見出し画像

私のキャリア実験ノート(6)作品に人間性が出る。人生と同じだ。

 武蔵野美術大学での学びの中で、「耳事件」と自分で名付けている出来事がある。あるテーマを与えられ造形にする授業があるのだが、評価の方式がなかなかエグイ。「屋台プレゼンテーション」と呼ばれるもので、学生が一人ひとつ長机を与えられ、作品を置き学生自身もそこに座る。先生方が机を廻り、学生の目の前に置かれた評価シートにシールを貼って行く。評価項目は「アイデア」「表現力」そして「共感」。学生は先生が廻る間、言葉を発してはいけない。なぜなら、デザイナーは店舗に置かれた商品(作品)でのみ評価されるから。で、私の場合ほとんどシートにシールは貼られなかった。正に公開処刑。「酒井さん、入学前はこんな目に遭うなんて思ってもいなかったでしょ」と、ある先生が残忍な笑顔を浮かべて仰った。

 その授業のテーマのひとつが「プレゼント」だった。自分がプレゼントを贈りたい人を想定し、その思いを造形にする。私は、会社時代に何百人という社員のキャリアカウンセリングをしてくださったNさんというカウンセラーの方を想定し御礼の手紙を書くと共に、プレゼントとして絵の具で黄金に色付けした耳の造形をつくった。トロフィーをイメージしたのだ。だが、評価はさんざんだった。「これをプレゼントされて本当に喜ばれると思いますか?」と言われた。

 世の中で創造的思考と言えば「デザイン思考」と同義に語られている。アメリカのデザインファームIDEOの創立者・ケリー兄弟が提唱し全世界に広まった。だが、もうひとつの創造的思考が存在する。いわゆる「意味のイノベーション」と言われ、こちらはミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティが提唱している。デザイン思考が人間中心設計(Human Centered Design)のもとユーザー視点を重視する問題解決に重きを置くのに対し、「意味のイノベーション」は対極のアプローチを取る。VUCAやWicked problem(厄介な問題)という言葉に代表される理解しがたい世の中では、人々に新たなビジョンや提案をする必要があるという問題意識から、「なぜ(Why)」を追求することによってモノの新しい理由を問いかけ、それがイノベーションを一段引き上げる、と主張する。

 そして両者は、デザイン思考が「外から内へ」、意味のイノベーションは「内から外へ」という言葉で対比される。このどちらが正しくてどちらが正しくない、ということではなく、デザインであれアートであれ、この両面の視点と実現が必要となる。私の「黄金の耳」の場合、「内から外へ」のビジョンは良かったのだが、造形として評価される「外から内へ」の過程がまるで出来ていなかった、というわけだ。もうひとつ、「評価される」ことに過度に敏感になっている自分がいることに気づいた。会社時代の評価システムによって染み付いたものなのだろう。美大では、作品によって評価を受けるが、それ以前に自分の在り方や表現したいものを徹底的に問う。最も心に残ったのは、ある先生が仰った「作品に人間性が出る」という言葉だった。人生も同じだ。

 この耳事件で悩んだ私は、先生方にヒヤリングを行った。リフレクションを行い、学んだことの「意味」を問い直す必要があると思ったからだ。どの先生方も丁寧に意見を言ってくださったが、その過程で蘇って来たのは、新人コピーライターとして経験し感じたことだった。それは「創造性は、一日にして成らず」ということだ。新人コピーライター時代の2年間、私は毎日、30本のキャッチフレーズを書き続けた。質が追い付いていない以上、量を書かなければ人様に出せる商品にならない。書いて書いて書きまくるうちに、段々、質が伴って来る。もうこれ以上案が出ない!と思ったその先に「抜ける」という現象が起こる。凝り固まったアタマで考えていた時には思いつかなかった発想のジャンプが生まれるのだ。

 いわゆるデザイン思考やアート思考は「直観」や「美意識」と言う言葉で語られることが多い。だが、そこに至る過程は、当事者のクリエイターにしかわからず、語られることもない。私がコピーライターだった時代、コピーを考える姿は「鶴の恩返し」にたとえられた。ウンウン唸り七転八倒しながら必死に筆を動かす姿は、人様に見せるものではない。何事もなかったように涼しい顔でとびきりのコピーをクライアントに提案する。それが美学とされた。かくて「センスのある人がクリエイターになる」という神話と誤解が生まれる。だが、デザイナーやアーティストが造形する過程には、おそらく私が経験したことの何倍もの苦しみと葛藤がある。作品が出来上がるまで、ひたすら自分と向き合い、それをカタチにするまで「しつこくしつこく」手を動かし続ける。

 創造性は、本来誰にでも備わっているものであり、その在り方は一人ひとり異なるのだと思う。だが、それが開発され発揮される道筋には苦しみが伴い、日々、ひたすら自分の意味を問い、手を動かす地道な鍛錬と徹底的な「しつこさ」の先に創造の喜びが生まれる。そうして磨かれるのが、何かを感じて言葉にする以前の感覚。西田幾多郎が「純粋経験」と呼んだ感覚だ。創造性を「思考」の枠組みだけで捉えては世界のひとつの側面を見ているに過ぎない。思考では語りつくせない身体的側面がある。今から、自分がデザイナーやアーティストになれるとは思えない(なれるかもしれないが)。だが、デザイナーやアーティストが辿る道の一端を経験し、その苦労や思いだけは少し理解できたつもりだ。
 
 さて。手を動かす。簡単なことだと思われるかもしれないが、恐ろしいのは日々手を動かし続けていないと、いざアイデアを生む出す段階で「手が動かない」という現象が生まれる。正にいま、私が直面していることだ。あと1か月後に迫った卒業制作展覧会(卒展)に向け、自分の研究テーマを造形しなければならないのだが、手が動かない・・・(つづく)。


#キャリア #働き方 #デザイン #アート





 


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
7