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型より挑戦 ~実行なくして改善なし~

雑談です。

昔、ぼくがベンチプレスで高重量に挑戦しているとき、
こんなことを言われたことがありました。

「100キロ上げたけど、尻がベンチから離れちゃってるから意味ないじゃん笑」

たしかに正しいフォームではないのですが。
自分にとって未開の記録に立ち向かうとき、全身の力を使おうとしてお尻が上がってしまうのはよくあることだと思います。
たしかに公式ルールではお尻がベンチ台から離れてしまうと記録になりません。
しかしその時僕はこう思いました。
「挑戦することを笑われるのは気分が悪いし、型が上達する前に重量を挙げようとすることはそんなにかっこ悪いことだろうか」
(そしてそういうことばかり言う人に限って、自分は挑戦を恐れていたりして、全然実力もなかったりするのは内緒話です)

世の中にはとかく型や作法にこだわり、
100%文句がないもの以外は世間様には認められないという考え方の方が多くいらっしゃいます。
「音楽理論も学んでいないのに作曲だなんて」
「あいつは打てるけど、フォームがダサい」
といった具合に、結果や挑戦の有無よりも、型にばかり注目するのです。

そしてそういう人は教育現場にもたくさんいるということです。
「英語の発音がネイティブとは違うのに、オールイングリッシュの授業をするなんて」
などといった具合です。

しかし、僕は思うのですが、
型より前に実行したほうが、気づきも学びも増えるはずです。
型や実力が完璧になるのを待ってから発表するというのでは、
身に付く前に老いてしまうし実行に移すエナジーはそのころにはないかもしれません。

ベンチプレスの例をとっても、最初挑戦したときに型(フォーム)が不安定でも、自分との闘いを経ていくうちに型は改善されていくでしょう。そういう経験の中で数値も伸び、高重量を扱えるようになることで得られるトレーニング効果も増え、体格も変わってくるというメリットも見込めます。

教育現場でもそう。
例えばネイティブ並みの発音でなくても英語で授業を展開することで、先生自身のスピーキングも洗練されていきますし、生徒にとっても「英語を使う場」という意識づけがされるし、
さらに「ノンネイティブスピーカーがこんなに努力して話しているのだ。自分も頑張って話そうとしよう」ということに気付かせることもできます。
型にこだわって足踏みするより、まずは挑戦してしまったほうが得られるものが多いのです。

他人の茶々はほどほどに聞いて、
自分が挑戦したいことはどんどん挑戦してしまいたいものですね。

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