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新型コロナ(COVID-19)に罹患、6日目に入院→退院までの療養生活②

21年の夏、東京都を筆頭に感染者数がうなぎ上りでピークを迎えたころ、社会の波にのまれるようにして新型コロナ(Covid-19)に罹患しました。前の記事で(1話目の記事)、発症4日目に地元の中型病院の「発熱外来」を受診、陽性が確定したことを書きました。

自宅療養中に軽い急変、病院へ

陽性が確定しても、咳止めと解熱剤が出たのみ。特段、特効薬はないので自然療法・東洋医学を知っている自分の中では「食事療法、ハーブ、漢方薬だけが頼りかもしれない」と覚悟を決める。

前日の夜中に、左の背中が急に、ぎゅっとつままれたような痛みがでて、多少ストレッチしても痛みが変わらず、筋肉の痛みではなく、肺炎の症状かもしれないと思っていたところ、肺炎の兆候ありの診断。でも帰宅できたのは軽症、軽症、と自分に言い聞かせる。(あとからも、当日は軽症だったと教えてもらった)

5日目の朝、熱が37.5℃となった。(処方された解熱剤は服用しなった。理由は、本来の体温が分からないと体の状態が分からないから)わりと回復した感覚があって、起きて自室でパソコンを見たりしていた。この日の昼過ぎ、保健所から電話がくる病院からの報告と現状の確認、食料の宅配は必要か?、家族の体調の確認、自宅での自主隔離状態の確認。また、今後の「保健所への体調報告」についての説明(LINEまたは電話を選ぶ)があった。

6日目の朝、ほぼ平熱に戻り(37℃くらい)、体も少し軽くなったので、朝食を食べて(変わらず、部屋の外に置いてもらって時間差で取る。携帯メールで先に食べたいものを先にメッセージしたり。)、部屋で本を読んだり、ネット検索して症状や今後のこと、新型コロナ関連の研究論文(栄養のこと、予後の体調管理、重症化する方に関する研究論文など)を検索してゆるく過ごしていた。

症状の急変について(6日目の昼)

昼食を取りに行こうと立ち上がった時、「あれ?たちくらみ?」「あれ?苦しい?」「酸欠の部屋から出てきたような、なんだか、酸素が体に足りない感じ」がして、手のひらをみたら「いつもより、白い」。そして鏡で、唇の色をみると「いつもより、青黒い」。これは酸欠状態、と気づく。(まだ酸素濃度を測る機械が届いていなかったため、酸素濃度は不明)

怖くなり、ゆっくり深呼吸を繰り返す(のちに、肺が炎症を起こしているときは深呼吸は厳禁、と知った。肺胞が壊れる可能性のほうが高い、とのことでおすすめはしません)。1時間ほどゆっくり繰り返したが、苦しい感覚が続いた。そこで受診した病院へ電話をする。本筋では、最初に保健所へ電話して、保健所が病院を手配との段取りですが、週末で保健所に繋がりにくく、結局、病院へ直接電話した。状況を話して再診となった。

その際に「病院側から保健所へ連絡します。保健所から、病院までの移動手段の連絡が行きますので、それまで待機してください」と看護師さんから伝えられた。10分後、保健所から電話で「20分後に迎車が行きます。それで病院へ行ってください」と迅速な連絡。私の時は「民間の救急車」がきました(サイレンなし、通常のワゴン車タイプ)。陽性者を隔離して移動させるため、保健所の手配で、介護タクシーや防護機能の付いた車などが来ます。

今後に備える観点で考えると「かかりつけ医」の重要性をひしひしと感じました。混雑時は「自宅療養者」→「保健所」のラインは繋がりにくいけれど、「病院」→「保健所」の電話ラインは繋がりやすい、そんな印象です。

