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何度でも読んで

ここ絶対泣くんですよね。
なんでか分からないんですよ。私末っ子なので。
苦労もしてきてない、食べ物に困ったこともない、誰かを犠牲にするほど貧しくなくて逆にどちらかといえば裕福。

泣きポイントここ

「分かっていただきたいのです」。

何度読んだかな。分からないな。
「分かっていただきたいのです」。何をだろう。
「分かっていただきたいのです」。なんで涙が出るんだろう。

「分かっていただきたいのです」「自分の夢を犠牲にしている兄や姉が多くいることを」
「食べ物以外は我慢しないといけないと思っていました。だから綺麗なものは諦めて……」

繋げてようやく出てくるのですね。
自分の気持ちを犠牲にして、欲しいものを諦めて、大事なもののために尽くす。
ああそれはきっと私だった。
たくさん諦めてきた。
解決に必要ないから最後にと放り投げた悲しみや寂しさは、いつも相手が逆ギレをしてしまうから解決に辿り着かず、相手は悲しい酷いつらいと喚けても、私はそれが出来ない。
仲直りまでの道のりに、感情は邪魔だから。

正直に申し上げて……
今までの人間を全員吊るしあげる証拠はあります。スクショもあるので。
裁判にかければ、弁護士だけで勝訴をとってこれて、あちらは賠償金と慰謝料と全ての裁判費を払わされることになります。
それだけの証拠を、今までの全員分、所持しています。乱獲すれば2000万は慰謝料でもぎ取れるんじゃないかな、1人500万はいくし。

ではそれが、本当に正しいだろうか。
いやまぁ侮辱罪とか精神的苦痛とか結構クソ重になるので、今までの勝訴慰謝料とか6400万の支払い命令とか見たことあるから
間違ってはいないでしょう。
ただ、間違っていないだけ。

私はその、侮辱をしたり約束を破ったり人間としてあるまじき愚行に及んだ友人がいますが
書いてみると卑劣ですね。
仲直り出来なかったのが悲しかったというのはいつまでも抱え続けるにせよ、じゃあ法の裁きをという話なのかは分からない。

仲直りできなかったのが。
悲しかったのです。

それを相手は知ろうともせず。
私が悪いみたいじゃないかと喚き散らし(悪いから問題になってるんですよ)。
自分は自分は自分は。

そこに
私の感情なんて要らないかのように。

「分かっていただきたいのです」。

仲直りのために自分の感情を後回しにして尽くしても、諦める我慢するしか選べない結末にしか行かないことを。
当事者は誰ひとり、私の気持ちを聞いてなどくれないことを。

そう、私自身すら。

「分かっていただきたいのです」は
わたしから私への
嘆願だったのかもしれません。

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