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「107年の人生」という作品-篠田桃江展を観て

 東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「篠田桃江展」を鑑賞した。
篠田桃紅展展覧会について|東京オペラシティ アートギャラリー (operacity.jp)

 篠田桃江は1913年に中国・大連に生まれ、1956年に渡米しニューヨークを拠点に作家活動を行いながら抽象表現主義の作家たちとの交流を行った。帰国後は壁画や壁書、レリーフなどの建築に関わる仕事や寺社の襖絵などの大作を描く一方で、リトグラフや装丁、題字随筆を手掛けるなど多岐にわたる活動を長年に渡って精力的に行いながら独自の抽象表現主義の領域を開拓し、昨年107歳で逝去した。
 
 展覧会では、書家として出発した初期の作品から渡米を経て抽象表現として独自の作風を確立した作品群、1970年代以降の代表的な連作、そして晩年の作品までを一挙に展示し、その全貌を辿ることができる。

 その作品の特徴は、まず「潔さ」だ。数十センチの小スペースのものから縦横2メートル大の大作まで、一貫して筆の運びや色の塗り方に迷いが感じられない。線も色面もシャープだ。書家としての立ち位置をぶらさなかったため、使っている色は黒を基調として限られており、直線、曲線、箱型の面などの要素は一貫している。だが、そこから広がる世界は無限のように感じられる。

 表現がシンプルだからこそ、鑑賞するシチュエーションによって受ける印象もまったく異なる。少し遠めに見る時には、その勢いのある筆致に挑まれるように感じ、近づいて見ると吸い込まれるかのような感覚を覚える。明るい照明のもとでは華やかな屏風絵のようで、暗い明度の中では洞窟の壁画のように見える。

 欧米の抽象表現主義と一線を画したのは、文字と形象(カタチ)を一体化させたことだ。桃江自身「文字を記号としてではなく形として捉えた」という言葉を残している。その筆によって文字は形となり、形は文字となった。作品群を前にして、手書きで文字を書くことが少なくなった我々が、いかに「美しい形としての文字」から遠ざかってしまったのかを知らされる。

 あるいは、宮沢賢治のような「共感覚(ある感覚刺激によって他の感覚を得る現象)」を持っていたのではないかと思わせる作品がある。いくつか「音」というタイトルの作品があるが、筆の動きに同期して音楽が聴こえていたのではないだろうか。

 桃江が一貫して探求して来たもの。それは「時間」だと言われている。資生堂のコーポレートメッセージ「一瞬も一生も美しく」は、まるで桃江のためにあるような言葉ではないか。あるいは、日本ならではの折々の四季の時間も表現されている。だが、1983年に桃江はこういう言葉も残している。

四季のうつり変わりが、この頃は狂いが出て来ているようで、うつろいの微妙な時間が損なわれてる感じがする。

 地球温暖化という言葉が世界的に広まり始めたのは、1988年のアメリカ上院での報告からだとされているが、その5年前に芸術家は肌身で察していたのだ。

 展覧会の作品の中で最も感銘を受けたのは「百」という作品である。金箔の上に白と銀の線が勢いよく立ち上り、まるで実りを待つ稲穂のようだ。2012年、桃江99歳の時に描かれた。

 桃江は多くのエッセイも書いているが、自分の人生についてこのように綴っている。

 私の引いた一本の線は言い訳ができない。
 逃げ隠れも一切できない。 
 どこにも、誰にも、責任をなすりつけることができない。
 一本の線は、私と一体になっている。
 私そのもの。
 あなたの人生も、一本の線。
                 (「一本の線」)

 展覧会の作品群を見終えた時、篠田桃江は「篠田桃江」としか呼ぶことのできないジャンルを築き、その人生そのものが「作品」なのだということの意味を考えた。人生100年時代と言われるいま、その作品や人生をもっと知らなければいけない、と思った。

#篠田桃江  

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