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note「女子プロ野球クライシス」15

3年目の課題

 

2012年。

リーグ設立から3年目。
 

どんな事業でも、
3年目というのは一つの山場になります。
 

記念すべき3球団目

「大阪ブレイビーハニーズ (現・レイア)」

が加わり、
プロ野球選手数も前年から14人増えました。

 
またこの年、
リーグ名を

「GPB45《Girls professional Baseball》」

としました。
 

これはある選手が

「登録名を苗字じゃなくて、
名前にしてほしい」

と言ってきたことがきっかけでした。
 

ファンにも、選手たちに
もっと親しみを持ってもらえるかもと思い、
この年は全選手を下の名前で
登録をしたのですが、

「下の名前が同じ選手が多く、
逆にわかりづらくなった」

という声が上がったため、
翌年は元に戻しました。

 

またこの年の8月10日から8月19日は、

カナダで
第5回IBAF女子野球ワールドカップ
が行われました。

日本を含む8ヶ国が参加し、
世界一を競い合ったのです。
 

私は

「女子野球の普及に必ず役に立つ。
全試合を世界に配信できないか」

と考えアメリカのGoogle 社を訪れました。

 
なんとか全世界配信ができないか、

と打診をしたところ

「Ustream」

という動画配信サービスであれば
配信ができると聞き、即決でお願いしました。
 

日本代表は
予選リーグ1回戦・対オランダ戦を
21―0で勝利、

という圧倒的な戦力を世界に見せつけました。
 

2回戦の対アメリカ戦は3―5
で敗れてしまいましたが、
その後は他の国を10 ―0など大差で下し、
怒涛の連勝劇を繰り広げました。

 
決勝リーグの対アメリカ戦も
予選での敗北の雪辱を果たし
3―0で勝利し、

3度目の金メダルを獲得しました。
 

全世界配信には
1億円以上のコストがかかりましたが、

世界の野球ファン、野球少女に
日本の女子野球のレベルの高さを 
伝えられたと思います。

最初の2年間は、

今までになかったものを世に広げるために

私自ら動き、広報宣伝にも力を入れてきました。

 
しかし、それでは本当の意味で

女子プロ野球を、女子野球を広めること

には繋がらない
と考えた私は、
選手たちとスタッフの

「地力」

を鍛えるために

運営の全てを女子プロ野球リーグに
任せることにしました。

 
人員も増え、運営も経験を積み、

いよいよここからだ、

というタイミングであった3年目でしたが、
リーグは大きな壁にぶつかりました。
 

この年は3月26日〜11月5日までの
半年間で53試合を行い

3万4792人の観客動員数となりました。

なんと

昨年から5万7181人、

62%も減ってしまったのです。

 
私は、
女子プロ野球リーグに収益は求めておらず、

とにかく文化をつくる、

夢を応援する、

ということを考えていたのですが、
毎日現場で活動をしているスタッフからすると、やはり気になるのが目先の数字。

選手からすると、

見てわかる観客数だったのでしょう。

 
私の目から見ても
選手やスタッフが
意気消沈しているのがわかりました。
 

しかし、

私はあえて手を差し伸べませんでした。
 

このような逆境を乗り越える経験は、

必ず役に立つ、

と信じていたからです。

 実際、現場からは

「お客様が来てくれるのは当たり前じゃない」

「自分たちがやりたいことじゃなくて、お客様が観たいことを考えないといけない」

「野球だけでお金を貰っていることに感謝をしないといけない」

という声が上がりはじめました。

 
与えられた環境で野球をするだけであった選手たち、スタッフたちの意識が変わり、行動も変わりはじめました。

 
するとこの年以降、

観客動員数は少しずつですが

毎年右肩上がりに伸びるようになったのです。


日本代表戦

 
またこの年に

「女子プロ野球選抜チーム 対 日本代表チーム」

の強化試合が実現したことは
女子プロ野球にとって
大きなできごととなりました。

 
日本にはすでに

「一般社団法人全日本女子野球連盟」

という組織があります。

 
国際野球連盟が主催する
「女子野球ワールドカップ」や

国際女子野球協会が主催する
「女子野球世界大会」にでる日本代表チームの編成・育成と
「全日本女子硬式野球選手権大会」を主催する団体です。

 
女子野球ワールドカップで
日本代表は初開催の2004年から参加し

銀メダル、銀メダル、金メダル、金メダル

と圧倒的強さを誇っていたのです。

 
その連盟から

「2012年8月に開催される第5回女子野球ワールドカップに向けて、
日本代表チームと女子プロ野球リーグ選抜チームで対戦がしたい」

と連絡があったのです。

