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謝れない息子、褒め下手な親の悩み

以前のnoteで叱る時についての話を書いたが、別な角度からお話ししたい。ADDやADHDの特徴のひとつで、謝れないというものがある。

人によりその真因は様々だが、息子の場合は自尊心から来るものからが強いように思える。子供は皆そんなもの、という理解もありますが、息子の場合、ADDやADHDの場合、その度合いが強烈なもの、と思って頂きたい。

妹の大切にしているおもちゃを勝手に使う。それ自体は全く大したことではないのだが、反対に自分のおもちゃを妹に使われたら激怒するので『お互いさまだよね?』と諭すと、妹の場合はこうだった、自分はこういう状態だったとあることないことを凄い剣幕で主張する。

どんな時でも正当性を主張できるのは自分を大切に出来ている証拠で将来ビジネスマンとして手強いネゴシエーターになれるなとポジティブに考えられるなーと呑気に構えられる一方で、道徳的に彼が本当に反省していないようにも感じられ、どうしたものかと頭を悩まされる。

最も気になるのが、非を認めて謝る際に、全く反省をしていないように見えること。彼の心の中までは見通せないが、自分が責められている不愉快なストレスフルな状態から脱却する短絡的な手段としてゴメンね!とキレながら吐き捨てるように言って逃げるのである。

これは教育として大失敗である。


彼に過ちを納得させられなかった。

もしかしたら我々が本当に誤解している場合もあるだろう。

悪いと思っていないゴメンなさいを使わせて、謝るという行為の大切さを薄れさせてしまうことも良くない。

様々な可能性や角度から失敗なのである。

どうも調べてみると、ADHDやADDの子は、親に対して間違いを認めることは生死に関わる、というくらい頑なな自己防衛の言動をとることが多々あるようで。

しかし信頼を寄せている親に対しては素直に聞く場合も多いという。

どんな親子でも信頼関係の構築は言うまでもなく、必要なもの。

正直なところを話すのが辛いが、現実として年相応に褒めてあげられる部分が少ない、見つけてあげられないのです。褒めてあげられるところを見つけようとすると保育園生や低学年レベルで出来る『気づき』だったり『配慮』だったり『努力』だったり。あまりそれを言い過ぎると、却ってバカにしているように聞こえてしまう。

それでもいいのだろうか。

四年生だからそれなりに期待してしまう部分もあるから、気づきや配慮を褒めてもこちらの『失望』を子供はおそらく見逃さないだろう。


私の問題である。

子供を信じてあげられていない気がする。

ひどいなぁ…。

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