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56. 表現者

表現者と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか。

歌手、ダンサー、画家、小説家、、、

自分自身を表現する方法はたくさんあります。

これらの人たちは形は違えど、自分で体、声、言葉、絵などを使って何かを表現しています。


私はこれらのような「あふれんばかりの自分の世界」「自分なりの形」で表現する人たちが大好きで、これらの人に対しての大きな憧れやリスペクトがあります。


何を隠そう、私が一年前にこのブログを始めたのも、自分が味わっていること、考えていることを自分の中に留めておくのではなく、「自分の言葉」で表現したいと思ったからです。



2年前、私は自分自身どのような生き方をしたいかということを深く考えました。

その際に、自分の中で出来上がった大きな軸の一つとして出来上がったのが、

「自分が死んでも、周りに影響を与えることで可能な限り自分が生きていた証、意味を世界に残したい」

という思いです。


自分の行動や言葉、考え方の影響で誰かの人生が前向きにし、それらの人がまた周りに良い影響を与えていくことで、世代を超えて少しでも世界を良い方向に変えていくということです。


それが今の職業選択にもつながっています。


また、自分自身の意見や考え方をこのようにブログという形で、インターネット上に発信していくということが「自分自身」を世界に発信し、半永久的に世界に「自分」を残していくことになり、結果として「自分の生きた証や意味を世界に残したい」という目標につながると思い、取り組んできました。


(最近はかなりさぼってきましたが。(笑))


デジタルタトゥーというネットの恐ろしさを表す言葉がありますが、それを前向きに刻んでいってやろうと思っています。





私たちは日頃から様々なことを味わい、経験し、考えながら生活をしています。

それは地球上に約80億人いる中で、80億通りの人生があり、一つとして同じモノはありません。


しかしながら、自ら表現しない限り、それらの経験や悲しみ、喜び、苦労、思いなどは周りの人には全く見えません。


人混みを見つめていても、全員が違う人生を経験しているにもかかわらず、あたかも無機的に見えてロボットのように見えるのは、それらの人たちが何も表現していないため、何も情報をキャッチできずに同じように見えるからです。



日常生活をしてる中で表現しない人のことを理解することは不可能です。


他人の頭の中を覗き見るようなことはできません。


だからこそ、80億分の1つの人生、自分の世界をあえて誰でも見えるこのインターネット上に私の選んだ言葉で「表現」していきたい。


そしてそれが誰かの目に届くきっかけになって、世界のどこかで役に立って、自分の生きた証を刻み続け、自分が死んでもその価値を残したい。



そのような心に秘めた思いを今日このブログで「表現」してみました。


そしてこれからも生涯かけて表現者でありたいと思います。


ゆくゆくは言葉だけでなく、様々な形で表現して行けたらなと思います。



このブログを読んでくださって誰かがまた自分自身を表現していくきっかけになれば幸いです。


今回は僕自身の話が多くなってしまいましたが、また表現者の魅力について違う視点で書いていきたいと思います。



これからも自分の世界を表現していきたいと思うのでよろしくお願いします。










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