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過去世の因縁?

これは実話です
NHK出身のコメンテーターの手嶋龍一さんが、
アメリカ総局長時代に、
NHKのお金を5億円くらい着服したらしい、
という噂があるのだが、
そんなような話はザラにあって、
僕の身近でも、手嶋さんに比べたら、
チンケな万引きくらいのレベルだが、
同じような話があった。

手嶋さんの話は噂に過ぎないかもしれないが、
この話は僕が体験した実話である。

以前、あるプロダクションからの依頼で、
ある放送局で放送するための番組を作っていたのだが、
その番組のプロデューサーにあたる立場の人が、
そのテレビ局の社員の人だった。

結果からいえば、そのプロデューサーが、
プロダクションに、
製作費のキックバックを要求していたのだ。

そのプロデューサーは、
テレビ局から番組制作予算をもらい、
そのお金でプロダクションに番組制作を依頼して、
僕はプロダクションの下請けとして、
その番組のディレクターをしていた。

プロダクションはまずそのプロデューサーを接待し、
中洲なんかでお酒をおごって、
その番組の仕事をもらったわけだが、
更に、仕事を発注する条件として、
製作費の10パーセント程度を、
後でそのプロデューサーの口座に振り込むように、
という裏取引があったのだ。

そのプロデューサーは複数のプロダクションと、
同じような裏取引をしており、
その中のどこかから情報が漏れたらしく、
親会社の新聞社が一年ほどかけて内偵調査した末に、
プロデューサーは懲戒解雇、
プロダクションは、その放送局に出入り禁止になった。

そう、そのプロデューサーは、
親会社の新聞社から出向していたのだ。
新聞社の中には、いまだに、
新聞の方が媒体としてテレビより格上、
という意識を持っている人がいるらしく、
新聞社からテレビ局に出向させられることを、
「左遷」のように思う人もいるらしい。

そのプロデューサーも、
自分は左遷された落ちこぼれだ、
という意識を持っていたらしく、
それで自暴自棄になって、
そのような「犯罪」に手を染めたというのだ。

くだらねえ、本当にくだらないと思った。

さらにそのくだらなさにはまだ補足エピソードがあって、
僕が担当していた番組のナレーションをやっていた女性は、
実はそのプロデューサーの愛人で、
たいしてナレーションもうまくないうえに、
こういう人がテレビに出ては駄目でしょう、
と思うくらいのブスで、
それなのに僕の番組ではナレーションをしていたし、
同じプロデューサーが担当する別の番組では、
顔出しで司会もしていたのだ。

一度土曜日にナレーション録りをしたことがあったのだが、
いつもはスーツ姿のそのプロデューサーが、
いかにもこれからデートですと言わんばかりの、
ポロシャツにジーンズというカジュアルな服装で、
ナレーターと同伴で現れ、
ナレ録りをさっさと終わらせて、
「あとはお願いね」と言って、そそくさと、
ナレーターと腕を組んで帰っていった。

ナレ録りを担当していた音効さんは、
その女の香水が臭いと言って、
ナレ録りが終わって帰ったあと、
いつもナレーションブースに、
消臭スプレーを大量にまいていた。

これでいいのかもしれない。
いや、これでいいんだ、と思った。

そのナレーターは、そうでもしなきゃ、
とても仕事はもらえないくらいの、
下手なナレーションと貧相なルックスの方であった。

もしも公正なオーディションをしたら、
僕なら絶対に採用しないし、
そもそもプロフィール写真を見ただけで、
オーディションに呼びさえしないだろう。

そんな人が、それでもどうしても、
テレビの仕事をしたいと思ったら、
プロデューサーの愛人になって、
仕事を回してもらう、という選択肢もアリだし、
よくそんなハードルが高い選択肢を、
頑張って選んだなと感心さえする。

なぜならそのプロデューサーがまた、
金でどうにかしない限りは、
絶対に女なんかには相手にされないような、
ましてや年の若い愛人なんかは絶対に持てないような、
そういうルックスとキャラの人であった。

ほら、新聞社とかテレビ局に、
よくいるでしょう、そんなキャラの人。

僕の友達にはマスコミ関係の人も多いので、
「禿同」してくれる人も多いと思う。
注:「禿同」(©山下くん・同級生)とは、
「激しく同意」という意志を表す、
ネットスラングらしいです。

当時プロデューサーは50歳前後、
ナレーターの女性は、
30代前半くらいであったと思う。

さて、この一件を経験して、
その時僕がどう思ったかというと、
実はその頃僕は売れっ子ディレクターで、
かなり仕事が忙しく、
ややこしくてギャラの安い仕事が、
一本減ってくれて、正直ホッとしたのである。

そしてそれから、くだらねえ、
こいつら、正直、バカだ。
こんなやつらと一緒に仕事なんてやってられねえ、
という気持ちは日に日に強くなり、
数年後には、ディレクターを辞めて、
蕎麦屋の出前になったのであった。

ちなみに補足すると、
そのプロデューサーは村上さんという人、
その村上さんが、愛人のナレーターとグルになって
いじめにいじめぬいていたプロダクションのディレクターがいたのだが、
そのディレクターは、なんと徳川さんという名前の人だった。
これは徳川家と村上水軍の確執が尾を引いているのかと
当時こっそりと思っていたものでした。



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