再診では、肺のCTスキャン、そして診察結果を隔離部屋で伝えられました。「2日前は、左肺に1点ほど肺炎の兆候があったのですが、右肺にも広がっています。2日間での症状の早い進行と、週末土日の2日間でまた進行する可能性が高いので、このまま入院してください。投薬治療します」と言われて、しばらくして看護師さんが迎えにきた。病院では「新型コロナ患者専用フロア」が設けられていて、入り口は仕切られ(簡易の壁と、ビニールシートの出入り口が付いている)、そこを通った後は「ここは感染者しかいないので、マスク外してもいいですよ」と言われて、マスクから解放された。(笑)

再診の予約が取れて車を待っている間に、念のため「入院で必要そうなもの」もパッキング、持参していた。

入院で必須なものについて:

・5,6日分の下着(長引くときは洗面所で洗って使いまわす)
・下着を干す道具
(洗濯ばさみなど)
・洗面道具(石鹸、歯磨き)シャンプーリンス(洗面所で洗髪可)
・携帯電話と充電器(外との連絡で必須)
タオルと病院着は貸し出し(有料)。シャワーはないので、毎日、温かいタオルが配られて自分でふき取り。さっぱりします。
快適さを求めるなら着心地のいい上下があると便利(Uniqloのリラコと、綿シャツを持参した)。また、暇つぶしの本、タブレット(電子書籍を読む)。ただし病院内に「無料wifi」は無いので、スマホのデータ量を上げるか、タブレットを通信付きでないと使えません。回復してきた後半は、暇つぶしが必要でした。

入院中のこと、退院まで

病室に入ると、最初に入院の申し込みや投薬を承認する確認書など資料が10枚ほど渡されました。今回、投薬される「レムデシビル」は、まだ日本では正式認可されておらず、新型コロナ患者に適応する場合のみ「患者との合意があれば、投薬可能」というもので(同意書の詳細は省略します)、その「同意書」に署名が求められ、署名をしたら治療開始となります。

最初に採血、採尿などで、ほかの既往症がないかを確認してから、投薬の準備となります。点滴用の置き針を設置して(最初だけ痛いが、すぐに痛みが消える。不思議)しばらくして最初の投薬となった。1時間ほどゆっくりと点滴。その間に、書類の記入をしたり、夕飯(使い捨て弁当箱で来る)を食べたりする。投薬終わって、21時に消灯。

投薬の前に、回診の医師から「5日間の投薬✖️2クール(合計10日間)となります。合計、12日間の入院の予定ですが、その前に回復が見られれば相談となります。」と伝えられました。週末の3,4日程度の入院と思っていたため、12日間と想像以上に長い日数に動揺するも、医師の方も、看護師さんもとても親切で丁寧なことに安心感を得られた。

翌朝は6時起床。体温を測り、血圧、酸素濃度、心拍を計測して、看護師さんが順次、記録していくので、6時起床は必須だった。7時までに次の点滴が始まり、お医者さんの回診、問診があって、朝食が配膳される・・・という流れですが、2日目の朝に、「腕に蕁麻疹がでた」ため、点滴の前に伝えると、点滴をいったん中止、医師の回診があって蕁麻疹の状況を確認、私の場合は肘あたりに10cm四方と軽度だったため、アレルギーを抑える薬(錠剤)を飲んで、朝食を食べ、しばらくしてから点滴が開始となった。看護師さんが心配して(アナフィラキシーを心配して)しばらく様子を見ていて、なんともなかったので(笑)、点滴続行となった。

入院2日目のお昼に37.3℃の微熱がでたものの、2日目の夕方からは平熱(36.7℃)まで下がり、その後はずっと平熱となった。(2回の投薬で効き目が出た。ただしウィルスは再燃しやすいので投薬の継続はmust。まずは1クールの5回を目指す。)

