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父性を求めて 母性を求められる

石原慎太郎著『スパルタ教育』をご存知だろうか? 今なかなか声を大にして言えないことも書かれている。いや、一周まわって新しいのじゃないか。

昔父の本棚で見かけた。絶対わたしの父は影響を受けていたんじゃないかと思う。いや、昔はみんな大なり小なりそんな感じが普通?だったような。。。我が家は父方の祖父母と同居、母と祖母は嫁姑問題を常に抱え。父は、遅くまで仕事。休日も半日は職場に顔を出していた。ザ昭和な家庭だった。

とにかく、寡黙でとっても厳しい父の印象しかなく。大学時代ワンゲル部だった父は、家族で行くところにもれなく山登りが付いてきた。とにかくお喋りが上手じゃない、ただただ黙々と頂上目指して山を登る。私は泣きながらひたすら父について山を登る思い出ばかり。母も私の後ろから半泣きでついて登り「結婚する人は、山が好きじゃない人を探しなさい」冗談とも本気とも取れる言葉を子供に向かって言っていた。今思えば父なりに、子供に自然に触れさせたかったのだと思う(過酷な記憶しかのこらなかったけど)。ただ、子供を楽しませる術を知らない人なのだ。父と二人で遊んだり、色々話したりはなかった。みんなこんなもんだろう!?と思っていたし、時々お父さんと仲が良いとか話を聞くと、宇宙人でもみたかのような気分になった。会話があるとしたら、怒られる時くらい(勿論げんこつとか諸々付きで)。そんなこんなだから?中学時代、反抗期も順調に向かえ。更に父としゃべることもなくなった。子供の頃から地元も家にも合わない感覚があって、自分には何処か違う場所があるはずだと思っていたので、大学が決まるとすぐさま家をでた。母は週1で遊びに来ていたし、実家に帰る必要性も感じず足が遠退き、父と更に疎遠となった。大人になっても何を喋っていいのかわからないし、父も父でそんな感じが見てとれた。年のはなれた妹も、「パパと何喋っていいのか緊張するよね」といった時にはビックリした。私に比べて、両親の厳しいのレベルが違っていたのに。しかし、父との会話を通しての交流は少ないが、反抗期ひたすら本を読み漁って、父の本棚からも司馬遼太郎だったりを拝借していたので、本を通して繋がっていたとは思う。

ま〜しょうがないと思う、親も私が生まれたことで親一年生になったんだから。思春期の反抗も完璧な親を求めてやってたんだと思うんだけど、完璧な親なんていないし、自分も完璧な子供じゃなかったし。父親はただただ父親業を不器用ながらやろうとしていた。そう、私の中で折り合いをつけている。


フラ夫と車で出かける時、よくラジオのノスタルジーという局をかける。一昔前の曲ばかりがずっと流されて、お互い懐かしがったり、その時の思い出を話しながら二人で車内で歌う。

時々、bachelet pierre(エマニエル婦人の曲で知ってる人も多いとおもう)の曲が流れると。「お父さんと毎朝学校に行く車の中で聞いたんだ♪」嬉しそうに毎回教えてくれる。我がフラ夫は、3兄弟 フラ夫 弟 妹の長男様。義母は助産婦さん。フラ夫が子供の頃の話をするときは、必ず義父との思い出。それは仕方ない事なのですが、義母は少し先の大きい街の病院勤務。夜勤もあったようで、時間帯も不規則だったとのこと。幼稚園から村の学校でなく、義父の勤め先があった義祖母の住む比較的大きな町の学校に通い。登下校は義父の車でずっと一緒。「お母さんと時間が会わないときは、お父さんが作った食事を兄弟とお父さんで食べるんだけど。肉を焼くだけ 缶詰の野菜をそえるだけ。それが凄い美味しかったんだ」と、よく話してくれます。それでも、「僕は長子だったから、親が厳しかったー。」とよく言うし、その話を未だ義両親の前でもフラ夫が未練たらしく言ったりもします「最初の子供だからどうしていいのかわからないから厳しくなった」と、二人もフラ夫にその都度返しています。私も親に同じ感情を持っていたけど、今となっては最初の子なんて何処もそんなもんだろうと思うし、もしかしたら私の妹や義弟義妹はまた違う不満 葛藤を持っているのかもしれない。

まあ色々言いつつ、フラ夫は義父を尊敬してやまない、今でも、機械の調子が悪くなると、まずは義父に電話、家の不具合があると、義父。。。。何でも知っている偉大なお父さんなのだ。車 エンジンラグビー 自然 女性 機械の修理等々、学校の行き帰り色々話したのだろう。「お父さんが子供の頃からエンジニアは凄い仕事だ!と、ずーっと言っていてたから、他の道を考えることがなかった。」ということで、義父の刷り込みも成功している。総合的に見て、フラ夫は無事に良い子に育ったと思います(何処目線)。ただ、義母と過ごす時間が少なかったんだと節々に垣間見える。お義母さんも忙しい、下の兄弟に手が掛かる。

義父は、私が抱く理想の父親像そのもので。大人になって親との折り合いをつけていても、多分こういう父親像を羨ましく、どこかで求めているんだと思う。フラ夫にこういった父性的なものを求めてしまっているところがある。

フラ夫は、自分だけに厳しく甘える時間を持てなかった、義母をどこかまだ求めていて、そういった諸々を私に求めている感じがする。(本人には言ったことがないけど)

どちらも、いい歳して大人になれていないのだ。そして、その足りない部分をお互いに求めて、足りていないと不満が出て喧嘩になる。そこを多分解消しながら、ぶつかり稽古しながら完璧なものはないとわかって、一歩ずつ進めていけてる。そして、このぶつかり稽古も回数を減らしていけてる。人生、足りないものばかり、上手く折り合い 他で補充しながら、100%ではなく100%に近い幸せが掴めれば御の字だ。






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