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モノクロの時代を生き抜いて来た作家の軌跡-「ゲルハルト・リヒター展」を観て

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 東京国立近代美術館で開催中の「ゲルハルト・リヒター展」を鑑賞した。リヒターは、1932年にドイツ東部のドレスデンで生まれ、ベルリンの壁が作られる直前に西ドイツに移住し、比類のない作品群で今や現代における「生ける伝説」的な存在になっている作家だ。その生涯も映画化されている。
ゲルハルト・リヒター展 (exhibit.jp)

 そのリヒターの全貌や最新作も紹介されることもあって、本展覧会は本年最大の注目を浴び開催が待たれていた。語り尽くされて来た作家だが、私自身はその作風について詳しいわけではない。その「初見者」の立場からの鑑賞記を綴りたい。

 展覧会は彼の作品をジャンル分けした8つのコーナーに分けられている。対照的なのが「アブストラクト・ペインティング」と「カラーチャート」だ。

 前者は、「スキージ」と呼ばれる自作の大きく長細いヘラを用いてキャンバス上で絵具をひきずるように延ばしたり削り取ったりする手法によって生み出された作品群。いくつもの層から成る無数の絵の具がキャンバス上に散りばめられる。後者は、既製品の色見本の色彩を配置した作品だ。前者が混然として非規則的なのに対し、後者は整然として規則的。まるで意識と無意識の対称性を描いているようにも見える。しかし、両者に共通するのが「実験性と偶然性」だ。実はカラーチャートシリーズも思いつくままに配列しているという。逆に非規則的なアブストラクト・ペィンテイングの作品群を見渡すと、なぜかそこに一定の規則性を見出すこともできる。この2つのシリーズを見比べることによって、私たちの持っている概念や固定観念の境界が曖昧なものになる。

 リヒターは「見るという行為」の複雑性を問いかける作家だと言われる。それを体感できるのが「ストリップ」と言われるデジタルプリントの作品だ。

 自作品をスキャンしたデジタル画像を縦に2等分し続け、幅0.3ミリほどの細い色の帯をつくるという手法。横幅(おそらく)10メートルの巨大な色の帯に近づいて行くと、視界がぐにゃりと湾曲するような感覚に襲われる。自分の視覚機能に「ゆらぎ」が生じ、自分が見ていると思っている行為は果たして本当に「見ている」ことなのか、の疑念が湧いてくる。

 本展覧会の最大の目玉は「ビルケナウ」という4点から成る作品だ。殺戮収容所と呼ばれたアウシュビッツ強制収容所で密かに撮影された写真をもとに描いた絵(これも「フォト・ペインティング」というリヒターの代名詞ともなっている手法)の上に絵の具を塗りこめ「スキージ(へら)」によって抽象絵画となっている。

 その色彩は、いずれも暗く陰鬱だ。絵の具の向こうに、写真とおぼしき画像が見え隠れするように感じるのは、自分がそれを見出したいという無意識の作用なのだろうか。このコーナーのもうひとつの仕掛けは、大きな灰色(グレイ)の鏡で空間全体がぼんやりと投影されていることだ。「グレイ」は、リヒターのテーマのひとつで「無」を象徴するという。4点の絵画は、鏡の向こうに更に続いている。その中には自分を含む鑑賞者たちの姿を見ることができる。写真を絵画によって塗り込めた作品も、この灰色の鏡も、時間は連続しているのに、いとも簡単に歴史の事実を抹消する私たちの記憶の危うさを問うているようだ。

 この灰色の鏡の空間に居て思い出したのが、前だって放映されたNHK・映像の世紀の新シリーズ「バタフライエフェクト」で紹介されたドイツ前首相メルケルのエピソードだ。彼女は昨年末に行われた退任式で、一曲の歌を演奏するように所望する。曲名は「カラーフィルムを忘れたのね」。ニーナ・ハーゲンが歌った東ドイツで大ヒットした曲で、一緒に旅行したボーイフレンドがカラーフィルムを忘れ、記念写真がすべてモノクロになってしまったことに怒る女性の話である。当時の東ドイツが「モノクロ」の社会だったことを暗示しているという。メルケルはこの歌を「青春の思い出」だと語ったが、そこにはドイツ社会を再びモノクロにしてはならない、という思いが込られていたはずだ。その同じ思いを、私は「ビルケナウ」から感じた。

 リヒターの作品群を見て感じるのは「ドイツ」というものの存在だ。図らずも国の歴史を背負ってしまった(連邦議会議事堂にも彼の巨大な作品が掲げられている)ひとりの画家の心の軌跡を感じる。

 「ビルケナウ」を描き終えた後の「アブストラクト・ペインティング」シリーズの色彩は明るくなり、引退宣言をした後に始めた「ドローイング」のタッチは軽やかで、それらを眼にした時に、国という重荷をおろした作家の「ホッ」という安堵のため息が聞こえる気がする。

 しかし、どの作品であれリヒターの作品に通底するのは、いかにもドイツ的(あるいはゲルマン的)な「粘り強さとち密さ」だ。芸術家は、やはり自らの出自や血から逃れることができないのだろうか。

#ゲルハルト・リヒター


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