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芸術日記

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記事一覧

お詫びの手紙を国宝にした表現力〜懈怠者で書の名人・藤原佐理の悲哀

さて、榊莫山の番組を見て書の魅力を知ったわけですが↓ そうすると「書の歴史」みたいな本を買いますわね。買いませんか?こんなような↓なんか、すごい高くなってますが、もともと定価は500円です。 で、パラパラ見てみると、日本の書の歴史をたどると、だいたいどんな本でも最初に最澄が出てきて、空海が出てきて、嵯峨天皇が出てきて、小野道風が出てきて、って流れがあります。榊莫山の『書のこころ』もそうですが。 ↓最澄の書 ↓小野道風の書 小野道風まできて、そのあとにパッと場面展開を

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榊莫山『書のこころ』〜優れた「書」には人生と人格が投影されている

すごく昔、榊莫山という書家がNHKの教育テレビで30分番組をやってましてね、それがすごーく面白くて、今も心に残っています。 榊莫山という人は、とても面白い語り口を持った先生で、それは行儀のよい感じではなく、ある種の破天荒さを持った面白さでした。 おそらく、若い頃から才能を讃えられながらも、書の、なんというか書壇というのか、書の社会というのか、そーゆーものの時代遅れの手法や常識に疑問を抱いて決別し、独自の道を行ったことによるのだろうと思います。 それは、学徒出陣で出征した

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子どもの頃モテたせいで女心が全然わからないダメ人間に育つ

年をとってくると、同級生と会う機会が増えます。なんだかんだで。そうすると当然昔話が始まるわけですが、そこで自分の知らなかった自分に会うことありませんか? わたしね、その昔、モテたらしいです。 すいません。ほんと、すいません。でも、話のとっかかりなんで、ご容赦ください。 いや「人気はあるな」とは思ってたんですよ。面白いこと言うし。ちょっとシュッとしてたし。 でも、モテてたとは知らなかった(T_T)知ってたら、もっと有意義に青春を生きられたのに(T_T) で、なんでそー

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ビュッフェのミューズ・アナベルの活動と宍戸游子の情熱

ベルナール・ビュッフェに関する本を読んでいると、若き日の話に、必ず「ピエール・ベルジェ」という人が出てきます。この人がビュッフェの社交性の欠如を補い、画商との交渉やマスコミへの対応等々を行っていたのだ、と。 後年、イブ・サンローラン本人とイブ・サンローラン社を共同で設立し、同社を世界的な企業に育て上げるのを手伝ったとても有能な人物だ、と。 ピエール・ベルジェについて、「友人」と書かれてたり、「パートナー」と書かれていたり、何とな〜くハッキリしない書かれ方をしてることが多い

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ニコラス・ブラザースというart

芸術というのは、いわゆる「高尚」なものだけの話ではなく、本来もっと幅広いものを指します。 「芸術」っていう言葉も「art」っていう言葉も、つまり東洋でも西洋でも、その語源は「種をまいて実を育てる」みたいな意味だそうです。 近代に入って芸術やartを特別なものとして切り離す考え方が強くなりましたが、一方で切り離さない考え方もあります。わたしは切り離しません。 というわけで、ニコラス・ブラザース。 わたしはダンスにあんまり興味がないんですが、たまーにニコラス・ブラザースを

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藤田嗣治への長年の誤解と再評価と作品の力〜『なぜ日本は藤田を捨てたのか?』

芸術の良いところ 芸術の良いところは、作品の前にあれば、性別も、肌の色も、顔の良し悪しも、社会的地位も、生まれも育ちも、ほとんんど何もかも関係ないとこです。 関係あるのは、作品だけです。 作品が良ければ、その他のことはあまり関係なくなります。特に、時代を経ても残る作品であれば。 2010年代の藤田嗣治(レオナルド・フジタ)の日本における再評価を見て、その感慨を新たにしました。 エコール・ド・パリの人気画家で戦争画の人気画家 藤田嗣治は、エコール・ド・パリで活躍した世界

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スルガ銀行とパトロン岡野喜一郎とベルナール・ビュッフェ

スルガ銀行とベルナール・ビュッフェスルガ銀行がやっちまいましたね。シェアハウスやアパートの投資を巡るトラブルで不適切な融資が続々と明らかになって、各方面から批判を浴びています。 お金をたくさん扱うとこってのは、高度な倫理を持たないと、あちこちで発生するバブルに踊りやすくて、怖いですね。どーしたって。スルガ銀行は、バブルの頃の他行の悪行に学んでなかったんですね。 しかし、スルガ銀行、わたしの中では評判良かったのに、残念だなぁ。 今はどうかわかりませんが、昔、わたしの育った

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80歳を超えた葛飾北斎と娘のお栄(葛飾応為)の作品を信州小布施・北斎館で見るべし。

