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夜にしがみついて、朝で溶かして


はじめまして。れのレイです。クリープハイプがライナーノーツを募集するということで、それは書くしかねぇ!と思って初めてこういった音楽の記事を書くことにしました。しかし、勝手が分からないもので文章を書くことも得意でないので、今回はファンの気持ち代弁ちゃんスタイルで書かせていただきました。まとめる力もなく長ったらしい文となっていますが、ファンの愛をありったけ詰め込んだ文章となっているので長らくお付き合いください。



料理

「愛と平和を煮しめて」強烈だなと思った。でも愛と平和を時間をかけて丁寧に煮る、優しさで溢れていた。初っ端から言葉遊びの連続。というか今までの曲全部なんだけどね。一筋縄で行かないのがクリープハイプの歌詞。「残さずに全部食べて"やるよ"」あくまで自分が優位であるかのような言い方。かと思えば「だからさ そばに居てくれたらそれで腹が膨れる」なんだ、大好きなんじゃん。

2Aからはことばのおべんきょうでもあったように尾崎世界観サイコパス全開。でも最後には「やっぱり横にはツマでしょう」疑いつつも信じている、それでもやっぱりと思わせている。2人は長い時間を過ごしてきたんだろうなと感じさせる歌詞。悲しいのに腹が減る。本当にそうだなと思う。人間生理現象には逆らえない。気持ちにも。



ポリコ

まずこの曲名。ポリコ?私的予想だが、ホコリ→ホリコ→ポリコ(丸をつけることで埃がついているように見せている?)ベースから始まり激しいドラムと、暴れるギターの音。

そうしたい気持ちがあっても余計なものが付いてできない、いくら擦っても取れない、次から次へと生まれる、そんな人間を汚れと密着させて展開される。なかなか取れない"汚れ"。人間そう簡単に変われるものではないと痛感する歌詞だ。でもどこかでこのままでもいいと思っている。している"つもり"でいることが大事なんだ。



二人の間

歌詞という決まった時間内で表す感情というより、どちらかというと言葉では表せないこの空気感を伝えようと言葉を使って表している。矛盾しているように思えるが、そんな曲だ。Aメロ出だしから言葉出てこない詰まる。一見何が言いたいの?となる歌詞かもしれない。しかし、曲が終わったとき空気感が伝わってわかったような気がする。そんな空気わかるわかる。二人にしか分からない間、でも勝手にわかった気になれる。そんな感じ。


ドラム(パーカッション)とベースが作り出す独特のリズム感。そこに加わる特殊な音色のギターリフ。音楽でも二人の間を表そうとしている。ライブではその日毎の"間"が出来てその日限りのものが生まれ空間にいる人だけで共有できる間がまたいい。



四季

「年中無休で生きてるから」初オンエアで聴いた時、あ〜これダメだ刺さりすぎるやつだ、もう直感がそう言っていた。そして案の定、1度聴いただけで自然と歌詞が入ってきすぎてボロ泣き。四季に合わせ展開されていく歌詞。全てが現在ではなく思い出。それらの思い出は四季と結び付けられその季節が来る度に思い出せるのがいい。ふとした瞬間に、ふとしたきっかけで思い出される、素敵だなと思った。人間の細胞は日々少しづつ入れ替わっているし、見た目も移り変わっていく、でも思い出は消えないと思う、だって刻まれるんだから、どこかにこびりついている。毎日細胞入れ替えてるんだから物理的にも疲れるし、生きてる限り疲れるよね。でも年中無休で生きてるんだし、そこにいつでもクリープハイプはある、居てくれる。生きている限りずっと私もクリープハイプの傍に居続けたい。死んでもずっと思い続けたい。そう思わせてくれてありがとう。



愛す

この曲が発表された時、ラジオの放送を何度も巻き戻して聴いたり、MV出た時には友達に見て!と言い次の日には考察までした。結局わからなかったけど。

気持ちを上手く伝えられない、もどかしい思いを愛すに込められている。本当の気持ちとは真逆の行動をしてしまう

「肩にかけたカバンのねじれた部分がもどかしい」から最後の「ねじれてもう戻らない」

あ〜そこに繋がるのか、戻すことは出来なくなってしまったんだな。相手を嫌な気持ちにした後に「逆にね?」を付け足すのは卑怯だけど、上手く感情表せない素直になれない人のあるあるだと思う。好きな人ほど素直に話せないよね空回りしちゃうよね。上手く言えない時に限って、いつも遅れてくるバスは時間通りに来ちゃうんだよね、あ〜上手くいかねぇって。後悔してからじゃ遅いから素直にならないとな。



