見出し画像

中国 北京(Beijing)【旅ログ#1】

またもや新しいマガジンを作ってしまいました。

そんなに作ったらまるで一貫性がないじゃないかと思うかもしれませんが、一貫性を保つことばかりに縛られてしまってはnoteを存分に楽しめないと思うのです。


今回のマガジンの「旅ログ」は題名通り旅行についての記事です。

旅先の紹介や感想を書いていきたいと思います。

ではではさっそく第一弾にとりかかりましょう。



🌟北京旅行記。 

2019年 12月17日~20日 


🔷万里の長城

一日目からですが、名所中の名所である万里の長城に行ってきました。


○万里の長城の概要   タビトモ参照

今から二千年以上前の春秋戦国時代に万里の長城の原型が築かれた。その後秦の始皇帝が既存の長城をつなぎ、明の永楽帝が外長城、内長城、北京周辺を強固なものにした。世界遺産の一つ。

万里の長城は数々の帝たちによる合作みたいですな。


画像1

画像2


この時期の北京は寒さで終始震えます。

手袋は必須ですね。

でもさすがは万里の長城、あまりの絶景に寒さも吹き飛ぶ勢いでした。


結構混雑してましたね。

道がかなりの急勾配でけっこう疲れました。

なので僕らは頂上あたりをうろうろしてましたよ。

下のほうにも道は繋がっていたんですが、僕らの体力じゃ回り切れませんでした。

文化系サークルだったんで大学ではあんまり運動してないんですよね。


画像3


勾配はこんな感じです。地面には残雪があったのでふつうに危なかったですよ。

脚力が鍛えられました。


画像4

画像5

画像6


頂上やふもとには猫がたくさんいました。

犬も一匹いましたね。

野良犬でしょうか、だとしたら狂犬病をもっているかもしれない。

びびりながら撮影しました。

にゃんこは驚くほどたくさんいましたよ。

特に頂上は猫の住処なんじゃないいかと思うほど。

ちなみに頂上まではケーブルカーを使って登りました。


画像7



🔷頤和園(いわえん、イーホーユアン)

広大な湖です。ガイドブックを読むまで知りませんでした。


○頤和園概要  タビトモ参照

1750年、乾隆帝が実母の還暦を祝うために造営し、以来、皇帝の離宮として栄えた。1860年のアロー号戦争の際に英仏連合軍によって破壊され廃墟と化したが、1880年、西太后が自らの還暦祝いのために78万両という巨額の資金を投じて改修。世界遺産の一つ。

画像8

画像9

絶景です。

出向いて正解でしたね、おすすめの観光スポットです。

想像を絶するほどの面積の広さでした。

さすが中国、デカすぎる。土地が有り余ってますね。

標高は高くないんですが、やっぱり寒すぎた。

冬の北京はおすすめしません。

顔面が凍結しそうです。

寒すぎて湖のいたるところに氷が張っていました。


園内にはお堂や仏閣があります。

画像10

画像11


園内に中国版ラジオ体操みたいなのをやってるご老人の集団がいて、横切りづらかったです。


ごはんは北京ダックやら火鍋やらと北京ぽいものを食べたんですが写真をあまり撮っていなくて…。

次の旅では余すことなく撮りためておこうと思います。


🔷感想

中国旅行は実をいうと色々大変でした。

正直住むのはきついかなあ、なんて思います。


まずタクシーでぼったくられたんです。

相場の倍以上の金額を取られたし、キャッチも強引でもうへとへとでした。

しかも北京は英語があまり通じないんです。

意思疎通がとれなくて本当に大変でしたよ。

stationとかの初歩的な英単語でさえ通じないんだから、もうお手上げです。

笑顔とジェスチャーで乗り切りましたけどね笑

良い経験でした。

個人的にトイレに紙を流せないのがすごく嫌でしたねぇ。

大便をした後、紙でお尻を拭くと思うんですけどその拭いた紙を隣においてあるゴミ箱に捨てなきゃいけないんですよ。

僕はちょっぴり潔癖症なんでふつうにつらかったです(-.-)


でも料理はおいしいし、人柄もよくて(ぼったくりタクシー以外)、なにより観光地の絶景が圧巻で中国凄いなぁって思いました。

中国政府は嫌いだけど。

振り返ってみると楽しかったです。

今はコロナで大変な時期ですが、5年後ぐらいにまた中国に行って世界遺産を見て回りたいです。

社会人になったら旅行を趣味にしてみようかな。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?