話を戻すと、2日目の朝食、昼食は普通に食べたが、お昼からおかゆが受け付けられなくなり、そのまま絶食状態へ、お水すらも受け付けなくなった。夜に、心配した看護師さんから制吐剤(錠剤)をもらって、少し落ち着いた。ありがたかったことは、看護師さんが話を聞いてくれて、毎食「おかず2品とおかゆとデザート」から、「フルーツと飲料(牛乳かヤクルト)のみ」と変更してもらえた。絶食と言っても、フルーツだけ食べられた(オレンジ2切れ、キウイ3切れなど少量)。水がなぜか甘味料のような味がして、お茶しか飲めなくなった。(病室に水とお茶のペットボトルが配給されていて、自由に飲める形式。)思い返すと味覚障害だったのかもしれない。

入院3日目はレムデシビルの点滴に加えて、制吐剤入りの生理食塩水の点滴を受ける。フルーツも受け付けなくなり一日、寝て過ごした。これが、あと2回(2日間、場合によっては追加で5日間)も続くのかと想像すると、耐えられる気がしなくて、2~3日目の2日間は、とてもとても長く感じられた。

4日目を迎え、寝て過ごす。夕方に、ふと体が軽く感じられ、快方へ向かう感じがした。4日目の夜に、医師が回診に来られて「当初は10日の予定でしたが、平熱が続いてますし、明日の5日目(1クール)で終了して、1日様子をみて退院しますか?」とおっしゃった。当然、満面の笑み、帰れる喜びで「それでお願いします!」と退院日決定。5日目の投薬終了後の夜には、食欲が戻り始め、おかゆも追加となって、少しずつ食べられるようになった。6日目は投薬がなく、朝食から食べられた。夕飯のチキンとインゲンの醤油煮がおいしく感じられた。味覚が戻ってほっとする。夜の体調確認(体温、血圧などの報告)の際に「退院早かったですね!よかったですね!」と、看護師さんと楽しく会話をした。7日目の朝、6時起床、7時に最後の回診と朝食、帰り支度をして、9時半に退院。帰宅して体重を測ると6kg減、筋力も落ちて、自宅の階段が登れなかった。

振り返れば、強烈なグロッキーさは、たった2日半だけだったけれど、2日目、3日目は永遠に続くような気がして気が滅入った。友人や家族からのメールは心の寄り処だった。

保健所との連絡(入院前、5日目)

話を入院前に戻します。基本的な隔離期間(自宅療養・外出厳禁期間)は、発症から10日間です。ただし、解熱してから3日間平熱が続いた日が期間終了日。毎日、体温を報告するので、もし10日経っても解熱しない場合は、解熱するまで隔離期間の延長となります。(体温が平熱より高い=体内が炎症状態=ウイルスが活性の状態)

また、「濃厚接触者」については、発症する2日前~発症するまでに一緒に過ごしたり、飲食を共にすると濃厚接触者となります。私の場合、家族以外とは会っていなかったこと、5日目時点で家族が発症していないことから、家族が濃厚接触者にあたるものの、「買い物は行ってもいい。ただし一人で。会話を控えるように。」との条件付きで外出可能でした。また「発症者の発症から14日間は人に会わないように」と、濃厚接触者のほうが長い日数、制限がかかります。

また2021年8月の感染者数のピーク時だったため、保健所がパンク状態でした。5日目に電話をくれた方は、自治体の別の課の方でした(きちんと名乗ってくださり、人不足で借りだされてます、とおっしゃっていた)。

病院から「陽性」の連絡が保健所に行くため、病院で記載した電話番号にかかってきます(私の場合は携帯電話)。一連の説明が終わって、最後に担当者さんがこんな話をしてくださった。「今、罹患している部下がいてね、若いやつなんだけど、今日が1週間目で、だいぶ元気になっていて、暇だ、暇だ、と言ってるから。あなたももう少し。きっと回復しますから。」と励ましてくださって。(人によっては無責任な、、、と思う人もいるかもしれません。でも、私にとってはとてもうれしく、励みになる言葉でした。)

発症から5日目(回復期に入るころ)でしたが、高齢の家族がいるのでホテル療養の希望を出したところ、
◎「トイレが家族と別にできること(2つトイレがあるため)」
◎「5日目でそろそろ回復期」
という理由でホテル療養のリストには入れるが、優先度が低く、ホテルに入れないと思うということでした。

