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大島弓子の「きゃべつちょうちょ」

僕は小学校の5年生くらいの頃、
島根県松江市にある、父の会社の社員寮で暮らしていた。

そこには共同のゴミ収集倉庫のようなものがあったのだが、
ある日、その倉庫に大量の少女マンガ雑誌が捨ててあった。
同じ寮に住む高校生くらいの女の人が捨てたものだったのだろう。
当時はマンガならばどんなものでも読んでいたので、
さっそくその倉庫の床に座り込んで読み始めた。

雑誌は20冊以上はあったと思う。分厚い月刊誌ばかりであった。
日が暮れてきて、読み切れなかった分は家に持ち帰り、
3日くらいかけて全部読んだと思うのだが、
まとめて大量の少女マンガを読んだら、
ストーリーに、あるパターンがあることに気が付いた。

それは、今となってはいかにも少女マンガらしい、
お決まりのパターンだとわかるのだが、例えば、
ドジで目立たないメガネの女の子が、
スポーツ万能で成績も優秀な、
カッコイイ男の子と廊下でぶつかって、
そのはずみでメガネがはずれてしまい、
その子の素顔を見た男の子がキュンとなってしまって、
休みの日に遊園地へ行こうと誘ってくれたりするのだが、
その男の子の事が好きな意地悪な女が一緒に来て、
色々と妨害されて、でも最後には、
男の子とメガネっ子がいい感じになる、といった感じの、
いうなれば「安い」ストーリーであった。

そんなような、同じような展開で同じようなオチのマンガが、
別々の雑誌にも、別々のマンガ家の作品にもあって、
子供心ながらに「パクリじゃねえか」と思った。
しかもそういうマンガたちは絵柄までが似ているのであった。

なので途中から、そういう、先の展開の読めるマンガは、
飛ばして読むようになった。
そんな中、ひとつだけ、
子供にとってはさっぱり意味がわからない、
不思議な絵柄で不思議なストーリーのマンガがあった。

それは、難解で哲学的な内容の作品で、その雑誌の中でも、
その作品の部分だけが妙に浮いているように感じたのだが、
わからないなりにも、なにかの魅力を感じる作品だった。

後に高校生になって、
「綿の国星」という作品に衝撃を受け、
大島弓子のマンガを手当たり次第に買って読むようになったのだが、
その中に小学生の頃に妙に印象に残っていたマンガを見つけた。
それは「きゃべつちょうちょ」という作品であった。

この作品をウィキペディアで調べると、「別冊少女コミック」の
1976年の8月号に掲載された作品だということがわかった。
まさに僕が10歳の時に書かれた作品。
僕はリアルタイムで読んでいたのであった。

その後も大島弓子の作品は新刊を見かければ必ず買っていて、
僕の人生において、
大島弓子さんからいただいたイマジネーションというのは、
はかりしれないものがある。

僕は過去に何度か、マンガの蔵書を、
大量に処分したことがあるので、今手元には、
「きゃべつちょうちょ」が載っている本はないのだが、
あの小学校5年生くらいの時の、
薄暗い、カビ臭い倉庫の中で出会った、
大島弓子の作品の、不思議な、特異な魅力は、
いつまでも僕の中で生き続け、
あるいは発酵し、あるいは熟成しているのである。

大島弓子さんは1995年以降新作を書いていらっしゃらないようだ。しかし、今、日本で発行されているマンガの中には、明らかに大島弓子の作風に影響されている、あるいは大島弓子の作風に影響された漫画家の作品からインスピレーションをもらっているマンガ作品が多数存在している。


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