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シシリアの娘


 子どものころ、親につれられてしばしばおとずれた喫茶店がありました。お店のマスターと私の両親が親しかったようです。ドアを押すとカランコロンとあたたかな音色のチャームが鳴る小さなお店でした。

 きょうはマスターのうちの子もお店に来ているから、ということで親たちにうながされてその子と遊んだことがありました。厨房のうらにかくし部屋のようなせまい空間がありました。その小部屋にはいると私とおなじ年ごろの女の子がひとりでしずかに遊んでいました。お人形やおもちゃがたくさん散らばっていました。
 最初はそこらへんにあるおもちゃを手にとって別々に遊んでいましたが、しだいにおたがいの波長がなじんできて、いつとはなしにひとつのおもちゃで一緒に遊びはじめました。

 迷路やる?と女の子が紙の筒を出しました。それは彼女が鉛筆でえがいた手づくりの迷路でした。その迷路がおもしろいのは、巻き物のような仕掛けで道のさきを見わたせないようにしてあることでした。私が指で迷路をなぞるにあわせて、彼女は巻いてある紙をすこしずつひらいていきます。私の指がわかれ道の一方をえらんですすむと、また彼女が少しひろげる……そうやって先のわからない洞窟探検のような迷路をたのしみました。私も迷路をえがいて遊んだことはあるけれど、こんな発想はしたことがなかったので目からうろこが落ちました。
 私がゴールをすると、こんどは交代して彼女が指をすすめ私が紙をめくりました。あたらしい紙へあらたに迷路をつくったりもしました。
 そうやって遊んでいるうちに親同士の会話がおわって、帰る時間になりました。私はうしろ髪をひかれるおもいで小部屋をあとにしました。

 大人になってから喫茶店のあった場所を車で通りがかると、そこには殺風景な新聞配達店が建っていました。かつての木立にうもれた純喫茶のおもかげは微塵ものこっていません。
 マスターの娘さんと会ったのは、あのときが最初で最後でした。あのかくし部屋のような小さな空間で彼女としずかに遊んでいたときの、さびしいような、うれしいような、やすらいだ気持ちをなつかしく思いだします。今はなきその店の名をシシリアといいました。



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