小さくても強くて豊かな世界観を持つということ

 去る8月10日、武蔵野美術大学大学院造形構想研究科修士2年の授業「クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ」のゲスト講師として、株式会社ビービット 藤井保文さん(東アジア営業責任者)をお迎えした。同社で「エクスペリエンス・デザイン・コンサルタント」として金融、教育、ECなどさまざまな企業のデジタルUX改善を支援されると共に、台北、上海支社経験を通じた日本企業や社会への提言もされている。

 ご講演は「アフターデジタルとUXづくりの時代」というタイトルで、最新刊「アフターデジタル2 UXと自由」の内容をご紹介頂く展開となった。

https://www.amazon.co.jp/dp/4296106317

 お話は、少し前までは「あちらの世界」のようだった中国(特に上海)におけるデジタル浸透社会がコロナによって、日本でもにわかにリアリティを持ち始めている、という事例をご紹介頂くことからスタート。もはや「リアルにくっついたデジタル」ではなく「デジタルにリアルが包含される」世界観として理解すること。だからこそ「リアルな接点」を信頼の構築、感動体験の場として活かす視点が重要であり、それは同時に「行動データの時代」であり、顧客×行動データの取得・活用によって、最適なタイミング×コンテンツ×コミュニケーションの提供が可能となり、企業競争の焦点が「製品」から「体験」へと移行することをご説明頂いた。

 そこで必要となるのが「OMO(Online Merges with Offline)」という思考法。オンラインとオフラインを分けず、シームレスに捉える考え方だ。企業もこの考え方に沿った構造に変換することで初めて最適なサービスを提供できるが、日本においてはそれが実現されていないために市場(生活者)との間のずれが生じている、という。

 そして、産業構造も大きな転換が起こりつつある。従来型の製品販売を行うメーカーは最下部となり、その上に圧倒的なUXを提供するサービサーが位置し、更にその上位には決済を軸に顧客の状況を詳細・精密に理解する決済プラットフォーマーが業界横串で君臨することになる。日本企業が見誤っているのは、データありきとなっている点。あくまで「体験」を起点とする「体験品質」の実現が生き残りのポイント、ということになる。


 続いてご紹介頂いた考え方が、ご講演のクライマックスとなった。それは「アーキテクチャ」という概念(というより意識の持ち方に近いかもしれない)。UXは、もともとウェブ上の体験設計力に過ぎなかったが、OMOの到来によって「社会における行動モデルの提案」という社会アーキテクチャの一端を担うことまで可能となった。しかも、それは国主導ではなく企業による「De-Centralization」のカタチで。

      だからこそ、「責任と努力」が必要となる

 と藤井さんは力説する。ご紹介頂いたのは、アリババやタクシー配車サービスのDiDiの事例。アリババでは、良い行動をすると蓄積される「信用スコア」の導入によって人々の行動が変わり民度が上がり、DiDiのケースではドライバーをスコアリングすることによってタクシー体験は変わった。つまり、企業が実現したい社会構造をつくることや社会変革が可能となったのだ。だが、その一方でリスクもはらむ。自由を奪ったり誘導したりする能力を発動することや企業がデータの使い方を誤ると国による規制が発動されることとなる。

 最後に藤井さんが言及されたのが日本が目指しうるアフターデジタルの方向性。中国では「負からの解放(Free from)」を軸にプラットフォームを作れたが、多様化し人口も多くない日本においては、むしろ生き方や自己実現を助ける「Liberty獲得」方向に促進する必要がある、という。

 以上がご講義の概要となる。正直、お話の前半部分(体験品質)はこれまでのUXやデザイン思考に関する本や講演などで見聞きして来た内容との差があまり感じられず、また、後半部分(アフターデジタルの方向性)は、やや楽観的で性善説に寄りすぎている印象を持った。短い講演時間ではそうならざるを得なかったのかもしれない。だが、最後に強調された「自由と責任」のくだりが心に残り、ご著書(アフターデジタル2)を購入して読んでみた。

 そこには1時間半に凝縮された内容が、丁寧に誠実に語られており、藤井さんがあえて楽観的・性善説であろうと「ハラをくくっている」のだと気づいた。ご著書で繰り返し言及されているのが「世界観」という言葉。コロナと言う先が見えない状況の中で、誰もが、その世界観を試されている。世界観というと、例えばGoogleの「すべての情報を検索する」に代表される壮大なものを思いつく。だが「大それた社会的に良い事より、オンリーワンの豊かな社会(世界)観を」という藤井さんの言葉に私は共感する。

  いま、世界を牽引すべき超大国が、いずれもエゴをむき出しにしている。香港では、いとも簡単に人権が蹂躙(じゅうりん)された。中国だけでなく、世界中が藤井さんが危惧する「ディストピア(反ユートピア)」となるリスクは大きいと感じる。だからこそ、国や企業頼みにせず、むしろそれに負けない「小さくても強くて豊かな世界観」を一人ひとりが持つ意味は大きい。藤井さんのお話やその主張は、UXに関わろうと関わるまいと、すべての人に大切な姿勢なのだと、私は感じた。

 



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