないから苦しい。
痛い。ラクになれない。

とにかく苦しんで苦しんで
その時を迎えたと聞きました。

こんなのやるせない。

本人は意識が薄弱な状態で
周囲が、死を受け入れられずに
どうにかその時を先延ばしにしたくて
薬を追加し続ける。

本人はもう
安らいで死を迎え入れる
身体ではなくなってしまった。

魔法なんてないんだ、って
本当に思った。

薬を飲んだらハイOK
コレを塗ったらハイOK

そんな魔法には必ず代償がある。
その場しのぎなんだよ。

自分の生きてきた結果
痛みが生じたのなら
どのように生きてきたのか
どうして痛みが生まれたのか

その痛みだって敵として
排除するべきものではない。
理由がある。

痛みに屈して諦めろって
話ではないことは
きっと伝わっていると思って、進みます。

どのように生きていきたいのか

命の側から
気づかせてもらえる

人間、ただ生きて死ぬだけで
どれだけ尊く重みのあることか。

だけど、ただ生きて死ぬだけで
いいのかな、って。

朝起きなきゃいけなくて
歯を磨かなきゃいけなくて
着替えなきゃいけなくて

そうやって始まる朝。

だからやりたいことやって生きよう!!
って飛躍した事を言いたいんじゃない。

まずは
朝、起きることに集中する。
起きるときに起きる。

歯を磨くことに集中する。

歯を磨きながらスマホいじりながら
今日一日の予定考えながら
面倒だなと思いながら
今日、何着ようかなって思いながら
あぁ、今日中にメルカリの
あの売れたやつ発送しなきゃいけなかったんだ、
梱包めんどいなー。
 
って、これ歯を磨く動作をしてるだけ。

パントマイム。やってるふり。当て振り。
口パク。お遊戯。にせもの。形だけ。

うへぇ。
結構辛辣かも。

ごめんなさい。
これ全部やってんですよわたし。

自分の人生を生きる、
その自分ってものが 
何者なのかと認識しているのかで
行動は変わってくるのに。

ただ、行う。夢中になる。没頭する。

多分それだけでいいんだと思う。
生きるって。

没頭、っていま気づいたけど
頭を没にする的な意味かな。

頭を使わないってこと?
思考しない、みたいな。

もしくは頭を全部使い切るみたいなこと?
これ、真逆の言葉のようでいて
結局「集中状態」を指していて面白い。

思考も漂わせれば雑念だけど
考え抜いているときって
多分思考のその先にホイっと
ひと足踏み入れてしまっている

フロウ状態とかそういうやつ。
だと思うんです。

陰極まって陽と成す、みたいな。
 
それでね、一番言いたかったことが
ここからなんですよ。

共鳴、共振しているのだから

人は同じ空間にいたら
共振共鳴が起こるという。

狭い視野で見れば
同じ部屋で同じ空気吸っている状態で
めちゃくちゃ機嫌が悪い人がいたら
こっちまで気分悪くなってくる、とか

その逆もまたそれで。

もっと視野を広げれば
もうこの地球、宇宙という
空間、スペース

目に見えて同じ空間だぁ、と
感じるそれではなくて

宇宙という領域、レベルで
同じ空間にいる存在

と、捉えたら
何と自分は共振共鳴したいかと
意識をすることで
それは、起きている。

自分は意識を置いたものと
共振共鳴しているんだ…と
どれだけ確信しているかによって

共振共鳴の現象、その度合いは増す。

だから、
自分は何に意識を置くか。
自分は何をしたいか。

何と共振共鳴したいか。
何を自分から響かせたいか。
発したいか。

そうやって、物理的な自分から
抜け出たときに
本当の自由がそこにはある。

目の前にいる人は問題じゃない
自分の心の状態を映してくれている。
(危害を及ぼすような人は別の話。逃げて!)


わたしという記憶

これまでしてきたことの
過去の蓄積が自分ではない。

これまで冒した誤ちが自分ではない。

これまで夢見たことが
上手くいかなかった絶望が自分ではない。

あらゆる事象に対して
名付けられた言葉を記憶したもので

あれはこれ
これはそれ

と、常に答え合わせする時間が自分ではない。

自分が今、この瞬間
今に意識をした瞬間

自分の記憶によって見ていた世界は
すべてが色褪せていたことに気づく。

記憶から離れて
今、ありありと生きる緑って
こんなにも生き生きとして。
こんなにも緑色だったのか、と。

本当は息を吸うたびに身体が膨らんで
吐く度に縮んでいってたのか…

自分の呼吸の音が聴こえ始める

心臓の鼓動の速さに
あれ、緊張してたのか…
さっきまで嫌なこと考えていたからか…
と気づく。


何かをしながら何かをする。マルチタスクは効率的にエゴを暴走させる。

記憶によって今を食べ尽くして
また記憶を増やしていき

その記憶を自分の辞書にして
今起きていることを
辞書に照らし合わせて
カテゴライズして、また記憶して。

目に見えるものを見ていない。
耳で聴こえるものを聴いていない。

手で触れられるものを触れていない。
肌によって感じられるものを感じていない。
舌で味わうものを味わっていない。

だから
今ではなくて記憶に生きている。
今を見送って記憶にとどまっている。


今、この瞬間に目で見えるものを見ながら
記憶したものを見ている

今、この瞬間に耳で聴こえるものを聴きながら
記憶したものを聴いている。

今、手で触れられるものを触れながら
記憶したものを感じている。

今、この瞬間に舌で味わいながら
記憶したものを味わっている。

今、この瞬間に起きたこと
この瞬間に感じられることを見送って

昔の記憶を思い出して、
その記憶を反芻している。思い出している。

自由になれる方法

その逆に
今感じうることをすべて

余すことなく感じようとしているとき
記憶が出てくることはできない。
本当の自分が出てくる。

何になりたい?何を感じたい?

何にでもなれるし
何でも感じられる

信じることで自由になれる。


記憶に溺れて
見失い続けていた、今を

今という意識の海を
自ら泳ぎ始めた瞬間

その瞬間から
わたしたちはもう既に自由だったと気づく。






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