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徳高く生きることと人間の本質

「徳」を積んで生きる、ということはどういうことだろうか、というのを最近はよく考えている。

何か自分への返ってくることを期待しているのは「徳積み」ではない。
何も見返りを求めずに、何かしら社会のためになることを少しでも積み重ねたいと思った時に、これならできるだろうと考えてみた。

・日頃から微笑みを絶やさないご機嫌な自分でいる
・自分から人に興味を持ち話しかける
・困っている人を見かけたら積極的に手伝う

なぜそう思ったかというと、世界30カ国、50箇所に行ってきて日本を眺めていて思うのことが、
・ベビーカーで電車に乗ろうとするママを助ける人が少ない。
・重たい荷物を階段で運んでいる人を助ける人が少ない。
・電車にいる人たちの表情が総じて暗い。
・「人見知り」なんです、という自分への思い込みを信じている人が多いということ

だから。

誰でも、電車や街中ですれ違った時に、イライラオーラで眉間にしわ寄せた人に舌打ちされていい気分にはならないだろうが、こういう人に出会す確率は結構高い。

ママたちが生き辛そうなのも気に掛かる。重たそうなスーツケースを持っているのに、誰も助けようとしない社会も気になる。

日本人は、いつから、こんなにも「見て見ぬ振り」が上手くなってしまったのだろうか、と悲しくなる。そうは言っても、私自身がどれだけ「見て見ぬ振り」をやめて、ちゃんと行動に移してこれたか、といえば、そうでもない訳で、やはり、日頃から、「社会に優しい自分であろう」「他人に優しい自分であろう」という心がけなくして、実現はできないなぁ、と身につまされるのである。

人に興味を持つことも、難しいことではないはずなのにね。
わたしは、必ず、出会った人たちに、
「今」に至った経緯を聞くことにしている。

「今の仕事についたきっかけはなんですか?」
「今やられているお仕事をしているのはなぜですか?」

だったり、多少ニュアンスは違っても、
聞きたいのは、その人の「人生の背景」だ。

今に至るまでの「ストーリー」に興味があるのだ。
それまでの「生き様」に興味がある。
これを聞かれて気分を損ねる人はそれほどいない。

ここに人間の本質が見える。


人は、「知られたい」のだ。
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本人の思い込みはどうあれ、人は、自分のことを、
「もっと知ってほしい」と思っている。

なのに上手く伝えられなかったり
違うように知られたり、誤解されたりで
傷ついてきた過去を持っている。

だから、「自分を正しく知ってほしい」という欲望を
剥き出しにできないでいる。

だからこそ、
「あなたを知りたい」「あなたを正しく教えて」と
言ってくれる人に心を開き始めるもの。

「知りたい」と心のドアをノックすることは、
実は大きな徳積みなんじゃないかと思う。

さて。
あなたは他人を「知る努力」をしているだろうか。


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