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ハニワは世につれ、世はハニワにつれ:前編(「特別展 はにわ」)

2つの国立博物館が連携開催した「埴輪(はにわ)」の展覧会を鑑賞した。まず、足を運んだのは東京国立博物館で開催された「特別展 はにわ」。埴輪が作られたとされる古墳時代(3~4世紀)から飛鳥時代(6世紀)までの発掘品を時代の推移をたどりながら紹介されている。

“はにわ”と聞いて多くの人が思い浮かべるであろう<踊る人々>が会場の入り口で迎えてくれる。

<埴輪 踊る人々>古墳時代・6世紀

だが、実はこのシンプルな造形は時代的には末期なのだ。

埴輪は王(権力者)の墓である古墳の副葬品として作られたとされる。特に全国の王が連合を組んだヤマト王権時代に質と量ともに大きな発展を遂げる。

<前方後円墳>

本展覧会では、「はにわ」のイメージを拡張するような様々なバリエーションの造形を目にすることができる。たとえば、これも埴輪だ。

<円形埴輪>古墳時代・4世紀  

埴輪を通じて1800年前の風俗を知ることもできる。当時も現代の我々と同じ「生活」があったのだ。

<家型埴輪>古墳時代・6世紀

驚くべきことに、導水施設を模した埴輪もあり当時の技術水準を知ることもできる。

<導水施設形埴輪>古墳時代・5世紀

当時の社会にも厳しい上下関係があったことがわかる。タイトルをつけるとすれば「御意!」だろうか。

<埴輪 ひざまずく男子>古墳時代・6世紀

本展覧会の目玉は、埴輪として初めて国宝となり日本各地やアメリカ(シアトル)にまで分散した「埴輪 挂冠の武人」が一同に会していることだ。「大魔神」世代の私にとって、ズバリ、これが埴輪を代表するイメージになる。

<埴輪 挂冠の武人>古墳時代・6世紀

埴輪の色といえば土色だが、実は制作当時はその土地の土中に含まれる成分を顔料として使っていた例もあったようだ。「挂冠の武人」の色合いも再現されている。

彩色された<埴輪 挂冠の武人>

異なった時代と場所で制作されたはずなのに、ほぼ同様の意匠となっているのは技術の伝承と埴輪工人同士の交流があったからだとされる。

力の強い大王の古墳には「王家御用達」の技術的にも優れた精密な埴輪が作られたが、弱い王の古墳には民衆主体の埴輪が立てられた。また、大規模古墳の衰退する6世紀に入ると、埴輪作りも低調となり、同時に地方で独自の発展を遂げるようになる。これによって造形的にも独特で、ある種、人間的なゆるい味わいが出て来るのが微笑ましい。埴輪は「民藝」になっていったのかもしれない。

力士の埴輪もある!当時から、力士は神聖な存在であり、土俵は神聖な場所だったのだ。

<埴輪力士>古墳時代・6世紀

当時の女性の(最先端の)ファッションを知る手掛かりにもなる。

<埴輪 正座の女子>古墳時代・6世紀

冒頭で紹介したように、精密さを誇っていた埴輪が、だんだんと抽象的な造形になって行くのが興味深い。ほとんどのアーティストが具象から抽象へと作風が変化するが、埴輪もまた、精密からシンプルへと芸術としての進化を遂げたのだろうか。

本展覧会で最も印象深かったのは、この赤子を背負う母親の埴輪。口をすぼめ、赤子が眠るように子守歌を歌っている様子がわかる。

展覧会の最後は、近代に入って以降の埴輪ブームの到来を扱っており、いわば国立近代美術館で開催されている「ハニワと土偶の近代」の導入部にもなっている心憎い演出(下の写真は「男はつらいよ」の寅さんに似ていると話題になった埴輪)。

<埴輪 帽子をかぶる男子>古墳時代・6世紀

開場には平日の昼間だと言うのに、多数の来場者で満杯だった。その多くが時間帯から中高年層であり、皆さんスマホで写真を撮りまくっていた。なぜ、これほどの人気があるのだろう?と不思議な想いを抱いたが、その秘密は「ハニワと土偶の近代」で解明されることになる。(後編「ハニワと土偶の近代」に続く)

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