しょうもな

歌謡曲を思わせるような始まりからの爆発のような音楽、疾走感最高です。ことばのおべんきょうでも解説していたようにAメロの言葉遊びの連続。愛すの歌詞を出だしの歌詞がさしているこの曲を愛すのすぐ後ろにしたのも面白い。それもまた皮肉なんだろうな。「神様どうか こんな言葉が 世間様にいつか届きますように」2回繰り返されてる事で切実な思い、願いが本当に感じる。「今は世間じゃなくてあんたにお前にてめぇに用がある」ドキッとした。流行りじゃなくて伝わる人に伝えようとしている、この人は言葉に追いつかれないスピードで言葉と向き合って、ファンにぶつけてくれてるんだなと思った。



一生に一度愛してるよ

世間の目だけじゃなくて、ファンの目を気にしてるからこういう曲書いてくれてるんだよな尾崎世界観最高だよ。目を見て歌われてるように感じる。ファンの心読めるのかなこの人?皮肉たっぷりの愛情、ちゃんと還元してくれるバンド他には見つからない。ことばのおべんきょうで、尾崎さんが言っていたファンのことは恋人と思っていると言っていたけど、それは他のバンドマンがいう、不安定な、軽い意味の恋人ではなくて、恋人と思っていてくれるからこそ付かず離れずの関係でいれるのかなと思う。バンドの未来を優先しているのかなと思ったらしっかりファンのための曲も作ってくれる。だから恋人という表現をされても、使い捨ての恋人ではなくて、永久の恋人でいれるんだろうなと安心できた。付かず離れずで、ずっと倦怠期みたいでずっとズブズブな関係で...



ニガツノナミダ

ひとつ上手くいかない日は全部上手くいかないんだよなぁ。30秒はしっかり切実に仕事をこなす、そこからの残りの時間を余生と表現するのも流石なと思った。でも結局CMと結びつけていく最初から最後までやられっぱなし。ヤケクソの気持ちとCMの内容を上手く絡めて「結局欲しいのは他人の評価で」と言ってしまう。言っちゃうんだ、言っちゃうんだよなぁ。タイアップも逆手に取っちゃうんだよなぁ。我慢したから残りの余生は好きにさせてくれよっていいながら、心のどこかでは忘れてなくて仕事をこなしてしまう。わかるそんなすぐに吹っ切れないよ、チョコ渡せなかったらずっと引きずるよ。忘れたい気持ちとは逆の行動してしまう、人間そういう構造で出来てしまってるんだよな〜。つら〜。頑張るんじゃなくて、余生を楽しむ気持ち大事だな。



ナイトオンザプラネット

まずひとつ。クリープハイプの日に一足早く聴けた人羨ましすぎる。だってこんなクリープハイプの革命を1番に体験出来たんだよ???羨まし〜。ライブ終わりのタイムラインは尾崎さんがラップしてた!!でいっぱい。訳分からんよ。でも聴いて納得。尾崎世界観ラップもできるとかなんだよ。韻も踏めるしなんなんだよ。それもその曲が映画になった?楽しみすぎるじゃん。「それでちょっと思い出しただけ」この歌詞は相手に言っている気もするし、自分に違う違う!って言い聞かせている気もする。夜にしがみついているのは思い出、でも朝になると溶けてしまう、思い出せないけれど後味だけする。10周年ライブが中止になった中この曲が書かれていたかと思うと自分は何していたんだろうと思う。悔しい思いも曲に還元してしまう尾崎さん。恐らくこの曲が今のアルバムの、さまざまな活動のきっかけになったと大切な曲だと思う。受け取ったからには大切に育てていきたいと思う。



しらす

しらすのお目目は天の川ってカオナシさんはきらきらした星みたいに見えてるのかな。

カオナシさんのコーラスをたっぷり聴けてしまう最高じゃん。今までさまざまなカオナシさんの世界観を見せられてきたが、また新境地だった。しらすたちがお祭りしているかのような情景が浮かび上がってくる。あと、この曲聞く度にセブンルール思い出しちゃう。尾崎世界観の日のゲストで来ていた長谷川カオナシさんが、足で鈴を鳴らしながら、ダンスをしながらこの曲歌ったのは印象的すぎる。もう1回聴きてぇ、はやく聴きてぇー!ってなってました。アルバムの収録曲見た時キターー!になりましたよね。アレンジも最高だし、この曲がライブでどういう風に演奏されて育っていくのか本当に楽しみ。声が出せるようになったらランランランラララララ歌うんだろうな〜楽しいだろうな〜。