「いいね‼ すぐやろう‼」

 
私は即答していました。

 
ワールドカップで圧倒的な成績を収めている
日本代表選手が相手であれば、選手たちに

「世界」

を見せてあげることができる。

勝っても負けても、きっとより志を高く持って野球に打ち込んでくれる。

そう思ったからです。

 
しかし、片桐理事長は
意外な反応を示しました。

「社長、
相手は世界最強の日本代表チームですよ?
もし負けたらどうするんですか?」

 
片桐理事長は
リーグの代表として活動する中で、

女子プロ野球にとても強い情を持ってくれていたのです。

それはそれでありがたいことですが、
あまりに思いが強くなりすぎて、
大事なことを忘れかけていると思った私は、
改めて片桐理事長に切々と話をしました。

「勝つことが全てじゃないんじゃないかな?
片桐さんの女子プロ野球リーグ代表としての
気持ちは痛いほどわかるが、
肝心なことを忘れているような気がするよ」

 
片桐理事長は言葉に詰まっていましたが、
まっすぐにこっちを見てくれていました。


「どちらが勝とうが負けようが、
いい刺激になる。
女子野球を広げようとしている
人同士の交流が盛んになれば、
裾野はもっと広がる。
日本の女子野球を盛り上げるためなら、
どちらが強いかなんて二の次だよ。
そんな小さなことにこだわっていたら、
いつまでたっても
女子野球はマイナースポーツのままだ」

 

私も片桐理事長の目を
しっかりと見つめて言いました。

「思いだしてほしい。
僕は、野球がしたくてもできない
女の子たちの夢や目標のために
女子プロ野球リーグをつくったんだ。
そのためになるのであれば、
できることは全てやろう」

 
片桐理事長は

ハッとした様子で数秒黙っていましたが、
意を決したように言ってくれました。

「……そうでしたね。わかりました! 
早速準備にかかります!」

 
そこから約2ヶ月後。

 
2012年4月23日。
わかさスタジアム京都にて、
女子プロ野球リーグ選抜チーム対日本代表チームの試合が行われました。

1日で2試合をすることとなりました。

 

後から聞いた話ですが、

球場にはスポーツ紙各社の記者が
集まっていたそうで、

《女子プロ野球、〝日本代表〟に敗れる!》


といった記事を期待していたそうです。

そして、第一試合がはじまりました。


不安そうにしている片桐理事長の隣で私は、
 

(頑張れ! 女子野球! どっちも頑張れ!)

そんな思いで試合の行方を見守っていました。
どちらのチームであっても、素晴らしいプレーを見ると、

「今のはいいプレーだなぁ」

 
と、声を漏らしてしまいます。
するとすかさず片桐理事長から

「どっちの味方なんですか!」
 
と言われました。

第一試合の結果は6-1で、

女子プロ野球チームの勝利となりました。

この結果に観客席はざわついているようでした。

「おいおい……前評判と全然違うぞ」

「あのプレー、マグレじゃないな。
女子プロ野球、聞いていたより強いのか?」

といった声も耳に入ってきました。

観客や報道陣がざわついている中、
二試合目が行われました。

勝ったのは二試合目も

女子プロ野球チームでした。

しかもスコアは9-0で圧倒的な勝利です。

正直私も、

ここまでのことになるとは思っていませんでした。

球場内のみんなの予想を覆し、

女子プロ野球チームが

世界最強・日本代表チームを
攻守で圧倒したのです。


 
それまで日本代表選手の中には

「実力はプロより、
アマチュアの日本代表の方が上だ」

と思って、入団テストに参加しない人も多くいました。

しかし、

この試合をきっかけに
翌年から一層多くの、
ハイレベルな選手たちが

女子プロ野球の門

を叩くようになってくれたのです。


本当に、大きな功績でした。

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note版特別コメント

背尾匡徳(せお まさのり)さん

女子プロ野球リーグ3年目
3球団目として

【大阪ブレイビーハニーズ】が誕生!

大阪ブレイビーハニーズの代表を務めていた
背尾匡徳さんへ当時のお話を伺いました。

1番左手が背尾さん

《背尾匡徳さんコメント》

創設当初は球場を借りるのも一苦労で、
正直何度も頭をさげて回っていました。

女子プロ野球リーグ3年目は選手のレベルが上がり、ファンも増えてきたところだったので、

ここから更に

地域密着ができれば

“経営としても安定できるのでは”

と思っていました。

特に大阪でいうと、東大阪と
連携できるレベルにまでコミュニケーションがとれていたので
面白くなるりだろうとワクワクしてました!

「地域に根付く」

「地域から応援される」

という事が成功に繋がると考えていたので、

まずは地盤を固めて地域から信頼される球団にするためにとにかく必死でした!