
日本平エピソード2・世界レベルの技術習得
山梨を中心とした国産ワイン。世界マーケットでの躍進は誰もが知るところです。日本のワイナリーの2世3世でフランス語を話せる人が多いのは、フランスなど海外で修行し技術を習得し、情報収集にも余念がないためです。
その一方、国産オリーブ生産者でイタリアやスペインに学びに行き技術を磨いているといった話はあまり聞いたことがありません。日本ではオリーブ栽培についての技術も知見もまだまだ足りておらず、発展途上状態なのではないかと思います。
一般的に、日本各地のオリーブ生産は、観光化や特産品といった行政主導で広がっており、肝心の「生産者」の意識が高いわけではありません。もちろん政策とは関係なく技術向上取り組んでいる本気の職人肌の小規模生産者もいらっしゃいますが、其の数は僅かです。
私達がオリーブ栽培を志した当時、商業ベースに乗るようなオリーブ栽培は日本では不可能が定説でした。しかしそれは過去のデータの伝聞情報。
ワイン作りのような凄まじい努力の結果ではなく、入手簡単な劣悪苗木を勘と経験を頼りに育てても結果など出にくいのではないか。(当然ながら、今もオリーブ栽培トライアルは失敗事例が多いのです。)
そんな中、「土壌にあった品種と海外の先端技術、強い苗木があれば、日本でのオリーブ栽培は可能だ」とおっしゃってたのは、オリーブオイルソムリエ協会の理事長など世界のオリーブ栽培に精通した方々。
自分で調べない・育てない・学ばない人たちの意見より海外のオリーブ産地を訪問し、各国の生産者や学者との繋がりの中での情報を持った方々の見解の方が腹落ちしました。
私達が、産地でもない静岡県でゼロからスタートし、世界で戦える本物クオリティを目指すには、世界クラスの指導者が必要でした。上記協会のサポートをいただき、たどり着いたのがポールミラー博士。
オーストラリアオリーブ協会の元会長であり、イタリア以外の地中海の国々、アメリカや南半球などオリーブ新興国のオリーブオイルの品質や優秀な生産者のサポートや格付けをするエキストラバージンアライアンスの創業者。
アメリカなど各国の大学で教鞭をとり、オリーブオイルの様々な規格制定に携わる農学者であり、農業実務者であるポール先生は、オリーブの栽培搾油技術から品質、マーケティングまで、後進国で「初めてオリーブを栽培する」事業者の指導において高い実績をお持ちでした。
ご紹介いただいたものの、かなりの不安がありました。大抵オリーブやワインは広大な土地で栽培が始まります。狭い日本の、更に首都圏に近い、狭い静岡県。その中でようやく手に入れた「猫のひたいほどの土地」・・・。
・オーストラリアの一般家庭の庭くらいの面積で何を騒いでいるのかと思われないか
・こんなド素人を相手にしてくれるのか
・責任を持って指導してくれるのか
・文化を超えて相互理解ができるのか
そして、初来静の日がやってきました。弊社専務が成田空港までお迎えに行きました。成田から静岡までは、成田EX&新幹線&乗り継ぎ時間を見て3時間はかかる。この3時間で専務が事前情報を正確に伝えることができたようです。
ドキドキしながら静岡駅の改札で待っていたら、階段を降りてくる体格の良い外国人。

銀行からはお金が借りられず(当然)、自己資金は減り続ける...
「あ〜、この先生が私達を救ってくれる・・・」胸がいっぱいになって
「Nice to meet you!!」と言うのが精一杯でした。
(英語力がなかった・・という理由もある・・)
初めて圃場を見たポール先生は、一瞬で富士山に目を奪われていました。
そして、日が暮れるまで、何度も富士山をカメラに収めていました。「世界マーケットでオリーブオイルを発信するために、富士山が見える場所での栽培は大きな意味がある。」(そうなんです!私もそう思ってました!!とドヤ顔で応える私)

その後、入念な土壌づくりを行い、世界で5,000品種もあるオリーブの中から、日本平の土壌に適した12品種を選んでもらい、圃場での指導と座学を繰り返しながら、私達はゼロからの栽培を「世界レベル」で学びました。
素人の私達に目線を合わせ、先端の農科学理論から樹の気持ち的なエモーショナルな説明も加えて教えてくださるので農家メンバーはもとより農業素人の私でも理解を深めることができました。
そして、謙虚で(凄い先生なのに・・)高い品格にメンバー全員が魅了されていき、来日の度に強い信頼関係が醸成されました。クレアが目指そうとしていたオリーブによる地方創生の意味・意義を誰よりも理解してくださっていたように思います。
生産とともに和食の中でオリーブオイルを使う文化を育てること・・
炊きたての白いご飯や、和のダシや発酵食との美味しい食べ方を考えるよう指導くださったのも、ポール先生でした。


2015年に初めて定植をしてから、樹の成長ぶりは想像を超えました。
水はけの良い土壌(イタリアやスペインの土壌と似ていた)と日照、品種適合、最高の指導者のもと、農園チームの執念の努力もあり、3年で想定外の生産量、搾油、商品化を達成しました。
念願のクレア社オリーブオイルは、2つの国際コンクールに初エントリー、初入賞という快挙を成し遂げました。
もちろん、ポール先生の来静により急に実現可能性が高まった本プロジェクトに出資くださったエンジェル企業各社の協力があったからこそ、、
つづく