Twitter漫画「100日後に自〇する猫」を徹底解剖 ~自〇に入る言葉は、何だったのか?~

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10月頃からTwitterで毎日発表してきた漫画「100日後に自〇する猫」が、2020年1月8日でついに「100日目」を迎えた。

公開初期から物語を見続けきたいちファンとして、作者が伝えたかったことを自分なりに読み解いてみようと思う。

100日目に明確な答えを出さなかった作者の意図▼

私を含め多くの読者は、主人公の「てんぷら(ダメ猫)」が100日後にどうなってしまうのかに注目していたことだろう。

有名な某ワニを引き合いに出しつつ、物語の序盤と終盤の様子を安直に捉えるなら「自殺」は避けられない、と思わせるシーンがいくつもあった。

特に95話目以降、良き相棒だった「たかまる」が海外行きを宣言した後のてんぷらの行動は、明確に自殺を暗示しているシーンが複数読み取れる。

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しかし100日目のてんぷらは、実に晴れやかな表情で料理をし、食卓につく姿が描かれ物語は終了している。

この明確な答えが出ない結末に、モヤモヤした読者もいたことだろう。
「ん、これは自炊END?うーん…」
作品を読み終えた直後は私もその一人だった。

しかし恐らく作者は敢えて明確な答えを出さなかったのだと推測する。

つまり「自〇には皆さんの好きな言葉を入れて下さい」という、作品タイトルを読者に委ねるという作者からのメッセージであると私は考える。

作者がこのような形式を取った背景には、読者に「議論の余地」を持たせたかったからではなかろうか。

良い作品というものは、良くも悪くも「議論」が生まれる。今回のように結末の解釈であったり、考察であったり、残された謎であったり、その作品が残した「余韻」にまた熱量が生まれ、その熱量がさらなるファンを生む。

「議論の余地」こそ、コンテンツの魅力を何倍にも際立たせるエッセンスであることを、この作者は理解し、はじめから「自〇」の〇の部分を伏せ、結末においても明確な答えを出さず、私たち読者に投げかける形式を取ったのであれば、マーケティング力に優れた作者であることが伺えるが、とはいえ私なりの結論としてこの物語は
「てんぷらの精神的な自立」がもっともふさわしいように思える。

それまで「誰かに頼った生き方」しかできなかったダメ猫のてんぷらが、最愛の人である母と別れ、ついには最も信頼していた相棒ともお別れしなければならない状況を乗り越え、最終的には晴れやかな表情で料理をしている姿こそ、てんぷらの精神的な自立を暗示しているのではないだろうか。

100話のてんぷらはなんとも晴れやかな表情に見える↓

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自立解釈だと見えてくる自殺ENDへのミスリード▼

この物語が「100日後に自立する猫」であると仮定するなら、作中の自殺を仄めかす描写はすべて作者によるミスリードであることが分かる。

例えば97話

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たかまるが海外へ経ち、部屋に一人残されたてんぷら。茫然自失とする中で、3コマ目と4コマ目に明らかな「変化」が見て取れる。

3コマ目では散らかっていたテーブルが、4コマ目では綺麗に片づけられているのだ。

これは自殺目線でみると、自殺の準備、身辺整理をしているように見えるが、自立解釈だと「一人でもちゃんとしなければ」というてんぷらの自立心の芽生えだと解釈できる。

また、95話目以降はてんぷらの後ろ姿の描写が多くなることも、読者に表情を悟らせないために意図的に描かれている可能性が高い。なぜなら本来のてんぷらは自殺をしようとしているわけではなく自立しているのだから、本来の表情は苦悶ではなく、ぐっと奥歯を噛みしめるような決意の表情を見せているはずだからだ。

こういった小ネタも含め終盤は特に、自殺へのミスリードが多く盛り込まれているのも最後まで注目せざるを得なかった作者のテクニックといえるだろう。

私が「精神的自立」と限定した理由▼

一般的に自立には「経済的自立、生活的自立、精神的自立」の3種類あると言われており、私が本作のてんぷらに対して「精神的自立」と限定したのは、今のてんぷらは経済的、生活的にはまだまだ自立したとは言えないからだ。

不動産からスカウト、Youtuberと職を転々とし、最後に仕事をしている描写が描かれていたのは60日目の「ウーニャー(Uber)イーツ」であり、その後、働いている姿は描かれていない。

まだ(2021年1月初旬時点)続編の発表などは行われていないものの、もしこの作者がはじめから自立を経済、生活、精神に分類し、本作では精神部分にのみスポットを当てていたのだとしたら、次回作は経済的、生活的にも自立していくてんぷらが見られるのかもしれないと、勝手な願望と要望を記録しておく。

