115_表現と鑑賞_2月


2月【鑑賞】なし(…!)
【表現】CMオーディションで奥さん役。子供が遊びを覚える瞬間に立ち会ってちょっと感動。

2月
【鑑賞】
・伊藤万理華 個展 HOMESICK
関係者の方と呑んだことも後押しとなり、観に行く。
乃木坂46在籍時代に撮影した個人PVを知り合いが監督したことで伊藤万理華というアーティストの存在を知る。
個展の規模自体は小さいが、深化の過程をこのように垣間見ていることが嬉しい。
・舞台 CBGKシブゲキ!presents「春母夏母秋母冬母」
CBGKで2人芝居。カッコいい、綺麗、可愛い、では埋まらない劇空間をどのように、そしてどんなものが埋めて満たしてゆくのか、
それは互いの歩み寄りと見守りと外連味とぬくもりなのだとこの作品を観て、終演後の面会のみんなの顔を見て、思う。
こういう空間もあって良いのだ、と。
・舞台 サゼン~幕~
友人が出演しているので、観に行く。
あうるすぽっとは間口が広い。大衆演劇にも近いような、丹下左膳というテーマで任侠もの、人情ものを上演する、そしてそれを
観る。かなり判りやすい物語の展開ではあれどしっかりとお客様の感情の手綱を握って離さない。握ったままではなく、緩めたり、
現代劇のような、令和の物語のような語り口も交えており緩急が巧みである。
・舞台 往転
本多劇場にて。桑原裕子という劇作家の底知れなさ、人の業の描き方、まなざしの角度にたびたび打ちのめされて、感動してしまう。

・ポートレート写真の撮影2件
4月の舞台公演の宣伝材料としての意味合いも含めて、友人に撮影してもらう。
SNSとどう向き合うか、が試されている
・動画撮影
上記のことも含めて、FacebookとInstagramのストーリーに主に掲載する用の動画を撮影、アップしている
長いドラマの演技はスマホでは見ない。短くて、サイレントでも見られるもの、ながら見に対応できる映像をコンスタントに
アップする。サブリミナルのような、刷り込みのような感じである
・読み合わせカフェに行って自身が書いた台本を店員である役者に読んでもらう(自身も参加)
自分自身が二人芝居を書いて、それをだれかに声に出して読んでもらうという実験をしたかった。
初見で本読みをするということは脚本の読解力と動体視力、漢字を戦闘速度で読める国語力といった色んな要素が求められるのだが、
担当してくれた方々は本当に初見読みとは思えない馴染み方で読んでくれた。
言いやすいセリフだった、という感想は脚本家としては嬉しいのかもしれない。

関かおりPUNCTUMUN 『むくめく む』
https://setagaya-pt.jp/performances/sekikaori20200203.html
顕微鏡で覗いてやっと見える世界、人間とは異なる時間軸で営む不思議な生き物を「観てしまった」という気持ちにさせる舞台でした。
床一面に砂が敷き詰められ、その上で転がったり飛んだり、絡みあったりして。微細な身体の動き、クスッとさせる仕草、一体何のための動きなのか?
いつまでも飽きずに昆虫を観ている子供になったようでした。

【表現】
「腰痛を治したけりゃろっ骨をほぐしなさい (健康プレミアムシリーズ)」
ストレッチモデルやりました。みなさん買って試してみてください!
https://honto.jp/netstore/pd-book_30187726.html
「カラダを柔らかくしてあらゆる悩みを解決! 超速効ストレッチ」
ストレッチビフォーアフターモデルやりました。
https://magazinehousebooks.jp/n/na425557292f8
相沢僚一個展『ゲームしかしてない』関連イベント
山本晴歌によるパフォーマンス『相沢僚一作品を食べる!』
美術作品を食べるパフォーマンスをしました。
相沢僚一さんの作品は,いつかはなくなってしまう対象物(植物,果物等)に絵をかいています。
飼っていた犬や住んでたお家,つまりずっと一緒だと思っていたものがなくなってしまったことから,「ものというものは残らないもの」だと感じるようになったそうです。
また「残らないのなら、わざわざ強固な素材で作品を作る必要はないのではないか?
また、どれだけ強固に作品を作ろうが、最終的に消失するならどれも結局同じなのではないか?」
という事から,相沢さんの作品は対象物の干渉を受けてほとんど残らないものばかりです。
どの作品も儚く尊い作品だと感じました。
残らない作品をつくるのであれば,作品を食べるという事も作品として一つの意味を持つのではないかと感じ,りんごに女の子が描かれている作品「わたしは老いを知らない」を7000円で購入し食べるパフォーマンスをしました。

【鑑賞】
「やすらぎの刻~道」第227話
出演したドラマの放送。自分の出演シーンは少しだが,大御所と呼ぶにふさわしい俳優が数多く出演するドラマに参加できたことを嬉しく思った。老人ホームを舞台に展開するドラマのため,出演者も高齢の方が多い。撮影途中で亡くなられる方もいる中で,一年掛けてこのドラマを作っていくことの凄みというか,意味のようなものを感じさせられた。
「湘南純愛組!」第5話
こちらも自分の出演回。「GTO」で有名な鬼塚とその相棒弾間の青春時代を描いた同名漫画の実写化作品。粗削りながらもエネルギーに溢れたドラマだった。夏のクソ暑い中ジーパンに革ジャン着てバイクに跨る長髪のチーマー達。90年代の風が吹くぜ…。そういえば俺,髪長かったんやなあ(しみじみ)

【表現】
事務所の自主稽古

【鑑賞】
「DOMANIー傷ついた風景の向こうに」国立新美術館
昆虫の作品が最も興味深かった記憶しかない。展覧会としては少しのほころびもなく理路整然と、「正しい!」「パーフェクト!」な展示でして、いわゆる「それ(日本博)」への、アンチテーゼとは思えなかったけれど、その展評はどうなんっていう感じです。宮永愛子さん大変きれいでした。いやしかし、数の力で努力賞的に邁進していてそれがいいのか、はて、、、と思わるを得なくて、ううん?となりました。以上。


【表現】

「触れないことへのいくつかの動機」、パフォーマンス
(①同じところを同じ方向に永遠と歩きながら、歩く速度で一定の足音でリズムをとる。
②紙に線を引いて便箋をつくる ③泣く人・焦る人 ④全部が一度に終わる )

【観賞】
TPAM No.60

F/T18に演出で参加したダンサーのピチェ本人が出演したダンス作品。
タイ古典舞踊に新しい型を作るという内容。
そもそもダンスの完成度が高いのに加え、芸術における守破離を目の前で見ることができたのが面白かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?