見出し画像

最終講義みたいな良い本〜読書日記『バブル―日本迷走の原点』

大学の教授になって長年勤めると、やがて定年が訪れるわけですが、すると「最終講義」ってのが開催されることがあります。皆さんおやりになるのか、偉い人だけおやりになるのか、ちょっとわかりませんが。

わたし、この「最終講義」ってのが好きです。

ある先生の人生というか、学問の軌跡というか、つまり、何を学び、何を問いかけ、どんな答えを得たかという、ある人間の膨大な営為が濃縮して詰まっているからです。

もれなく感動します。


さて、そんな最終講義みたいな素晴らしい本というのに時々出会います。

本稿でご紹介する「バブル―日本迷走の原点」もそーゆー良い本でした。

作者は長年日本経済新聞社で記者をされていた方で、記者時代は日本経済新聞社・証券部のエース記者として名を馳せたそうで、父は三菱金属社長・三菱マテリアル会長を歴任、日経連会長を務めた永野健、祖父は運輸大臣を務めた永野護です。

バブルと言いますと、わたしたちの世代がちょうど就職する頃でして、色々華やかな、虚飾に満ちた話を見聞しました。

ただ、わたしは経済にあまり興味がなかったもので、バブルの具体的なことをよく知らなかったのですが、この本を読むことで、名前だけは知ってる人や組織、例えば尾上縫と日本興業銀行、小林茂と秀和グループ、渡辺善太郎と麻布建物グループ、小谷光浩と光進グループ、高橋治則とEIEと東京共和信用組合、等々が何をしたのかが具体的にわかって、とても勉強になりました。

つまり、バブルで、我々は本格的に倫理を失ったんだな、と。


人間の社会というのは、多くの場合、背骨になるような、建物の基礎となるような、その社会の構成員の多数が受け入れている倫理体系を持っています。

キリスト教とかイスラム教とか、珍しい例だとマルクス主義&中国共産党綱領とか、ですね。

それが戦後の日本にはないわけです。

良いことなのか、悪いことなのかわかりませんが、とにかく、ない、と。持ってる人もいるけど、社会の多数が受け入れているものがない、と。すると、現世利益優先になりがちなんですね。

戦後というのは、ある意味、そーゆー社会が、急成長する経済を抱えるとどうなるのか、という実験のようだったんだな、と。

また、国にも銀行にも企業にも個人にも、倫理を失った醜い行動をとった大多数がいた一方で、それにあらがって戦った少数のちゃんとした日本人もいたのだ、と知りました。

なんかこの↑図式、無謀な日米戦争を起こして破滅した戦前の陸海軍組織に似てるような。

詳細は、ま、本を読んでいただくとして、とても勉強になり、かつ面白い本でした。