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訳ありの女性客

「バーのカウンターを前にしたら男も女も上司も部下も関係ない。」

きっと多くのバーテンダーがそんなことを思いながら今日もカウンターに立っている。

けれど、たった独りでバーの扉を開けるお客様、特に女性のなかには"訳あり"のお客様も少なくない。

彼女たちはなにを思いバーの扉を開け、カウンターに座るのだろうか。

会えるアイドルを追いかける女性

ある女性客は典型的なアイドルのおっかけだ。追いかけるアイドルは決まって地下アイドルのような会えるアイドル。

ライブの後には決まって当時僕が働いていたお店に寄ってライブで購入したCDをスタッフ全員分(といっても2人しかいなかったが)置いていく。いわゆる布教用というやつなのだろう。ほろ酔いになっては「私は会えるアイドルにしか興味がない。じっさいに合って話して、彼らが成長していくのを見るのが幸せ」と口癖のように言っていた。

彼女は当時たしか結婚して5年目、子供はいなかった。話を伺っているとたぶんそこまで夫のことが好きじゃないんだと思わされることがたびたびあった。家庭の話をする彼女はいつも憂鬱そうだったからだ。

5年のあいだに愛が薄れたのか、もともとさして愛情がなかったのかはわからない。僕らにできるのは、ただ彼女が推しのアイドルの話を楽しそうに語るのと家に帰るのが心底嫌なのだという愚痴を聞くことだけだ。

とある俳優の熱烈なファン

このお客様はとある俳優の熱烈なファンだ。SNSで知り合ったファンコミュニティの仲間たちと撮影現場やイベント会場に赴いては盛り上がっている。

僕と彼女は僕がバーテンダーをはじめてからの長い付き合いになる。お店が変わっても定期的に僕の働くお店に顔を出してくれていて、よくその俳優の話を聞いている。あまりに聞かされるものだから僕も一時期その俳優の出ている番組をよく見ていた。

数年前には結婚して今では結婚相手の男性といっしょに来てくれる。とても仲が良いお二人で、酔っぱらってくると仲睦まじく肩を寄せ合っているのをみては羨ましく思うことも多かったが、1年に一度ほど手首に傷を作ってやってくるということも僕は知っている。

充足しているであろう日々のなかで、彼女がなにと戦っているのかはいまだにわからない。

元夫と仲良くする女性

ある妙齢のご夫婦。共にバツイチだという話は聞いていたが、女性はいまでも元夫とときどき会って買い物にいったり飲みに行ったりしているらしい(隠しているそぶりもない)。

このことを男性がどう思っているのかは知らない。社交的なご夫妻だったので当時そのお店には顔なじみになった常連様も多く、こうした女性の素行は知れ渡っていたが、男性はその話題にはあまり触れたがらなかった。

ご自宅にもお呼ばれしたことがあるのだが、キレイでおしゃれに整えられた絵に描いたような整ったご自宅。グルメなお二人なので手料理も素晴らしく美味しく、お酒も歴戦の酒飲みを満足させるものばかりだ。

僕はときどき、表向きはどこをどうとっても理想的な夫婦像のように見えるおふたりも他人には理解できないような歪な関係性のうえに築かれているのだろうかと考えてしまう。

複雑な事情を抱えているような気がする女性たち

経験上、男性は単純なのものでいわゆる訳ありみたいなお客様はすくない(あってもそれはたいていただの浮気で性欲の発露だ)。

でも女性のお客様は一見ごくごく普通の方でも、バリバリのキャリアウーマンでも、キャピキャピのギャルでも、バーに定期的に訪れる方はなにか複雑で言葉にならないものを抱えている方が多い。これは勝手なバーテンダーの憶測でしかないのだが、今回紹介した女性たちもそんな節がある。

アイドルにしろ、俳優にしろ、元夫にしろ、身近な人以外のなにか非日常的な存在に寄り掛からないと自分を保っていることができないのではないか、と勝手に勘ぐっててしまうのだ。

そしてその非日常の存在の儚さを確かめるようにしてカウンター上で僕らにそのことを語り、変える時には思い出を置いていくのかもしれない。いつもの何の変哲もない日常に戻るために。

いただいたサポートは将来自分のお店を開店するための開業資金として大切に貯めさせて頂いております。いつの日か皆様とカウンター越しに出会えることを祈って―。