また、保健所からの電話は1度で終わらず、
①説明の電話(本来は保健所の方。私の場合は先述の別の課の方)、
②毎日の健康確認連絡方法など(LINEまたは電話)
③ホテル療養の件について
と3回ほど、やりとり。土日にも関わらず連絡を頂いた。また、パルスオキシメーターがなかなか届かず、6日目の入院した後に届いたため使えず。(自宅の玄関に置いていく方法で届きます。)心配な方は、自分で1つ持っているといいかもしれません。8000円以上するもの(医療機器適合)がいいと思います。3000円程度のものは、精度が低いそうです。

後で聞いた話ですが、保健所からの電話を無視する人がいるようですが、必ず出てください。保健所との連携はとても大切です。最後に命を助けられるのは「指定感染症」である限り保健所です。頼りない点もあることは否めませんが(予測不能な時間に電話してくるのに、こちらの電話は繋がりにくいとか…)それでも、情報をたくさん持っており、さまざまな質問に的確な答えが返ってきました。

PCR検査を受ける違い(いずれも発熱外来):「クリニック」と「入院施設のある病院」

クリニックのほうが受診しやすい感じがあります。クリニックで受診した友人の話から、クリニックのほうが検査結果の状況を聞けたり、今後についてのアドバイスがあったりしたようでした。身近な感じですね。
わたしの場合、元から気管支炎になりやすく、肺炎の可能性も考えていたので、入院施設のある病院を選びました。ただ病院だと、診察(検査)結果は大筋のみ、当日はどの程度の症状か分からなかったです。(医療者の感染リスクを減らすためかと思います。こちらから質問すれば丁寧に答えてくれます)
ご自身の体調や何を重視するかを考えて「発熱外来」の受診先を選ぶといいと思います。

入院中のちょっとした小ネタ

①洗髪
絶食などで、最初の4日間はグロッキーだったため、洗髪したいなんて思い浮かばず。でもなんとなくギトギト感があったので、最終日に1度、洗髪しました。滞在した病院では、大きな洗面所(ステンレス製で3つくらい蛇口があるようなもの)で、蛇口の1つがシャワー形式でそこで髪を洗い流せるようになっていました。毎日、誰かしら洗髪してました。

②入院患者さんの様子
個室にいたためほとんど関わらないのですが、高齢者~30代くらいまで幅広く、女性が6割、男性4割、という感じでした。(公の発表では、男性の方が罹患者が多いというデータがあります)滞在した病院が、中等症までで、重篤な場合は他の施設へ搬送されていましたので、もっと大きな病院ですと男女比率が違うのかもしれません。咳込んでいる人は半数くらい。あまり咳が出ないうちに肺炎になってしまうんだな、という印象。(ウイルスの性質が、のどや気管支を早々に超えて、肺を直撃するようです)

③感染者数のピーク時に、入院できた奇跡
土曜に再診を受け、その場で入院可能だったのは奇跡でした。翌日夜中(日曜夜)、何度か救急車が来ていて、翌日に看護師さんに聞いたところ「満床になりました・・・」と。入院できてラッキーでしたね、という話になりました。(中等症でも軽い方だった私が、あのピーク時に入院できたのは、本当にタイミングが良かったとしか言えません。)

④夏の夜向け、怖い系の小ネタ
入院した初日の夜、初めての病院着と、初めての入院ベッドで落ち着かなくてベッドの高さを変えたり、掃除したりと気分を落ち着けて就寝。
1時間ほどして、掛け布団から「黒い影」がモワッと乗っかってくるのを感じた。「苦しい、苦しい」と伝わってくる。勝手な想像だが、前に使っていた病人の方の思いが染みついていたように感じられて、その後はその掛け布団は使えなくなった。タオルが借りられた(有料)ので、3~4枚バスタオルを借りて、それを掛け布団代わりにしていました。(夏で暑かったですし)

予後について、③に続きます。

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