見出し画像

やめるきっかけと次の扉

本が出版されました。

本が出版されると、古い友人や伯母からの「おめでとう」、夫の知人からの「買いましたよ」報告、漫画を始めてから知り合った方からも「よかったね」の言葉がどんどん届いた。ああ、俗にいう「反響」とはこのことか、と思ってしみじみとうれしくなった。

漫画を描き始めて何年になりますか?とインタビュー等で聞かれる機会も増えた。2015年の3月が最初に漫画をwebにアップした月なので、6年になる。6年続けていると、かつては私と同じ場所で漫画を描いていたのだが、もう描くのをやめてしまった人、というのが出てくる。

「結果が出るまで続けられる人って少ないのかもしれないですね」とそのインタビュアーは言っていたけれど、そういう意味なら私は最初から結果が出ていたな、と思う。2015年にブログを開設して、誰に向けるとも分からない本音をそこに書いていた。最初は文章だった。文章をアップして少し経った時、見知らぬ人がポンポンポンと星を3つつけてくれた。その瞬間の、なんとも言えないお腹の底から体が軽くなるような感じは忘れられない。

表現にとって、伝わることが結果なら、作るたびに結果は出ていたと思う。

むしろ初めから「大きな結果」を求めることを避けていた。わかりやすい大きな目標…例えば出版とか連載とか漫画で食っていくとか、それを声高らかに宣言してそのために努力しますと誓うことを、嫌っていた。そのことになにか違和感があって、違和感を持ったまま突っ走ると続けられなくだろうと思っていた。
(その違和感はつまり目的と手段の逆転ということなので、ある程度「連載」に手が届きそうな時に、「マンガを連載でやりたいですがどなたか組んでくれませんか?」と手段として募ったりはするのは大丈夫だった)

とにかく、私はかつて一度夢を諦めたことがあるので(※就活失敗の話は来年しっかり描く予定※)、モチベーションを絶やさないことだけはこっそりと、人一倍気をつけていた。モチベーションの火を吹き消す風だけしっかり避けていたら、6年間でやめるきっかけは一度も訪れなかった。

6年間続けていて、だんだん見て下さる人が増えていった。いいねがついた、賞で一次選考を通った、大賞を受賞した、企業から広告のオファーが来た、作品が書籍に収録された、と、そして今回、長く続けたご褒美のように(まぁ、継続と報酬って相関は無いけど)、本を出させてもらったことは単純にうれしい。描くたびに報われ続けていたからここまでこれた。「表現が伝わった」と私に言い続けてくれた人たちよ、ありがとう。

ところで「出版」というのは漫画描きにとって一つ大きな壁ではあるけれど、その壁についているドアを開けたら、また大きな世界が広がっているのだった。

つまり、私は今「奴は出版した漫画家の中で最弱…」ということであるのだ…。商業というのはつまり、本屋の漫画コーナーで他の漫画と並んだ時に手にとってもらえるか?ということだ。厳しい。新刊コーナーに同じように並んでいたら『サステナ片付け』よりも『ゴールデンカムイ』を手にとってしまうよね(大好きです)。でもすごくシンプルに言うとそういうことだ。生まれ変わっても野田先生にはなれないので、私はわたしの思うなりの「面白い漫画」をつくらないといけない。

つくるのに特別な才能が必要とは思わない。消費者であっても何が面白いかはわかるのだから。それを分析して再現するのは単に技術だろうと思う。単純にこれからも続ける。



サポートありがとうございます。とっても励みになります。いただいたお金は、描き続けるための力にします。具体的には、東京の勉強会への交通費とか、おいしいものとか‥です。