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センターポールアスリートとの出会い⑯ ベジータのプライド 官野一彦①

前回は、福祉事業所とパラスポーツの連携をスタートしたお話を投稿しました。
相互にメリットが有るように、スポーツを通じて創造する共生社会する体制構築の第一歩を踏み出しました。

今回は改めてアスリートの紹介となります。
現在のセンターポールがあるのも、この選手と一緒に活動できたからと言っても過言ではありません。
恐らく、私以外にも沢山の方がこの選手から良い影響を受けているかと思います。
今日は車いすラグビー官野一彦選手について書いていきます。

男の人に体を触られるのが苦手な男

車いすラグビーの若さんをサポートさせて頂いていると、車いすラグビー界でも、”センターポールって何?”と聞いてくれる人も出てきたようです。
官野選手も若さんから話を聞いたようで、
「俺にも紹介してよ」
と、官野選手からアプローチをいただいたのがきっかけでした。

官野さんは千葉を拠点に活動している”RIZE CHIBA”というチームに所属しており、練習場所である千葉県障害者スポーツ・レクリエーションセンターで初めてお会いしました。
私は先に会場に着いたので体育館のロビーで待って暫くすると、車いすの選手がラグ車(競技で使用するラグビー用車いす)を押しながら選手が続々と入ってきます。
自分の車いすを漕ぎながら、競技で使用する頑丈な車いすを押して移動するので、皆さんにとって車いすは自分の体の一部の様に操作をしていました。


「官野です。よろしく。」

私を見つけて、ハスキーボイスで声を掛けてくれた官野さんに、
「田中です、よろしくお願いします」と手を差し伸べて握手すると、官野さんは握手の後、少し間が生まれます。

「俺、男の人に体触られるの苦手なんだよね笑」

田中「し、失礼しました。。。」
(どうやら気難しい人のようだ。)少し心配になりましたが、官野さんはあまり気にせず官野さんのペースで競技のことやこれからの話を進めていきます。
しかし、それは決して嫌な印象ではではなく良い意味での”俺様”であり、強いスポーツ選手特有の雰囲気だと会話を通じて感じ取りました。

千葉県出身の官野さんは高校生活は野球の超名門”木更津総合高校”でレギュラーとして活躍。白球を追う毎日だったそうです。
しかし、惜しくも官野さんの代では更新出場の夢は叶いませんでした。
野球で大学に進むこともできたそうですが、”プロ野球選手になる”という昔からの夢に当時は限界を感じ、野球の道には進まずサーフィンを始めることになります。

何故サーフィンを始めたかと尋ねると、理由は”女の子にモテたいから”とのことでした。
田中心の声(フム、官野さんの事が分かってきました。)

高校を卒業して大学には進学せずに、働きながらサーフィン漬けの毎日を過ごしていた官野さんは、赴任先の静岡で夕方サーフィンを楽しんでいた時に頭を海底に打ち付けてから車いすの生活になったそうです。
頭を打ち付けた直後から、既に体が動かない状態になってしまったので、もし仰向けに浮かび上がってこなければ。もし、周りで官野さんを海から引き揚げてくれる人がいなければ、と考えるとゾッとします。


出会いはナンパ

首の骨を骨折し、頸椎損傷と診断された官野選手は現実を受け入れることが出来なかった時期もあったそうです。
しかし、強く生きようと決心した日から日常の生活に戻る為にリハビリに励み、新しく何かチャレンジできることを模索していました。
入院中に車いすバスケットボールの存在も知ったそうですが、競技を調べていくと、脊椎を損傷してしまった官野選手に残された握力では革のボールを扱うことは難しく、日本を代表するプレーヤーにはバスケットボールでは出来ないと悟り、しばらくスポーツとは離れていた時期があったそうです。


事故からある日、官野さんは福祉車輛のイベントに訪れると、後ろから肩をポンポンと、叩かれます。
その方も車いすユーザーです。
男の人に体触られるの事に嫌悪感を抱いた官野さんでしたが、その車いすの方から掛けられた言葉が、

「今度一緒に車いすラグビーやりませんか」

よりによって男の人からのナンパでした。


つづく