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幽霊に憑かれるにはー【エミリ•ディキンスン#670】

幽霊に憑かれたらどうすればいいだろうか。のたうちまわるか、お祓いするか、それとも共に生きるか……

孤独の詩人エミリ•ディキンスンは、あくまで私の推測だが、時折狂おしく孤独を感じたに違いない。それが激しい詩篇になり、解放を求めた叫びの詩篇となり、安息への希求の詩篇になった。

狂おしくさせるもの、それは自分の中の幽霊である。それを詠った詩が「幽霊に憑かれるにはー」である。自分の中の幽霊を見つめて、自殺で終わる詩である。

One need not be a Chamber — to be Haunted —
One need not be a House —
The Brain has Corridors — surpassing
Material Place —
Far safer, of a Midnight Meeting
External Ghost
Than its interior Confronting —
That Cooler Host.
Far safer, through an Abbey gallop,
The Stones a'chase —
Than Unarmed, one's a'self encounter —
In lonesome Place —
Ourself behind ourself, concealed —
Should startle most —
Assassin hid in our Apartment
Be Horror's least.
The Body — borrows a Revolver —
He bolts the Door —
O'erlooking a superior spectre —
Or More —
(#670)

以下、私のオリジナル、ことばのデザイナー訳。

幽霊に憑かれるには 部屋はいらない
屋敷もいらない 超自然ではなく
脳内にはリアルな
廊下があるゆえに

真夜中に屋内で会う 
幽霊はずっと安全
背筋が凍てつく

脳内の来客よりも

僧院を追われて 石つぶてを
投げられるのはむしろ安全
丸腰で だれもいない所で
自分と向きあってごらんよ

我が身の後ろに隠れた我が身が
最高にぞっとする
アパートメントに潜む暗殺者なぞ
ちっとも怖くない

首から下のからだが 拳銃を借りて
扉に錠をおろし 脳内の
跋扈する幽霊をながめやり
さあてとー

人類が生まれてから百億人以上の人が死んでいるので、もしも霊魂なる肉体の精が存在しているなら、地球上を埋め尽くしている。山の上の墓場だけでなく、道にも家にもどこにもいる。どこにでもいるもののけは怖くない。だが自分の中にいる幽霊は怖い。

なぜなら幽霊は自分を殺すからだ。

人により幽霊の性質は違う。たとえばエミリのような孤独な創造者であっても、俗な名声はともかくとして、詩を読んでもらいたい、認めてもらいたいという願いがあったのかもしれない。それを求めれば俗に染まる、霊性が失われることになる。あるいは普通に生きて愛して愛されたいという思いがあったかもしれない。それがかなわない「原罪の意識」、自分の中のデーモンこそ、エミリにとって真の幽霊であったように思う。

幽霊=魂とは、からだからの離脱であり、人の中にある二面性を表現している。分裂気質とも離人症とも言える。もう一人の自分という幽霊の存在は、救いにもなれば死へのけしかけにもなるのだ。

死を押し留めるのはなんだろうか。自分を見ている自分は、自分をどう制御するのだろうか。私の場合は、孤独な人の創作を読むことのようだ。それがエミリ•ディキンスンという孤独に惹かれる理由なのだろう。

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