葛飾北斎という人は、非常に長命で、90歳まで生きたと言われています。江戸時代の人なのに。生年は推測だそうですが。 北斎というのは、ほんとに世界的に有名で尊敬されている画家で、海外の色んな美術オークションで北斎の浮世絵や複製画がどんどん出品されて、どんどん落札されるほど人気があります。 この方、80歳を超えてなお新しい境地を開拓し、自身の芸術を高めていったんですね。 偉いもんです。 ということを、情報として知っており、本では見たことあったんですが、実際に80歳を超えた年

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タカシおじさんのあやまち〜第1回麻雀名人位・青山敬の墓碑銘

麻雀のプロなのは秘密2008年に父が亡くなった時、ふと気づいた。父の兄弟は父が亡くなると、一人しか残っていないこと。私の父方も母方も昔の大家族で6人以上の兄弟姉妹がいたが、母方はまだあまり亡くなってなかった。 父方は戦争中貧乏して大変だったが、母方は比較的裕福だったと聞いていたので、若い頃の生活というのは、その後の人生にまで影響を及ぼすのだと思った。 当時、母方はまだみんな存命だったような気がしたのでそう言うと、 「いや、タカシは亡くなった」 と教えてくれた。タカシお

明治人の気宇〜渡邊庄三郎の新版画ムーブメント

明治人は気宇が違うなー、と感じることありせんか? 新版画のブームを欧米に巻き起こした版元・渡邊庄三郎の評伝を読んで、明治人の気宇を感じました。非常によい本でした。 渡邊庄三郎は、茨城県五霞村の大工の息子で、子供の頃に東京へ丁稚奉公に出てきた、ま、言わば普通の庶民です。 その子供が、縁あって浮世絵商の社員になり、辛苦して日本有数の「浮世絵商であり、かつ浮世絵研究家」という存在になり、ついには「新版画」の版元となり、欧米でその名を轟かせたわけです。 渡邊庄三郎は、丁稚奉公

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巨乳を活かしきれなかった友人へ贈る峰なゆか先生の説話

巨乳を活かしきれず、未婚のまま一緒に50代を迎えた小・中学校の同級生がいます。 過去、夫をもらう気はムンムンありました。 でも、未婚です。 ↑本人。 なにをしてんだ、と。 巨乳にどんだけ価値があるのかわかってんのか、と。 しかも、太めではなく、標準体型巨乳なのに(怒) 厚木の七沢にあるタイ料理店waiwaiで説教してやりました。 そんな巨乳を持て余しているみんなに「峰なゆか」先生の説話を贈ろう。 峰なゆか先生は、漫画家です。 この方、もともとAV女優やって

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名著『戦後美術盛衰史』針生一郎 著・東書選書(絶版)

私はマスコミの片隅にいた。 今はなき新日本文学会でアルバイトをしたり、調布画廊が出している美術雑誌を本屋に売って歩いたり、中国巨龍新聞という会社で働いたり。 色々と勉強になったが、痛切にわかった事は、 「マスコミ、つまり大量生産・大量伝達のコミュニケーションの枠組みの中では、それらの出版物はビジネスとして成立しないのだ」 という事。 文学会の季刊本も画廊の雑誌も中国巨龍新聞も、あまり売れないので、トーハンや日販のような出版取次大手が、なかなか扱ってくれない。扱ってく

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安藤忠雄の「住吉の長屋」と村野藤吾の名言

「住吉の長屋」は、世界的に著名で、日本を代表する建築家の安藤忠雄が、若き日「日本建築学会賞」を獲得した出世作です。 昭和51年に当時斬新だったコンクリート打ちっ放しと、革新的な哲学で、すごくインパクトを与えたそうです。 これがさすがに素晴らしくて、外見は↓こんな感じなんですが、 横から見ると、↓こーゆーふうになっています。 つまり、真ん中に中庭があります。 だから、あっちの部屋からこっちの部屋に移動するのに、外を通らなければいけないわけです。 雨の日は雨に濡れ、寒

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創造は、逆境の中でこそ見いだされる〜安藤忠雄『連戦連敗』

安藤忠雄の『連戦連敗』は、心にキックが入る。 90年代のある時、この建築家を知った。大阪の茨城市にある通称「光の教会」の建設過程を追ったNHKのドキュメンタリーだった。 「光の教会」は、外の世界・太陽・光と建物内の世界・教会・祈りが見事に連結され、シンプル・簡素であるにも関わらず「教会」という建築物が持つべきであろうものが、豊かに、美しく表現されていた。 彼に興味を持って、『連戦連敗』を読んだ。すると、もっと深い興味に至る事柄が次々と記されていた。 若い頃にプロボクサ

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