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前後で考えられまいか

 前の記事で、奥行きの把握機構と書いた。そして思った。奥行きの把握とは、前後関係の把握である。図と地は、近いものと遠いものとして把握される。捕食と被食の関係性が生じて以降の生物において、物理的に近いものほど脅威になりうるため、注目されやすくなる。記事で表現した図と地は、本来奥行きがないはずのものに奥行きを見出していることが出発点である。

 両眼視によって奥行きが把握できるようになったが、右目と左目、数cm程度の差から奥行きを把握していると考えると、奥行きの大半は補完情報つまり虚像である。確認を繰り返すことで補正され精度は高まるだろうけど。

重要度

 であるなら、奥行きに関する情報処理は、記憶や経験や訓練などが積み重なったことから生じる、ある種の重要度の比較結果とも言える。何の像を結び、何を背景と認識するかは、「何を重要と見ているか」と捉えることもできる。

時間

 時間の認識は、前後関係の把握である。意識のまな板の上に乗っているものが「今」と言える。「今」は観察していることに限られない。想起しているものも「今」になる。今、像を結んで捉えているものは、自分が重要と見てきたものから生み出されている。

だから

 観察だけがある時、情報は刻一刻と変化して更新され続けるため前後は存在できない。脳に蓄積された「人生」によって重要度の比較が補完された結果として前後が生じている。




って、団地のへりで草つっついてるハトがいってた。

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