第8回茶会通信 2020年8月8日開催

 半年ぶりの茶会通信です。

 zoom開催するかしないか、色々うじうじしてましたけど、もう四の五の言ってたってしょうがないやと思って再開しました。あたしがみなさんとおしゃべりしたいだけで開催したっていいやん?って思って(笑)

 今回のテーマは「希望について」です。いや、自分で決めといて言うのもあれなんですけど、だいぶしゃらくさいです。こうして改めて「希望」と口に出したり、文字に書いてみたりすると、なんとも前向きな、なんとも文句のつけられない感じの言葉です。

 今回は6名ご参加いただきました。初めて、このような対話の会にご参加いただいた方もいらっしゃいました。

 日頃だと、対面ですので最初にテーマについて書いていただくというのをやりますが、今回は最初にあたしから「希望ってどこから生まれてくると思いますか?」とみなさんに質問しました。「自分に余裕があるときには希望のことなどは考えてない気がする」、「これからなにが起こるかわからない状況下だと、希望が湧いてくる」という答えや「自由があるというか、自分にある程度余裕がないと、希望を感じないと思う」など、様々な答えが出ました。あと、今まで生きてきて希望って色紙とかに書いたことがありますか?という質問がでました。面白い質問です。この質問には「書道のお手本」という答えが多かったです。ま、あれだけ前向きな言葉ですから、書道のお手本向きです。

 「人から希望を持てとか言われるのは、ちょっと違和感ありますよね」というお話も出ました。えらい大人とかが、若い人に文句つけるときに言いそうな感じです「希望をもって頑張れ」みたいな。確かに、あたしも若いときにそういうことを言われるのは嫌でした。けっ!って感じでした。前向きな言葉のはずなのに、なぜか人に言われるとなんか押しつけがましく感じます。

 みなさんのお話を伺っていると、希望、という言葉には、どうも大きな場所がそぐわない気がします。たとえば、八方ふさがりでもうどうしようもないような気がしたときに、ほんの少しだけ見える明るい場所、みたいなイメージでしょうか?参加者のお一人が、以前につらいことがあったとき、好きな作家さんの新作が近々出ると知って、その新作が出るまで頑張ってみようと思えたと話してくださいました。あたしの希望のイメージはまさしくそんな感じです。

 ところで、希望と似た言葉に「夢」がありますが、夢と希望ってどう違うのでしょうか?ご参加いただいたみなさんに聞くと、希望のほうが夢よりも叶いやすいイメージがあるとのことでした。つまり希望のほうが現実味がある、ということなのでしょうか?

 今回のお話で、あたしは希望というものが、より現実に近いと思えてきました。夢のようにふわふわしたものでなく、私たちが生きている世界で実現可能な願い。もしくは、もうどうしようもないと思える状況の中でも、もしかしたらと思えるような、少し先の未来にある、小さな幸福。希望とは、あたしたちが生きていくために、自分自身で見出す、小さくても明るい「何か」のことなのかもしれません。

さて、zoomのアカウントがもったいないので、今月はもう一度開催することにしました。日時は8月29日の土曜日、20:00からです。お話しするテーマは「盛る」って何?です。最近よく使われるようになったこの「盛る」という言葉ですが、いったいなにを盛っているのでしょうか?飾る、という言葉とは違うのでしょうか?盛ることで得られるものは何でしょうか?

茶会へのお問い合わせは

mail: cafephilosophia.flat@gmail.com  

Twitter @tetugakuchakai のDMまで

 

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