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59. アートの楽しみ方

以前、「58.かつて天才だった俺。」という記事を書きました。

要約すると、小さい頃は皆自分の身の丈を知らないがゆえに天才だと思い込んでいるが、やがて、否定された経験や、失敗した経験などから少しずつ身の丈をしり、自分が天才であるという幻想は消え、面白みのない人間になってしまう。
そういった記事を書きました。

Creepy Nutsの「かつて天才だった俺たちへ」という曲の紹介でした。



多くの人が「元自称天才」「現自称凡人」だと思います。

そんな丸くなって面白味がなくなってしまった大多数の中で、常識にとらわれない自分のスタンスを持ち続けられる人はほんの一握り存在しています。


本来の技術的な才能ももちろんそうですが、自分を天才だと信じ、自分が思ったことを自分のスタンスで表現し続けられる人。


それが一部の表現者やアーティストです。


僕は以前、「56.表現者」でも書きましたが、表現者に対して大きな憧れがあります。


その中でも僕がかっこいいと思う「絵の表現者」ピカソです。


多くの人は初めてピカソの絵を見たときに、


「小学生の絵みたい。自分でも書けそうだし、意味わからないし何がすごいかわからない。」

と感じたのではないでしょうか。


僕も最初はそう感じていました。


しかし、今になって僕はその感想こそが、ピカソのアートの本当の楽しみ方なのだと思います。


多くの人は常識にとらわれているからこそ、常識にとらわれない表現をしている彼を理解できないのです。


僕も彼の感覚は理解できません。


しかし、常識や世間が求めるものに囚われたり媚びたりせずに自分の感じたこと、表現したことをありのままの形で表現している彼の生き様やプライドをその一つの絵から理解できます。


見たものをそのまま描写することは100人いれば100人同じような絵を描くことができます。


しかし、被写体を自分の解釈、感覚で表現をするといったときに彼の豊かな感受性が非凡な才能として絵として表現されているのです。


泣く女の絵を描くというお題が出たときにこのような絵を描く人は恐らく人類で一人ではないでしょうか。

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その異常性、希少性を楽しむことこそ彼のアートの楽しみ方だと僕は思います。



「アートは自由」といいますが、多くの人が共感するのも、見たまま本物のようにそっくりに描くのも、何気ない日常を切り取るのも、醜くて汚いものを描くのも、誰も理解できないような方法で表現するのも全てアートだと思います。


それを絵や言葉、体、音、声などを使って自分の好きな方法で自由に表現していく。


人によって感じ方や捉え方は違うため、表現方法も大きく変わってくる。


それってすごく面白くないですか。

なぜ、この状況をこのような言葉で表現したんだろう。
なぜ、この色でこの部分を塗ったんだろう。
なぜ、この絵にこんな関係のないものを描いているのだろう。
なぜ、この曲の振り付けでこのような動きを入れたのだろう。


そのような表現の裏にある表現者の思いを考えたりすることが僕は大好きなのです。


このようなことを考えることが好きなので、僕は誰もが思いつくようなありふれた表現よりも、世間の理解を得ようとせずに、自分の世界観を存分に発揮した自称天才の表現者が好きなのです。


アートの表現方法も十人十色であれば楽しみ方や好みも十人十色です。

アートってよくわからないという人も多いと思いますが、そのわからない状態を楽しんでみませんか。

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