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食事による供養

※写真はボストン・グローブより

オーストラリア災害

いや、本当に心配。

ってかどうしたってくらいに不運が続いているオーストラリア。

丁度半年くらい前に、過去最高みたいな台風が連発して、ボロボロにされた日本みたいに。

大規模な火災の後に、豪雨が起きて、洪水になったって。

なんか昔、「下は大火事、上は大洪水なーんだ」みたいななぞなぞがあったけど、まさにそんな感じ。

でもその雨によって最後の火災が鎮火したって聞いて、不幸中の幸いなのか、泣きっ面に蜂なのかわからない。

この災害で亡くなった生きとし生けるもの全てに、ご冥福をお祈りします。

普段からしてる食事について

まあこんな心配だけして、はい終わりみたいな文章は書きません。

そんなの見て自分の偽善の心を労りたい人は別のとこ行って下さい。

言いたいことはこれから。

この前の記事でも話したけど、私が食事を美味しく食べたいっていうのは、ある種の食材たちへの尊重で感謝で、供養だ。

例えばカンガルー。

一昨年くらいにカンガルーの肉を取り寄せて食べてみたんだけど、まさに筋肉質な赤身って感じでとても美味しかったことを覚えてる。

まあ多少筋っぽくて顎が疲れた気もする。

それで思ったんだけど、今いったら焼きたてのカンガルーの肉食べ放題なんじゃないの?って。

いやなんだろう、字面だけ見たらすごい、生命を冒涜してる気がするし、焼死した動物の肉が到底美味しく食べられるとも思えない。

でも言いたいことはそういう事じゃなくて、死にかけたカンガルーやコアラや沢山の動物を救助して、結局死ぬのを見守るんだったら、人が食べてあげた方が、人間のエゴ的にも、動物的にもいいんじゃないかって。

基本的に自分は火葬反対派で、え、なんで灰にして終わり感でてるの?って感じで。

例えばこの話を聞いて、災害にあった動物を食べたいが為に捌いて、食べるなんてっていう人がいるかもしれない。

でも基本的に普段食べてる肉も殺してから食べてるし、家畜なんて食べるために生かしてるんだから。

何を言いたいかと言うと、火災という不運によって死んだ獣たちを人間のエゴで火葬なんてするなってこと。

彼らがどう埋葬されるのかは知らない。

あわよくばそのまま土の上でバクテリアたちが分解するのを待って欲しいんだけど、どうしてるんだろう。

ちょっとそこについては勉強不足。

だから火葬なんてするんだったら、食物連鎖の上にいる私たちが食べて、地球のサークルに戻した方がいいのでは?って。

映画で「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った」というのがあったけど、こう食による愛を考える人って私以外にもいるんだなって。

大切な家族

犬。

家にいるんですよ。

愛すべき我が家族。兄弟。

中型犬なので、そろそろ折り返し。

まだあと10年近くは一緒に過ごすんですけど、やっぱり考える。

こいつが死んだら俺の嫌いな火葬を施すのかって。

もちろん私は食べたい。

でもそんなこと家族が許してくれるわけもない。

じゃあもう一回考えてみる。

なんで、愛すべき家族をそう供養したいのか。

食べることによって、彼は私の生きる糧になる。彼は私の中で生き続ける。それこそ人間の細胞は20年で入れ替わると聞くけど、今から計算して30年、彼は生き続けるわけだ。

忘れたくない。

そういうこと。

なるべく彼がいたことをこの世に残しておきたい。

だから最大の譲歩として、私は今から金を貯めることにした。

遺骨をダイヤモンドにすることが出来るらしい。

それが一番小さくても50万近くかかると。

だから私は彼を忘れない為に金を貯める。

小島監督のビッグボスの言葉を借りるなら、私が、私の人生に彩りをくれた彼を、「死してなおも輝」かせる。

もう何話してたか忘れちまったよ。

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デジタルネイティブの癖に自然に出戻りしようとするひねくれもの。狩猟に興味があって、狩猟免許獲得のために勉強中。極度のリアリストのため、非現実的なもの全般にすごい毒吐きます。
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