たかまる=ドラえもん▼

てんぷらには切っても切り離せない「たかまる」という
一言でいうとポジティブでやたら意識の高い鳥の相棒がいる。

序盤こそ、この鳥はナリを潜めていたが、物語が進むにつれ、てんぷらにとって彼の存在がいかに大きいものかが明らかになってくる。

てんぷらの相棒↓

どんな分野においても常に的確なアドバイス↓

今さら考察するまでもないが、たかまるとてんぷらは対比する存在として描かれており、なぜこの二匹が仲良くしてるの、と物語序盤は疑問に思っていたが68話目にその理由が描かれていた。

要するにてんぷらはたかまるの恩人なのだ。
幼き日のたかまるにとっててんぷらはヒーローだった。

その後、たかまるは地道に努力を重ね成功を収めていく一方で、自信を失い迷走していくてんぷら。それでも二匹の関係性は不変で、幼い頃の恩を律儀に守り続けている姿は、私としてはグッとくるポイントである。

しかし私の周りで、たかまるはとことん不評だ(笑
特に女性票が一向に集まらない。

・どこまでも友達想いな鳥
・努力型ハイスペックな鳥
・とことんポジティブな鳥

これだけの魅力を持ちながら、たかまるよりもてんぷらに圧倒的な票が集まるところに、人(生物)としての魅力の本質が見え隠れしているなぁとしみじみ感じてしまう。

人が何かに感動したり、感情を動かされるのは「共感」するからだ。例えばブラック不動産で、虐げられるてんぷらを見て「かわいそう」とか「わかる」とか感じるのは自分が過去に似たような経験をしたり、自分がもしその立場だったらこう感じるだろうなとか、こう行動してしまうだろうな、といった共感によって、愛着心が芽生えていく。現代社会の闇を体現していくてんぷらには読者とてんぷらをリンクさせるシーンが当然のことながら多い。

加えて私が思うにてんぷらは、敢えて読者の共感に寄り添うキャラクター性で描かれている気がする。悪い言い方をしていまえば、同情票を集めやすい描かれ方をしているということだ。

一方で、たかまるはてんぷらと対比する存在として描かれている。だからこそたかまるに共感するというのは読者にとって難しいのも当然だ。

このたかまるとてんぷらはドラえもんと同じ構造で、いつも失敗してばかりののび太に対して、その解決策を4次元ポケットから提示してくれるドラえもんの関係性と同じ描かれ方をしているが、ドラえもんに対して「ドラえもん、わかる~!」とはなかなかならないだろう(笑

てんぷらに学ぶ愛され方▼

先の項でたかまるの対比=てんぷらと書いたが、果たして本当にてんぷらは本当にダメ猫だったのだろうか?

きっと答えはNoだろう。読者から愛される隠れハイスペック猫てんぷらの魅力に迫っていこうと思う。

①放っておけない危うさ
物語の中でてんぷらは数多くの失敗をする。その度にたかまるに泣きついては、間違った自己解釈をしてまた失敗を繰り返す。
結果的に精神的に逞しくなるてんぷらだが、その放っておけない危うさは男女問わず母性本能をくすぐるものだ。

②実は作中随一の能力を持つキャラ
てんぷらは作中でとにかく「挑戦」を繰り返してきた。結果こそ伴わなかったものの、その行動力の早さや実行力は並大抵のものではない。そしてこの行動力こそビジネス成功において最も重要な武器であることを唱えている人も多いのも事実だ。

③とにかくピュア
てんぷらはとにかくピュアだ。お母さんの育て方が良かったのだろうか、人をどこまでも信じ、疑うことを知らない。
それが風俗嬢であろうが、裏社会のピンチラだろうが、だれでも平等に素直に信じる心を持っている。
そこに付けこまれることはあるが、てんぷらのような存在がまわりに一人(匹)でもいるというのは、すごく幸せなことだと思う。
その好例とも言えるのが、80話で登場したてんぷらのブラック不動産時代の元同僚のシカ馬だろう。
彼は最初こそてんぷらに悪態をついていたが、彼に想いを打ち明けていく内に本当に自分にやりたいことを見つめ直し、転職活動を始める(その後、たかまるの海外ビジネスに参画した描写もあるし今後も出てくるかもしれない)

④とにかくかわいい
結局これに尽きる。
とにかくてんぷらはかわいい。表情が可愛い。仕草がかわいい。物語が進んでいく内にどんどん可愛くなっていく。
こんなかわいいキャラが、四苦八苦して成長していく姿。これが原点であり頂点かもしれない。

さいごに

長々と考察したが、とにかくこの作品は文句なしに面白かった。現代日本のアングラな部分にスポットを当て、そこで苦悩しながらも一生懸命前へ進むてんぷらの姿に感じるものがあった読者も多かったことでしょう。

いちファンとしてこの駄文が、一人でも新たなファンを生み出してくれることを願いつつ、たかまるとてんぷらの次回作を気長に待とうと思います。

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