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ダウン症の長男が小学校3年生まで通常学級に通った理由



親としてとても共感

NHKで放送中の
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
の先日の放送で

草太が朝、小学校に通学するときに
母のひとみが草太に見つからないように尾行しているシーン

数年前の私の姿だった。

我が家の場合は長男が第一子
自宅からすぐの小学校へは
3歳違いの第二子の長女を連れて毎日一緒に学校に行っていた。

中学校は特別支援学校に進学し
中学3年間はスクールバスがあり
スクールバスのバス停まで毎朝一緒に。

そして
高等部へ進学すると
「自力通学」が基本なので
電車と歩きで学校へ。

もちろん私も一緒に。

高校2年くらいから最寄りの駅の改札で
「いってらっしゃい!」
と、学校までの徒歩約15分は一人で行かせていた。

でも
あまりの心配に
10メートルほど離れて
「毎日、尾行」

もしかしたら長男は私が後ろにいるって
気づいていたのかな?

尾行の様子を私の後ろからみたら
間違いなく
「かなりの不審者」
だったと思う。

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
のシーンでも母のひとみが
隠れて見ているのと本当におんなじ。

そして草太が友達とやり取りしている姿をみて
長男が小学校に入学するまでのことを思い出した。

夫婦で悩んだ小学校の就学相談

ダウン症の長男は地域の公立小学校に3年生まで
通常学級に通っていた。

通常学級って言い方は
障がいのある人の家族の特別な言い方だよね。

通常学級とは
特別支援学級ではなくて
みんなと同じクラスで学ぶってこと。

知的に障がいのある長男なら
通常なら
地域の公立小学校に設置されている
「特別支援学級」か

県や都の「特別支援学校」に通う。

小学校に入学するときは
教育委員会での「就学相談」
なるものがあって

いわゆる
「教育の専門家」が
どの学校に通うのが良いか判断する
っていう流れだった。

私は長男が生まれてから
どうしても理解できないことがあった

それは
「障がいがあると、いわゆる”普通”の選択ができないこと」
「普通の子どもたちとは”分けられて”暮らしていくこと」

上手く言えないけど
分けられてしまうことで
長男の存在が無かったことにされるのでは?
というような思いもあった。

障がいがあってもなくても
一緒に育つことで
お互いを理解できる。
と、長男を保育園に通わせている時に実感していた。

だから
せめて小学校の低学年のうちは
みんなと同じクラスで過ごさせたかった。

通常学級で良いと教育委員会からOKが出るまでは
それはそれは大変だった。

何度も教育委員会の話し合いの面談
その後も、入学予定の校長先生との面談

そして何より私のダメージが大きかったのは
同じ歳のダウン症の子のお母さんから

「ダウン症の子を通常学級に入れたいと思うなんて
 親のエゴだよね。」
と、言われたこと。

私は長男が通常学級でやっていける知能があるなんて
これっぽっちも思っていなかった。

ただ、普通に地域のお友達と出会わせてあげたかった。

でも
そのお母さんには何度説明しても分かってもらえなかった。

今になればそのお母さんの気持ちも良く分かる。

知的障がいある子の場合
「療育」がとても大切。

特別支援学級に行けば
「療育」の支援を受けることができる。

でも
「教育」としての
友達とのやり取りや
同じ学年だから一緒にできることの経験は
手に入れるのは難しい。

どちらかを選ぶしかないのだ。

そして、私と夫は
「地域の友達と過ごす時間」
を選んだ。

後悔していたことが間違っていなかったかもと思ったとき

長男は通常学級の1年生で入学した。
当時、住んでいる市には「介助員制度」というのがあり
長男にも授業の時にはマンツーマンでついてくれることになった。

でもそれは
週4日

週1回は母の私が付き添う。
お弁当を持参して
朝の会から帰りの会まで。

我ながら良くやったなあ。
そういえば、夏休みのプールは介助が無いと言われて
プールも一緒に入った。

若かった・・と思う。

でも、この一緒に学校に行っていたおかげで
長男と同じ学年の子どもたちや
その保護者たちに
長男のことを理解してもらう機会ができた。

小学校3年生になると
同じ学年の子どもたちと一緒に過ごすのが
「もう、限界かもしれない」
と思うようになった。

だんだんと差が出てきて
それを長男も感じているのが分かった。

小学校4年生に進級するタイミングで
同じ学校の「特別支援学級」に転籍した。
(これもすったもんだあったんだけど、また今度)

長男が育っていく中で
「通常学級に通わせてしまったことで
 長男の発達のタイミングを逃してしまったのではないか?」
とか
「本当にあれで良かったのか?」
と、思うようになった。

まあ、過去には戻れないんだから
考えても仕方ないんだけど

発語が上手くできない長男が
自分の気持ちを上手く言えないときなんかに
急に思ったりしてしまう。

でも
この後悔を払拭してくれる時があった。

それは
高校3年での就労に向けての
「就労アセスメント」のとき。

約3週間、アセスメントをしてくれる法人に
仕事をするために通って、
就労適正などを判断してもらう制度なんだけど

このアセスメントの結果を聞いたときに
「〇くんは、周りの様子をみて
 自分がどうしらた良いか考える能力がとても高いです。」
「人に合わせることや協調性があります。」
と、言ってもらえて。

「ああ、あの3年は無駄じゃなかったんだ。」
と。

親として長男に過酷な経験をさせてしまったのでは
と、ずっと思ってきた気持ちが
すっと楽になった。

障がいのある子どもを育てるのって
本当に難しい。

普通の人なら選べる選択ができないし
そもそも選択肢にないことの方が多かったりする。

親だからってすべて子どものことを分かっている訳じゃない。

そんななかで、生まれた瞬間から
様々な選択を迫られる。

長男の小学校選びは親として本当に悩んだ。

選択している時にはそれがベストな選択かなんて
分からない。

でも「共に時間を過ごす」時間が
お互いに良い影響だったと信じたい。

毎日、真面目に
B型事業所に通う長男の背中を見ながら
「また、新しい発見があるといいな」
と、思っている。





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