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【音楽×珈琲 鑑賞録】5月13日~アントニン・ドヴォルザーク 『弦楽四重奏曲』「アメリカ」

音楽観を鍛える鑑賞録。
5月13日のテーマは、【音楽史】

とりあげる作品は、
アントニン・ドヴォルザーク /
『弦楽四重奏曲』「アメリカ」

です。

アントニーン・レオポルト・ドヴォルザーク
チェコ語:Antonín Leopold Dvořák
1841年9月8日 - 1904年5月1日
後期ロマン派におけるチェコの作曲家

連載も130日を迎え、ようやく初ドヴォルザーク。
まだ触れていない偉大な音楽家がいたことに驚きました。
今回とりあげる作品、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番ヘ長調 作品96, B.179 『アメリカ』は、1893年に作曲された弦楽四重奏曲です。
ドヴォルザークがアメリカ滞在中に作曲した作品で、彼の室内楽作品中最も親しまれている作品のひとつです。

この楽曲の特徴は、「ド・レ・ミ・ソ・ラ」で構成される五音音階(ペンタトニック・スケール)が使用されているところです。
第一楽章で展開していますが、この旋律が郷愁とアメリカの雰囲気を兼ね備えていて、冒頭から身を入れて聴きこんでしまいます。
この旋法は交響曲第9番 ホ短調 作品95、B.178「新世界より」の第二楽章にも現れていて、ドヴォルザークが発見したともいえる、マッシュアップの成果物です。

今回、ドヴォルザークがアメリカに渡ってこの楽曲を手がけた経緯を学びましたが、非常に示唆深い部分がありました。
ドヴォルザークは、1892年にブレーメンから船に乗って、9月27日にニューヨークに到着。ニューヨーク・ナショナル音楽院院長職に就任し、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団やボストン交響楽団など教鞭をとることになりました。
ドヴォルザークは最初、渡米に難色を示し、辞退する旨を伝えていたそうですが、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーに熱心な説得と高額の年俸提示に逡巡した末、同年末に契約書に署名をしたそうです。
年俸15,000ドルという提示額はプラハ音楽院から得ていた金額の約25倍で、この時期は13歳の子どもたち6人の扶養が渡米の理由になっています。

ロマン派時代の国民学派、その最高峰であるドヴォルザークの才能を青田買いしたかたちです。
結果、アメリカ音楽の発展にも寄与し、後世に遺る素晴らしい財産を多数産み出すことになりました。
現代に翻すと、国の財産を他国が爆買いして国の富が損なわれるように見えますが、このドヴォルザークの件でいえば「三方良し」な結果に収まった気はします。
ただ、そこにはドヴォルザークの逡巡があったからこそ、素晴らしい成果が生み出されたのだと思います。
祖国の愛惜と新大陸での奮闘。この葛藤がマッシュアップにつながり、イノベーションを引き起こしたのではないでしょうか。

資源は有限ですが、アートにおいては無から有を産み出す魔法のようなものです。
ただ、この魔法は、失ってはいけないものたちのぶつかり合いによる化学反応です。
錬成するものの原子たちはどこからきて、どうしたいのか。
背景を慮り、想いをのせ、合成された先に新たな命を宿す。
正解はないけれど、
手がけたものが幸せへと導かれるよう努めていきたいものですね。

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