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職歴

きんだいちみきお

はじまり

専門学生時代

恩師から「卒業したらうちのデザイン事務所に来ないか」と声をかけてもらい、デザイナーという選択肢が視野に入る。しかし卒業後恩師から連絡がこず、半年後に偶然再会するも発言を忘れていたことが発覚。見返してやりたい一心でデザイナーになることを決意。
幸い幼少期から関わっていた舞台やバンドの友人が多くおり、チラシやCDジャケットの相談は多数あったため独学でデザインの勉強を始める。

友達の紹介で「デザイナーを探している」という事務所にジョイン。1ヶ月働いた結果1万円しかもらえず、デザインを教えてあげるかわりに安い賃金で働いてくれる人を探していたということが発覚。逃げるようにその事務所から去る。ちなみに労働時間はかなりブラックで、時給換算すると19円だった

紙だけではスキルが足りないと気づく

コールセンターや便利屋、ダンスのインストラクターの仕事をしながら独学でデザインの勉強を続けるが、「これからの時代はWEBデザインができなきゃ話にならないのでは」と思い職業訓練に通う。
卒業後すぐにECサイトのWEBデザイナーとして就職するも1年半で倒産。

大手制作会社に転職、デザインとコーディングができるという理由で某大手ショッピングサイトのメルマガ制作ディレクターに抜擢される。効率化が好きだったこともあり自動化ツールを開発、7人で回していた案件を3人で回せるようになる。

会社の立ち上げに呼ばれる

大手制作会社に2年ほど勤めたのち、高校時代の友人が映像会社を立ち上げることになり、会社の立ち上げに関わる。その過程でサ◯トリーやサツ◯ラ、セ◯コーマート等のキャンペーンサイトの制作を担当する。

デザイン事業部を立ち上げたいという別の会社からも声がかかり、映像会社を退職。株式会社MovingVillageにてデザイン事業部FreelyVillageを立ち上げる。
親会社が飲食店の経営もしていたため原価計算や管理、ホットペッパーのレポートをもとにしたWEB戦略などにも関わるようになる。

また、同時期に恩師から連絡があり、専門学校の講師を引き継ぐことになる。

2018年、胆振沖地震をきっかけに経営が傾きデザイン事業部FreelyVillageは解散。
ちなみに地震が起きた9月6日は自身の誕生日であったため、停電は当時付き合ってた彼女がロウソクを消すためのサプライズに行ったのかと思った。

独立する

専門学校で講師をしていたため、フルタイムで働くことはできないと判断。CREATIVE GOLDという屋号でフリーランスになる。
営業活動をする中で有限会社ウィルプラントの吉井 千博と出会う。

仕事のやめ時がわからなくなり2回ほど身体を壊すが、段々と仕事とプライベートの境目がなくなり永遠に仕事を続けることができるマシンと化す

有限会社ウィルプラントに入社

営業活動、制作業務、事務作業とフリーランス業務に疲弊しているところに吉井 千博が自宅に現れ有限会社ウィルプラントに誘われる。フリーランスの仕事と講師の仕事を続けながらという条件で、2019年6月に有限会社ウィルプラントに入社。WEBチームの立ち上げを始める。

2022年、専門学校の講師に区切りをつけ、有限会社ウィルプラントに全力で向き合う。
同年4月、取締役 WEB事業部門統括に就任する。

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