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裸のオルゴール

春になると小さな頃から放浪癖がむくっと起き上がる。
なぜかはわからないのだけれど、宛てもなくふらっと
どこかに行きたくなるのだ。
歩いて行くときもあれば自転車で出かけるときもある。
記憶に残っている最初は、小学4〜5年生の頃だ。
今日のような晴れの昼下がりに自転車散歩に出かけた。
日曜日だったと思う。
穏やかな日差しと心地よい風が誘ってくれて、
今まで走ったことのない道を走り出した。
気に入った場所を見つけては自転車を停めて一休み。
ただそれだけのことがとても重要なことに思えていた。

こんな日もあった。そのときは歩いて出かけた。
青々した麦畑のあぜ道を畑の縁取りのように歩いて
小川のあるところに出た。
小川は少し段差があり、水がそこで流れを変える。
そういうところにはたいていザリガニがいるもので
覗き込めば、その日も大きいのと小さいのがいた。
でも、その日はぼく一人だったのでザリガニは獲らず
なだらかなあぜの斜面で寝転がって空を見ていた。
ちょうどポケットには裸のオルゴールを入れていた。
箱が壊れて、なかの機構部分だけのやつだ。
それでもゼンマイを巻くとオルゴールは音色を奏でる。
春の蒼い空と白い雲を見上げながら、小川のせせらぎと
裸のオルゴールの音色を聴いていた。
小さいながら誰も知らない幸福感を手に入れた気分は
格別だった。

ところが同じようなことをしていたある日、
裸のオルゴールがあぜの斜面を転がり落ちた。
落ちて小川のせせらぎのなかに沈んでしまった。
慌ててぼくは起き上がり、小川を覗き込んだが見つからない。
裸のオルゴールは無言のまま気配を消した。
小川に入って探そうとも思ったけれど、その時は
小川の段差が少しこわくて入る勇気がわかなかった。
しばらくは角度を変えて水の中を覗き込んだが、
ザリガニがささっとどこかに隠れたこと以外は
見つけることができなかった。
裸のオルゴールはお気に入りの宝物だったので
泣きそうだったけど、夕焼けがはじまるまえに帰った。

あれから何度かあの場所に行ってみたけれど、
あの日と同じ光景は見つからない。
少し大きくなって学年も変わると、身長も伸び、
見る景色も少しずつ変わってくる。
でも放浪癖がもたらす格別な感覚は秘密を解き明かす
ことよりも、新しい秘密を見つけることに作用している。
それは大人になってからも変わらない。
裸のオルゴールを失くした小川もあぜの斜面も
今はなくなってしまった。
田んぼも畑もそのままあるけど、区画が変わっている。
あの日は裸のオルゴールとともに記憶のなかにしか
残ってはいない。
きっとどこかでいつか裸のオルゴールに再会することが
あるような少し甘美な想いだけが消えずに残っている。


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