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「意味がある音楽」を考える

最近、朝の目覚めの際には創作のインスピレーションにしようとYouTube Musicからニューリリースの音楽を流しています。
そのなかで、今朝驚いたのは、
ボブ・ディランが2020/3/27に新曲を発表していました。

16分55秒にも及ぶ超大作!
始まりの一節を聴くだけですぐに御大だと分かる特徴的な声。
散文的なのに明示的な詩世界。
これがアコースティックなバンドアンサンブルと混じり合うことで、崇高と形容したくなる世界観が広がっていきます。
音楽制作とアートについて学びを深めているためか、この長尺な楽曲の隅々まで聴くほど沁み入るものがある。
この気持ちを表現するに、最近読んだ、"水野学×山口周 著 / 世界観をつくる「感性×知性」の仕事術"で書かれていた一節を思い起こし、膝を打ちました。

「役に立つという価値」で戦ってきたけど、「役に立つという価値」は過剰になってしまい、「意味があるという価値」が希少になった。つまり、「意味がある」こそ価値がある時代に変わったのです。

"水野学×山口周 著 / 世界観をつくる「感性×知性」の仕事術" P.34 朝日新聞出版社(2020)

これが「意味がある」ことか!
と思いながら、ディランのメッセージや詩世界、音楽に浸ってみる。
他者からしてみたらディランの活動や音楽性は目まぐるしい変遷があったようにも受け取れます。でも、今にして思えば、一貫した世界観で活動を続けていました。
今回の新曲も、いま現在の思いを内包した書きおろし曲ではなくて、そこは個人のメッセージに込めて、音楽は昔書いた未発表曲を出すというところに、感嘆するしかありません。

翻って、自分がいまの心境や世界を目の当たりにしたら、書きおろし曲を書く選択を選ぶでしょう。そして、少なからず「役に立つ」音楽を作ろうという気持ちになります。「元気になってほしい」とか「がんばろう」とかそんなメッセージ性が帯びる。ともするとその音楽の世界観は何らかの引力に引っ張られています。
多様な音楽性を持つことは否定しませんが、短い人生のなかで、ひとつの山さえ登頂するのは難しいのに、あれやこれやと目移りしていたら登りたい山はすでにたくさんの誰かが先を行き、山頂も見えず、登る意味も生まれない。
登りたい山を見つけたら、ちゃんと準備をして、まっすぐに歩みを進めて行かないと未開の地へはたどり着けない。そんなことを思いました。

改めて自分が大切にしたい世界観、パースペクティブを揺るがさない姿勢を持つようにしようと思います。
この一貫したアルティザンのような姿勢を貫くディランの曲は、アートとはなにかという応えを明示している気がします。ぜひ聴いてみてください。

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serialization days: 77
sleeping time: 23:28-7:00 / score: 77
coffee: MARUYAMA COFFEE "Classic blend 1991"

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