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石岡市の神社・總社宮でのアートイベント「風土の祭り」を語る。

「神社でアートイベントをやります」
と聞いたらどんなものを想像するだろうか。
 今これを読んでいるあなたが、なにかしら芸術活動に関わる立場にある方であれば、日本史上の神社の役割を参照して作品を作ることを想像するかもしれない。あるいはそうでない方であれば、よくわからないオブジェがにょきにょきと乱立している姿を想像するかもしれない。
 結果から言って、風土の祭りはそうはならなかった。いや、これまで同会場で開催された過去2回もそうだったが、今回それが明確になったというべきだろう。

 地方のアートフェスバブルが続いている現状から考えれば、いまや神社で行われるアートイベントが必ずしもこれまでにはなかった試みだとは言えないし、鑑賞者のなかでそういったアートフェスの経験と比較されながら今回の風土の祭りもあったことだろうと思う。

 それは通俗的に映ったかもしれない。それは保守的に映ったかもしれない。

 2016年10月、県内外から顔合わせのために集められた11名の作家は会場となる總社宮を回りながら自らの未だ見ぬ作品を思い巡らせた。彼らは神社という匿名の概念ではなく、すぐ目の前ある總社宮の今を捉えていた。あるいは我々のような普通の参拝者がそうであるように總社宮を前にして心洗われた様子で佇んでいた。
 作品における少し具体的に分かりやすいところを挙げれば、松本の<通り路>は總社宮が近所の住人の散歩道になっていることが制作の出発点だったことをトークイベントで本人も明言しているし、佐藤が撮影した写真群は總社宮の内部を『日常の勤務』といった風におさめている。その中においては、塩野の<君の肖像>は唯一明確に自らの神道観に対する空洞を吐露したものになっていて異質さを漂わせていたが、本来「神社でアートイベントをやります」と聞けばこの路線はむしろ王道であって、これを異質に感じさせるその他全体が異常であり、アートイベントとしての風土の祭りの特質であったと言っていい。

 これは<コンポン>(出展作家11名のインタビューを敢行し、11冊の小冊子を製作した)の編集をしていた僕だから強く感じたことでもあるが、彼らの作品を作る原動力というか根拠が、誠実が過ぎるほどで驚く。彼らにとってアートは奇をてらってひとと違うことをすることでも、twitterでバズることを狙うことでもない。なにか特殊な技能でも、ましてや勝ち負けを決める競技でもない。真摯に自らの作るものと向き合い、己の像に迫ろうとする、彼らの暮らしや人生そのものだ。なかでも風土の祭りにおいて特に光った作品群は、己の、ではなく、己も含まれる悠久の人々の暮らしに合流していたように僕は感じた。

 3月の風が通る境内で作品たちは自らをアートとそうでないものに分けなかった。大きな声で叫んだりしない。作品たちは神社に、神社を取り巻く生活にぴったりと収まるようにして存在していた。それらを前にして僕たちはいつも通りの生活をすればいいし、その旅でアマガエルやタヌキを見つけて「アマガエルやタヌキだなあ」と思えばいいのである。

 少し逸話めいた話がある。
 白石の<ヨンホンアシ>という白い小さな作品は前回にも出品されていた。搬出の際に会場に残さぬよう数を数え撤収したが、後日会場から「一体見つかった」との連絡を受ける。そこで再度引き取りに行ったところ、不思議なことに見つからずだれもどこにあったかわからなくなってしまったそうだ。
 アートイベントなどという期間を終えても、きっとどこかに潜むようにして彼らはいる。いや、初めからいないといってもいい。どちらにしても結局は同じことかもしれないのだ。

crevasse主宰 大滝航
(風土の祭り展示カタログ掲載「三月の風は桜の匂いをはこんでくるか」より)

・風土の祭り
・2017年3月6日~4月8日
・常陸國總社宮(茨城県石岡市総社2-8-1)
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