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「世界ナゼそこに?日本人」という番組に出た人の学校を訪れた

先日、ちょうど首都から帰ってきたときに北部タマレのボランティアの人から連絡があった。

「前任者がこっちに来るんだけど、一緒に行かない?」

前任者の人というのが、その「世界ナゼそこに?日本人」という番組に出た堀田さんだそうだ。タマレよりさらに北部のアッパーイーストにあるカンジャガという村に学校を建てたそうだ。僕はそのテレビ見ていなかったけれど、今休みで3月まで予定がないから乗っかった。

Akoasi → Nkawkaw → Kumasi → Tamale

まずタマレに向かう。僕の住むAkoasiからタマレまでは、→Nkawkaw→クマシと乗合バスを乗り継ぎ、クマシからタマレ行きの長距離バスに乗る。移動時間は3時間半+6時間半で合計10時間。長距離バスは、STCという会社のバスが定刻どおりに運行している。ただし前日予約が必要になり、さらに早朝発の便しかない。それでは今回のスケジュールに間に合わないため、STCを断念してそのへんのバスに乗った。そのへんのバスは満員にならないと発車しない。10時間移動のはずが、乗客埋まり待ちも含めさらにかかった。

INTERCITY STC: Home

タマレでは一緒に行くボランティアと食事して酒を飲んでゲストハウスに一泊した。翌日はまた早朝からの移動である。

Tamale → Bolgatanga → Fumbisi → Kanjaga

朝7時、堀田さんツアーには続々とボランティアが集まり、堀田さんも含め合計7人となった。うち一人は堀田さんの学校で働いているガーナ人のダニエル。今回の道のりをサポートしてくれる。早速タマレからさらに北部のアッパーイースト州にあるBolgatangaへ向かう。ここは中継地点であり、タマレからの道のりは4時間ほど。そのへんに停まっていた、エアコンはないが席が快適なタクシーに乗り移動開始。

途中で休憩し、車を乗り換えてFumbisiへと向かう。ダニエルの家はFumbisiにあり、そこからKanjagaにある学校へ通っている。今回はFumbisiが滞在の拠点となる。BolgatangaからFumbisiまでの道のりは、だいたい3時間ほど。合計7時間ばかりの移動となる。昨日に引き続いての長時間移動でつらい。

Fumbisiへ着くと、ダニエル宅で休憩させてもらう。さて、ここからまたKanjagaまで移動なんだけど、その前に今夜宿泊する場所を確保しないといけない。ダニエル宅でも構わないと言われたが、今回人数が多く長旅の疲れもあり、普通に寝られるところを確保したかった。さいわいFumbisiにはしっかりしたゲストハウスがあるということだったので、見てみた。

部屋はちゃんときれいでトイレもシャワーも使える。確かにしっかりしている。値段もしっかりしていた。誰がこんなところに泊まるのだろう?僕らみたいな人間がそんな頻繁に来る地域だとは到底思えないんだけど、経営は成り立つのだろうか?

堀田さんの学校建設

ゲストハウスの部屋を決め、こんどこそカンジャガの学校へ向かう。このルートもかなり悪路で、ダニエルは本当にこんなところ通っているのだろうか?と疑問にさえ思う。堀田さんいわく「もう慣れた」とのことだった。堀田さんはボランティア当時、教員養成校で活動していた。カンジャガに作ったのは小学校であり、ボランティア活動とは直接関係なく、個人的な活動だったらしい。タマレでボランティア活動を行いながら、辺境での学校建設にも取り組んでいたそうな。なんたるマゾ。堀田さんについて詳しくは、TV番組の再放送かネット記事を見てください。

カンジャガの学校へ

悪路はるばる、堀田さんの学校へ到着した。長い道のりであった。

この学校は堀田さんの私財と、多くの方々の寄付によって建設されたらしい。今も増築が進んでおり、ユニセフはここにトイレを建ててくれるとか。

そうこうしていると、近くの子供らが寄ってきた。もちろんここの生徒でもあり、日本語で挨拶をしてくる。

この日は既に授業が終わっており、学校を一通り見学して生徒と戯れた後、暗くならないうちにFumbisiへ戻った。

堀田さんの活動当時

夕食は、堀田さん夫妻がどこかで買ったギニファーという鳥をごちそうしてくれるそうだ。道中ずっと生きた鳥を運んでおり、夕食時になるとボランティアが絞めた。そしてダニエルが鍋に煮込む。

食事の間、堀田さんのボランティア活動当時の話を聞かせてくれた。堀田さんは当時ボランティア間においてもまとめ役、相談役のような役割を担っており、話していても物腰が柔らかく、人が良く、常々人から慕われているようだ。当時の話は主に揉め事というか、困ったボランティアの話だった。なんと自分たちも面識がある人で、どうやら散々だったようだ。面倒を見た堀田さんでさえ怒りをあらわにしていた。そういうこともあるんだなーさすがに自分たちの代ではこのようなトラブルは起こりえない。メンバーが大変だったらしい。

帰路

次の日は午前中マーケットに寄り、午後からもう帰路についた。堀田さんはカンジャガで学校建設の仕事が残っている。ボランティア活動を終えてからも、毎年ガーナを訪れては学校建設のフォローを続けている。学校建設はボランティアに来る前からの彼の願望であり、使命であった。Fumbisiにて堀田さん夫妻と別れを告げ、我々はタマレへと帰った。

タマレまでの移動は5時間ほどで済んだ。その日はタマレのレストランで夕食をとって宿泊し、次の日も早朝バスの予約をとってボランティアの食事会に参加し、またタマレで宿泊した。さて、その翌日はTamale → Kumasi → Nkawkawの長い道のりを経て活動先へと戻った。ガーナ国内は首都アクラ、活動先Akoasiしか訪れたことなかったが、それ以外で初の国内移動は長距離長時間となった。こんな短期間でこれだけ移動することは今後も早々ないだろうな。疲れました。次からはもっと余裕を持って移動したい。余裕があればもっと色んな話も聞けたはず。

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