夢でしか会えない人
夢でなら簡単に会えるけど、
おそらく夢でしか会えないだろう人。
その人は今も現役の有名な女優さんで、
20年程前に一度だけ、
偶然すれ違ったことがあるだけの人なのだが、
その、わずか2秒くらいの出来事が、
いつまでも強烈な印象として心から消えない。
もしあれが交通事故だったとしたら、
ずっと深刻な後遺症が残っているような状態である。
「人の心を奪う」ということについては、
女優でも男優でも、
スポーツ選手や芸人や、
落語家、能楽者のような伝統芸能の継承者でも、
多かれ少なかれ、誰かの心を奪っており、
逆にそういう才能がなければ芸事は成り立たないと思うのだが、
ただ、印刷物や映像音声を通じて触れるのではなく、
実際に生身の本物に触れた時に、
これほどまでに的確に、心をえぐり取られるようにして、
その人の印象が強く残るものなのかと、
彼女の「カリスマ性」のようなものについては、
少し怖いくらいに感じている。
僕は以前から、夢というものに興味があり、
大学時代にはフロイトの講義を受け、
自分でも気になった夢は書き留めたりしてきたのだが、
会ったこともない、特に好きでもない女優さんが、
時々夢に出て来ることがあった。
それはまさに「女優」として、
何かのメタファーとして、
出て来ているのだろうと思っていたのだが、
それならばなぜ、
こんなに強く印象に残っている彼女は、
夢に出て来ないのだろうかと思っていた。
その彼女がついに夢に出て来たのである。
この一週間で二回、
一回目はその人は本来の女優として出て来て、
僕はその人の出演している番組の、
ディレクターのような立場だった。
撮影の合間の彼女の態度や、
言う言葉の内容がとても感じが良く、
心地よく、洗練されていたので、
「ああ、やっぱりこの人は本当に素敵な人だ」
と、安心したというか、
自分の長年の期待を裏切らずにいてくれた彼女に感謝した。
二回目は、彼女は僕の幼馴染というか、
古くから知っている仲というような役柄。
この古くからというのが、
どのくらい前からなのかはよくわからないのだが、
もしかしたら何千年も前からかもしれない、
と思えるような感じでもあった。
僕と彼女は高校生か大学生くらいで、
修学旅行のような、ゼミ旅行のような雰囲気で、
二人きりではなく大勢で旅行している、
宿泊先の土産物屋の中でお互いの姿を見つけた、
というシチュエーションであった。
お互いに言いたいことはあるんだけど、
まわりの視線が気になって、
言葉を交わすことができず、
その時は目を伏せて通り過ぎたのだが、
後で僕が部屋で寝ていると、
彼女が音もなく部屋に入ってきて、
僕に添い寝して、
「ごめんね、長く会えなくて、
でもあなたのことは一度も忘れたことはなかったから」
と言うのである。
この「長く」というのも、どれくらいなのか、
もしかしたら数千年くらいかもしれない、
とも思えるような感じであった。
夢はここで終わりなのだが、
他の女優さんが出て来た夢とは全然違って、
不安な感じとか、謎めいた感じとか、
マイナスの要素がまったくない、
ただ「調和している」という感じの、
平和な夢であった。
これまで他の女優さんが出て来ていたのも、
この夢が「違う夢」であるということを、
知らせるための予告だったのかもしれない。
本当に何千年も待っていたような「変化」が、
僕の心の中で起こったのかもしれない、
と思えるような、幸福な体験であった。
今ではこの女優さんは夢には出てこない。
何かが解決されたのだろうか。