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山路

 昼どきに近所のパン屋へ出かけた。パンを買えるだけのお金をポケットに入れて、スニーカーをつっかけて家を出た。ところがパン屋は休業日だった。私はがっかりして引き返した。パン屋の前は広い公園になっている。帰路を公園内の通路にとって戻ることにした。

 五月晴れだった。その日はゴールデンウィークのただ中だったかもしれない。公園には子供達の歓声が響き、鴨がしずかに水尾を引く池のほとりに、老若男女がめいめいの姿勢で寛いでいた。蒸し暑い日で、風もなく、新緑の梢が重たげに枝垂れていた。
 公園のにぎわいにそそのかされて、私はさらに向こうの神社へ足を伸ばす気になった。いつも県外から観光バスが乗りつけている大きな神社である。

 神社にも人は多かった。鳥居から少し行くと、境内の脇に見上げるような石段が聳えていて、その先は濃緑の森に飲み込まれている。それを登った。百段あるらしい。私は段をかぞえながら登った。途中でふりかえると、ふもとからは思いもよらない高さと勾配になっていてぞっとした。急に足が重くなった気がした。登りつめるとそこからハイキングコースになっている。石段は、百段より数段多かった。
 神社は市街地のど真ん中に、巨大な鯨のように細長い小山を横たえている、その鯨の口元へ境内を構えている。尾根伝いに全長八キロメートルほどのおだやかな山道が延びていて、ハイキングに最適である。行楽日和とあってハイキングコースもいつになく賑々しかった。私はどこまでという見当もなく、なんとはなしに尾根道を歩きだした。落ち葉の散り積もった陰気な木陰に、イノシシ注意の立札が傾いて刺さっていた。

 道は雑木林や農家の畑の間を縫うように、上ったり下ったり、うねったりひらけたりしながら一条に延びている。ときには壁のように立ちはだかる急斜面も現れる。そういう所には土から剥きだした木の根がちょうど階段のようになっているので、根を足がかりによじ登った。山道に慣れない私はあっという間に脚が弱ってきた。しかし一歩一歩に抵抗を感じながら、それを打ち破るように進むのは一種の爽快だった。お年寄りもスタスタと歩いている。私はパン屋の憂さを晴らすようにズンズンと歩を進めた。

 歩を進めるにしたがい、ようよう道は細くなって、道端の様子も荒れて、頼りなくなってきた。人影もまばらになって、老人や家族連れやカップルのにぎわいが消え、登山装備に身を包んだ慣れた足取りのハイカーや、颯爽と駆け抜けていく日に焼けたトレイルランナーの黙々とした影がときおり往来するだけになった。
 雑木林がひらけると眼下の町を眺望できた。北には折り重なった連山を霞が包み込んでいる。南には淀んだ太平洋が広がって幾重もの白波を散らけている。波はスローモーションのようにゆっくりと見えた。その山と海の間を無数の住宅がすし詰めになっていた。針を立てる隙もない。自分の暮らしている生活圏も、上から見下ろすと別世界に見える。この粒子のような家の一粒一粒に、抜き差しならない重い人生が宿っていると思うと、途方もない気持ちになった。すぐそこにミニチュアのような私の家も見とめることが出来た。

 行けども行けども道は一本だった。二手に分かれてもすぐに合流して同じ道になる。さいしょはベンチや遊具なども見かけたが、しだいに荒々しい自然が主役になってきた。くらくらするような巨大な鉄塔をひとつ過ぎてからは、文明の威容は影をひそめた。錆びきった真っ赤なドラム缶に雨水がいっぱいに溜まって、緑色に濁った水を湛えている。農作物を運ぶためのレールが、これも真っ茶色に錆びて、草陰に埋もれているのも見えた。目的を失った遺物ばかりだ。人声も物音もしない。退廃的で、そして安らかな風景である。

 私はすでに滝のような汗を流していた。光線が差して、顔が、かっとする。ゆでだこのように赤ら顔になっているのがわかる。しかしタオルも水筒も持っていなかった。手ぶらだった。シャツにジーンズという軽装は、まるで近所にパンを買いに行くような格好ではないか。いや、そのつもりで家を出たのだった。
 今さら場違いな気がして、気おくれしてきた。ときおりすれ違うハイカーが心なしか私を見て薄笑いをしているような気がする。底がペラペラのスニーカーは、固い木の根や尖った石の感触を直に足裏へ伝えて体力を奪うのに余念がない。だいぶ草臥れた。ポケットのお金は山では何の役にも立たない。

 ジーンズのポケットに、ポケットティッシュが入っているのに気が付いた。私はそれを一枚引き出して顔の汗を拭いた。ティッシュはたちまちグズグズになった。丸めてポケットに仕舞う。そうしてまた歩き始めた。後から来た青年が忌々しげに私を追い抜いていった。
 今どの辺りにいるのか、よくわからない。あとどれくらい歩くのか、自分でもわからなかった。なんのために歩いているのだろう。そこに道があるからとしか言いようのない心境だった。しかし帰るだけの体力は残して戻らなければならない。今の疲労を二倍してみた。家に辿り着くか、不安になった。

 不安と疲労からすっかり気が萎えて、私は市街地へ下りる道を探しはじめた。自宅のある側とは反対の斜面にしか下山ルートはなかった。ともかく今はすぐに山道を離れたいとおもったので、目についた脇道へ飛び出た。山道を外れると舗装道路へ出た。アスファルトの急坂へ靴音をペタペタさせて下りた。ものの数分で住宅街へ滑り出た。
 疲れがどっと押し寄せた。けれどもここからまた、来た方角へ同じ距離だけ戻って、山を迂回して、自宅へ戻らなければならない。日は陰り曇天となっていた。暑いのだか寒いのだかもわからなかった。重い脚を引きずって、やけに陰気な住宅街を無心に歩いた。なぜこんな近所で、こんな心細い思いをしているのかわからない。ガスの抜けた風船がよれよれと横滑りするように私は歩いた。

 ようやく神社の鳥居まで戻って来ると、ほっとした。そういえば、昼飯を買いに出たのだった。もう夕方近い。最後の力をふり絞ってスーパーマーケットへ寄り、ポケットのお金でお弁当を買って、ほうほうの体で帰還した。こんなぐだぐだになったのは近年にないことだった。
 顔が火照って、やや脱水状態になっていた。洗面台に立って鏡を見ると、汗を拭いたときのティッシュの屑が顔にたくさん付いていた。この顔で、すれ違うハイカーと挨拶を交わし、市街地を徘徊し、スーパーで買い物をしていたのだった。痩せる思いがした。買ってきたお弁当も旨いのだか不味いのだかよくわからなかった。

 あとで地図で調べてみると、自分が下山したのは全長の半分ほどの地点だった。ハイキングのつもりでいけば何でもない行程も、そのつもりがなくて無分別に紛れ込むと、大きな負担になるのだった。今度はしかるべき装備と心構えでもって、あの山道を爽やかな汗で上書きしてこようとおもった。それから、パン屋の休業日も調べておこうとおもう。



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