なんか出てきちゃってる

作曲名に小川幸慈が入ってる?!?歌詞が公開されてタイムラインがザワザワ。歌詞が歌詞と言うよりひとつのフレーズしか出てこない。これは予測不可能でした。そしてリリース日。なんか後ろで尾崎さん喋ってるんだけど〜???とりあえずなんかネジが出てきちゃってだよね。抜こうか抜かないか、抜くよ!あ、まだ抜かない。もう入ってもない幸慈さんの笑い声まで聞こえてきちゃってるよ!これもライブでどうなるんだろうな〜尾崎さん真ん中でブツブツ言うのかな〜楽しみだな〜〜〜

私もなんか出てきちゃってそうだな〜



キケンナアソビ

聴き手想像力全開で聴いちゃう曲きました。一見そういう系の曲ね〜と流してしまうかもしれない。しかし、快楽の間から垣間見れる寂しさ、愛情を求める感情が見えてくる。体で繋ぎ止められている関係、首からしただけでも愛してよ。体だけで繋ぎ止められているからこそすぐ切れてしまう関係。恐らく相手には本命がいて、その事はもう諦めている、物分りのいい自分でいたいと言い聞かせている。そんな関係でも体だけでもいいから愛して欲しい。バカみたいっていっても首から上は嘘の匂いを自分自身に残してしまう。切ない曲だ。尾崎世界観はほんとクズ男に引っかかるどうしようもない女の感情読み取る天才。



モノマネ

ボーイズENDガールズの続編の曲。そうENDが予想されている。終わる時が来てしまった。あ〜しんどい〜!!!相手のことが大好き過ぎた自分は好きすぎるが故にモノマネになっていたんだろうな。モノマネしていたけれど結局は気持ちまでわかってモノマネすることはできなかった。全部全部一緒がいい。違うところに怒るのは不幸せだよ、違う気持ちを許してあげるのは幸せ。そう思っていたけどそう出来ていなかったのは自分自身だって今更気づいた。ボーイズENDガールズから続けて聴くと本当に大好きだったんだよねって浸りすぎて、その後に聴くモノマネは愛で溢れた日々が思い出されて最終的にはなりきって聞いちゃうやつ。でも、相手のことを見えてなかったって気づける所も愛なのかなって思えた。



幽霊失格

2020年9月8日丑三つ時、幽霊失格の歌詞が公開された。歌詞を見ただけで優しさで溢れて泣いてしまった。その日の夕方歌詞解説が行われた。失格なのは幽霊じゃなくて人間である自分自身だと。無意識のうちに聴き手が勝手に想像出来るようにされた工夫、クリープハイプの歌詞がここまで作り込まれていたなんて。深いと言っていた今までの歌詞たちは表面しか読めていないのに深みを感じて、歌詞解説の後どの曲を聴いても、今まで以上に深みが増していた。ここまで聴き手を無意識にも引き込んでいるのかと。クリープハイプの歌詞と更に向き合って聴くよう意識するようになった日。

幽霊を匂わせるサウンドも流石だ。ピアノの音がなっている時は出できているのかなと勝手に想像してしまっている。幽霊が現れるのは幽霊自身に未練があるかのように思われるが、それは人間の未練が生み出しているものにすぎない。そんな考え方をできる尾崎世界観すごすぎる。「成仏して消えるくらいならいつまででも恨んでて」そんな風に思われたいし、思える人を作りたいなと思った。幽霊失格の歌詞には愛の言い換えで溢れている。この曲自体がそうなのかもしれない。



こんなに悲しいのに腹が鳴る

夕方5時になるアレみたいな安心感。2本のギターが鳴らすそれぞれのリフとアコギのコード。それぞれがそれぞれのスピードと歩幅で歩いているかのような。どんなに苦しくても、やってられなくても、悲しくても、腹は鳴る。その音で現実に戻される、我に返る。気持ちはコントロールできるかもしれないけど生理現象には逆らえない、生き物の弱みかもしれないけど、確かに生きていると思えること。

どんなに後ろ向きな状況で下を向いている時でも、腹の音が鳴ると情けない音で笑ってしまう。情けない音かもしれないけどいつでも笑わせてくれる、助けてくれる、優しい音なのかもしれない。





最後まで読んでいただきありがとうございます。今までライブ後は必ずレポを書いていたのですが、それをどこかにあげるといった試みはした事がなく、初めてやってみたのですが、書くことによってより向き合い知り好きになることが出来ました。機会を与えてくれたクリープハイプに感謝です。ありがとうございます。

アルバムから沢山の色んな形の愛を受けたので、次はこちらから愛を沢山送りたいと思います!

読んでいただきありがとうございました。

またどこかで。

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