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生まれ変わったら建築家になりたい、と少し思った。

 東京国立近代美術館で開催されている「隈研吾展-新しい公共性をつくるためのネコの5原則」を鑑賞した。今や日本を代表する建築家となった同氏の作品の中から公共性を高いものを中心に、以下の3つのパートで構成されている。まず、「孔(HOLE)」「粒子(PARTICLES)」「やわらかい(SOFTNESS)」「斜め(OBLIQUE)」「時間(TIME)」という隈が考える、新しい公共性をつくるための5原則にわけて作品が紹介されるパート。次いで、その5原則を開発するにあたって都市における猫の行動の解析内容を紹介するパート。そして、隈の建築に関わった人たちの証言映像によって、その歴史的位置づけを明らかにするパートだ。

 本展覧会に至った思いは、コロナ禍における教訓として「ハコは危ない」と痛感したことだと隈は述べている。ハコの起源を14世紀のペストに遡り、近代科学、哲学、近代建築の道筋を辿りながらその生成と発展を明らかにする。そして行きついたのが、都市の「隙間」とも言える公共空間の発見。その機能を明らかにするために、都市の中を自在に移動する猫にヒントを得て研究し5つの原則に至った。

 それぞれの原則を紹介する隈の言葉が示唆に富む。特に「斜め」の説明文の一節には考えさせられた。

1万年前、地面を無理やり水平にならして農業がスタートした時に、すでに人間は、工業的なもの、都市的なものへの一歩を踏み出していた。すなわち地面を、フラットにし、雑草を除去した日、すでに人間はシステムというものに対する隷属を始め、効率や、幸福という名の不幸が始まったのである。

 コロナによって起こった生活や働く現場での変化は、全く予測もしなかったものではなく、潜在的に感じていたものを露にして加速化させた、と私は考える。町や職場で失われつつある、上下ではない斜めのコミュニケーションや、雑談という「隙間」の必要性が改めて見直されている。それを隈は建築と言うカタチで可視化し、我々に問いかけている。

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 作品の中でも、個人的に気に入ったのは「800年後の方丈庵」だ。鴨長明の没後800年を記念して、長明の庵のあった下賀茂神社の境内に置かれた。ETFEという透明な膜、細い木材、超強力磁石という3つの素材を組み合わせ、長明がそうしたように持ち運べる工夫が凝らしてある。ハコの思想から脱した元祖的な存在とも言える長明へのオマージュだ。

 証言映像の展示に際しては、社会学的なオーラル・ヒストリーの手法が採られたという。特に、震災で大きな被害を受けた南三陸での隈の取り組みを証言する佐藤町長や南三陸街づくり未来代表の三浦氏の口を通じて、同地を訪れて惨状に戸惑う隈が地元とどのようなコミュニケーションを積み上げて行ったのかが明らかにされ、建築家自身が社会学者としての側面を持つことがわかる。

 いまオーラル・ヒストリーの価値が見直されている。話題となっているのが社会学者である岸正彦氏が編纂した「東京の生活史」だ。

 全1200ページに渡る、いわゆる鈍器本。公募で集まられた150名の人たちが、それぞれに150名の知人友人にインタビューし、全国からの、あるいは海外からの人たちが集積する東京の姿を浮かびがらせる。なぜ、この本が評判を呼んでいるのか。データや数字ではなく、人の言葉への意味を感じ始めた現在の空気を反映しているのだろうか。

 美術館を出て大手町や丸の内のビル群の中を通ると、そこにネコの5原則のいずれも見当たらないことに改めて気づかされ、息苦しさを感じた。そして。生まれ変わったら、人の幸せに向き合う建築家になりたい、と少し思った。

#隈研吾 #東京国立近代美術館




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