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【SundayWorks】エネルゲイアに生きるために

"毎週日曜配信: 感慨私見のテキストワークス"と題しまして、日曜日は音楽制作に際して考えたことなどを発信しています。

今週は音楽制作はほぼ行わず、ギターの練習に時間を費やす日々でした。
アウトプットの量が減ってしまっていますが、「在りたい音楽家」である道を歩んでいる気がしています。

アリストテレスがいうところの、デュナミスを見出し、エネルゲイアにあるような感覚。
とはいえ、迷うことも多い昨今なので、もう少し自己肯定感を高める言葉を記しておきたいと思います。

未来のために今を楽しむということ

多くの哲学者は「いま、ここ」の精神を様々な切り口で説いています。
なかでも最近知った、"コンサマトリー"という言葉が示唆深かった。

自己充足的(コンサマトリー)/道具的(consummatory / instrumental)
「行為や関心の志向、あるいは、それらの基準となる価値の性質を示す対概念。自己充足的とは、それ自体が主体の欲求を充たす行為や関心の志向を意味するのに対し、道具的とは、ある目標を達成するための手段的な志向を意味する。パーソンズ、T. は、行為者の動機によって、行為の志向性を認知的、カセクシス的、評価的に区分し、そのうち、評価的行為志向を、道具的、表出的、道徳的に区分した。ここで道具的志向の行為とは、所与の目標の達成を目的とする行為をさす。これに対し、表出的志向の行為とは、即時的な欲求充足を目的とする行為を意味する。この表出的 expressive を自己充足的という。

種村 剛(TANEMURA, Takeshi) 
自己充足的(コンサマトリー)/道具的(consummatory / instrumental)
より引用

コンサマトリーを「現状快楽型」、インストゥルメンタルを「未来志向型」と解釈するコラムもありました。
いずれにせよ、わたしたちがコントロールできるのは「今」しかないわけで、この「いま、ここ」の行動がどのような指向傾向かで人生観は違ってくると思うのです。
自己とのダイアローグを重ねて見えてきたのは、私はインストゥルメンタルな指向をもつ人間だと思い至る。つまり、未来に思いかかずらい、今を生きていないのではないか。それがゆえにスカッとしない生き方をしているのかもしれない、と。

人生に実りの秋はくるのか

この記事を書いている日、親交のある方の訃報が飛びこむ。
この方は知見のある文化人でした。
これからまだまだ愉しいことを体験できるであろう年齢での突然の早逝。
故人の死を悼むとともに、自らの生を省みて、今の生きざまを全方位的に改めないといけないと思わされる。
思いもかけず、育てた実を回収することもできず、この世を去ってしまうことだって起こりうる。
それを改めて知ったところで、どう考えるか。
端的にいえば、「他人のものさしで人生を測ることをやめる」ということ。
そして、「生きるに値する人生を生きよう」
このnoteにおいても、連続投稿記録やスキ欲しさに投稿するのではなく、残すに値するものを投稿する。
生はいつ途絶えるかわからない。
だから、「やりたいことをやるべきで、いまやる」。
そうして生きていこう。

私は、
他者貢献の価値を感じる自己充足的な「料理人」。
自己実現と表現の価値を感じる未来志向的な「音楽家」。
この2つを輪にして、人生を快く転がしていく。
憚ることなくエネルゲイアな人生を噛み締めていく。
よし!やっていこう!!

では、引き続き人生を快くまっとうしていきましょう。

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